「5人目」が帰ってきた夜
シェアハウス話の2話目です。まだまだこれから。
シェアハウスMAOに灯里が訪れ、契約についての話を始めたのは昼過ぎ。
その後部屋へと案内された事で集結していた住人達が解散してから、灯里は荷物の片付けを始めていた。
部屋にあるのはシンプルなベッドと机と椅子。部屋の基本設備はエアコンとカーテンとベッド。机は希望すれば追加されるというのでお願いした結果、必要最低限の環境が整った状態で生活を始められる事になった。
部屋に付属している収納にボストンバッグの中に詰めてきた諸々の荷物を納め、スマホを手に周辺の情報を集めたりしていると気付けば夕方になっていて。
そういえば夕飯の事を考えていなかったと気付いたのとほぼ同時に、部屋の扉がノックされた。
「灯里くん、いいかな?」
聞こえてきたのはむつみの声。灯里はすぐに立ち上がって扉を開ける。
「どうしたッスか?」
「灯里くんの歓迎会をしたいって、禅くんが盛り上がってて。一緒に夕飯をどうかなっていうお誘いです」
「是非!」
一瞬の迷いもなく答えるとむつみは笑う。
「灯里くんと禅くんは仲良くなれそうだ。或斗くんも、無口だから最初は戸惑うだろうけど慣れたら楽しい子だからね」
「会社員の人……コースケさんは?」
「二人とはちょっとタイプが違うかな。いつも忙しくしてるから疲れ気味でね……勿論、全然悪い人ではないよ」
社畜というやつだろうか、と灯里は思う。実の所それは当たっていたりするのだけれど、当然ながら知るはずもない。
「灯里くんは食べられない物はある?」
「好き嫌いはしない主義ッス!」
「いいねえ」
そんなやり取りをしながら階段を降りると、キッチンには既に禅と或斗の姿があった。大きなダイニングテーブルの上にはカセットコンロが置かれていて、二人は楽しそうに食器の準備しているようだ。
「この二人はね、こういう場所で生活しているのに全く家事能力がなくて。キッチンを使うと大惨事になるから、キッチンに入るのは禁止してるんだ」
むつみがそんな説明をすると、灯里はつい笑ってしまう。つまり、以前にキッチンを出禁になるような大変な出来事があったという事だろう。
「まあ、家事できなくてもコンビニとか宅配とかインスタントとか、選択肢は色々ありますし……?」
「俺達は家事にステ振りしてないだけですー」
「ですー」
禅の言葉に或斗が便乗した。
では、家事以外に振ったステータスで何の能力を上げたのだろう?
「禅さんと或斗さんって、何のお仕事してる人なんスか?」
「それ聞いちゃう?」
「IT系。リモートワーカー」
灯里の問いかけに楽しそうな笑みを浮かべた禅は、恐らく答えを焦らそうとしている。そんな禅の思惑を完全に無視する形で、或斗がまさかの即答をした。
「或斗、ここはさあ、何だと思う? 当ててみ! みたいな流れじゃん」
「……あと、趣味で配信やってる。ゲームの」
「俺の話聞いてる?」
禅の言葉をはっきりと聞き流して、或斗が言葉を続けた。先程顔を合わせた時は数文字程度の言葉しか聞けなかったので、ここでようやく或斗の声をはっきりと聞けた。非常に聞きやすい良い声をしている。
「ゲーム配信とかリモートワークとかすげえ! 或斗さんはめちゃめちゃ機械に強そうッスね!」
「配線とか、困ったら呼んで」
「心強い……!」
無口だけど慣れたら楽しい子、とむつみは言っていた。それは確かにその通りのようで、もしかしたら先程は初対面で緊張していたのかもしれない。
「……で、禅さんは?」
「ここで俺だけ「当ててみて」ってやったらなんか意地悪してるみたいじゃんかー!」
「せんせは漫画家」
「或斗マジで何? え? 何で??」
或斗が自分の職業をあっさりと公表してしまった事で禅も焦らし辛くなってしまった。それでも焦らすべきか悩んでいるように声を上げたその語尾に被せるように、或斗がまさかのネタバレを投下する。
禅は困惑した声を上げたけれど、灯里はそれを聞いて驚いた顔を見せ、そして感動したような尊敬したような目を禅へと向けた。
「漫画家ってすげえ! オレ、絵心全然ないから絵が描ける人って無条件に尊敬するんスよ!」
「……や、やだなあ俺なんかまだ雑誌連載も持ててないような新人デスヨ……」
「どんな作品描いてんですか!?」
灯里のストレートな言葉に若干照れたのか、ぎこちなく視線を逸らしても灯里は尚もストレートに問いかけてくる。
「今は、ライトノベルのコミカライズをやらせてもらってるんだ」
「えー! すげぇ! どこで読めるんスか!?」
「電子系のコミック配信サイトで」
「タイトルとかペンネームとか教えてくださいよー! めっちゃ読みたい!」
灯里の声に揶揄するような響きは感じられない。尊敬の目と禅の描く作品への興味をそのまま問いにして投げかけてくる。
禅は若干照れ臭そうな顔をしつつも自らのスマホを操作して配信サイトを開き、自らの描く作品のページを灯里に示した。
「これ禅さんが描いてんスか? すげえ……なんかこう、上手い感想が出てこないんスけど、すげえ……!」
「あんまり褒めすぎるとせんせが溶けるかも」
感嘆の声を上げる灯里に或斗がぽつりと呟いた。先程は聞き逃しかけたけれど、或斗は禅を名前ではなく「せんせ」と呼んでいるようだ。
「せんせって何かと思った。禅先生って事ッスね」
「そう」
「オレも先生って呼んでいいッスか」
或斗に習って呼び名を口にする灯里に、禅は頷く。どうにも照れ臭そうな様子に、むつみが声をかける。
「禅くんが照れすぎて逃げ出さないうちに食事にしませんか?」
「する!!」
助け船とも言うべきその言葉に禅が若干食い気味に答えた。
「では、鍋の準備をしますね」
「何か手伝える事ありますか?」
「灯里くんは家事ができる人ですか」
「なんとか1人で生きていける程度には……?」
「充分です。ではお手伝いをお願いします」
「俺も全然手伝うけど」
灯里の申し出を受け入れるむつみに禅が声を上げた。横で或斗も頷いている。
「君達はステイで」
「遠慮しなくていいのになあ」
ばっさりと2人の申し出は切り捨てて、キッチンへと向かう。灯里もその後に続いた。
「先程も話した通り、あの2人には家事能力が備わってないんです。なので、この家では僕が料理担当になってます」
「コースケさんは?」
「彼は一人暮らし歴が長いので家事能力はあるんですが、時間と気力がないんですよね」
「なるほど」
やはり社畜というやつなのかもしれない、とまだ見ぬ最後の住人について考える。管理人は落ち着いているけれど、管理人以外の同居人がどうにも濃い面子なので、それに負けない濃いタイプなのか、むつみ側なのか。
「そういう訳で、このシェアハウスの面々の家事能力は割と絶望的だったので、灯里くんまで向こう側じゃなかった事に安心しました」
「そんなに戦力になれるほどじゃないんスけど、俄然やる気が出てきました。修行します」
「それは心強い」
元々料理好きなのか、必要に迫られてスキルアップしたのか。鍋の材料を切り分けていくむつみの手際は非常に良く、手伝いを任された灯里ができる事は切り分けられた食材を皿に盛ってステイ組の待つテーブルへ運ぶ事と新しい皿を準備する事くらい。
整理された食器棚には当然灯里の食器はなく、予備のものを使ってください、と有り難い言葉がかけられた。
「むつみさーん、カンパ箱の説明したー?」
大人しく食卓でステイしている禅が不意にそんな問いを口にする。
「カンパ箱?」
説明は受けていないし、契約書にもその記載はなかったはずだ。灯里は記憶を辿ってから首を傾げた。
「俺らがこうやってキッチン出禁でごはん作ってもらってばっかりだからさ、せめて材料費くらいは出し合おうって話になって。むつみさんの飯食いたい人はそこにお金入れてんの」
そこの箱、と示されたのは「かんぱ」と書かれたプラカードを持った猫のイラストが描かれた箱。考えるまでもなく、禅が描いたものだろう。その猫はこのシェアハウスの主と紹介されたまおをキャラクター化していた。
「あ、今日の鍋パは灯里の歓迎会だから無料サービスな」
「ありがとうございます……!」
「カンパ箱も、無理のない額を入れてくれればいいですからね」
むつみの補足は、ギリギリの生活費で生き延びている灯里には非常に有り難いものだった。あまりにも都合が良すぎて、これでいいのかと少々疑ってしまう程度に。
「……でも、それだと不公平っつーかズルくないッスか、オレが」
「搾取されるよりよくね?」
「オレにとってはめちゃくちゃ有り難いんですけど」
「ならよし」
「よくないかも!?」
困った顔をする灯里の言葉を非常に簡単に或斗が片付けた。打てば響く勢いで言葉を返すと楽しそうに笑う。
「じゃあ、足りない分は手が空いてる時に僕の手伝いをしてください。それで気持ちの帳尻を合わせましょう」
「いいんスか? マジで?」
「むつみさんお人好しだからさ。甘えちゃいな」
「甘えちゃってください。頑張ってる若者は応援したくなる性質なので」
或斗に続いて禅も口を挟み、それにむつみが頷く。灯里は眉を顰めて少し考えた後、
「……じゃあ、頑張って家事能力を鍛えて帳尻合わせるッス」
有り難い申し出を受ける事にした。
「期待してます」
「これで俺らの食生活が更に安定するゥ」
そんなやり取りの間に準備を終えた食材達を食卓へと運び、カセットコンロに火が点けられた。赤が鮮やかなチゲ鍋の出汁が注がれた鍋がふつふつと沸き始めると、食材がわさわさと投入されていく。
――――そこで。
玄関の方から物音がした。それは、外から鍵が外される音。
「コースケだ!」
真っ先に反応したのは禅だ。既に名前は何度も聞いていて、疲弊した社畜のイメージが灯里の頭の中では完成してしまっているけれど、実物はどんな人物なのか。
むつみが玄関とリビングを繋ぐドアを開けると、その足下からするりとまおが先に入ってきた。そしてそれに続くように、黒いスーツ姿の男が。
「あー……死にたい……」
どうしようもなく不穏な呟きと共に入ってきた。
身長はむつみより少々低いだろうか。奇しくも灯里のイメージしていた「疲弊した社畜」そのままの、疲れた顔をした男だった。
「お帰りなさい。いつもより早く帰って来られてよかったですね」
「今日は定時で帰るって言ったら散々嫌味を言われて……定時までしっかり働いてるのになんで嫌味言われなきゃいけないんだ、そもそも毎日毎日誰より長く残業してるのにたまに定時で帰る事がそんなに悪いのかよ……」
不穏な呟きに続いたのは怨念の篭もった言葉。多分おそらく間違いなく彼の勤める会社はブラックと言われる種類のアレで、積み重なった相当な心労を抱えているように見えるのに、むつみも禅も或斗もそれを聞き流している。
「え、あの、大丈夫なんスか……」
「大丈夫大丈夫、昴佑さんはこうやって毒吐いて元気になるから」
「聞き流しOK」
初対面の灯里が動揺していると、禅と或斗が答えた。そこでようやく、昴佑が灯里に気付く。
「……あ、そうだ。今日は新しい子が来るって……」
「はい。彼が今日からここの住人となってくれた相庭灯里くんです」
「初めまして! よろしくお願いしまッス!」
むつみの紹介を受けて灯里が元気良く挨拶をすると、昴佑は眩しいものでも見たように目を細めた。
「江藤昴佑です。よろしく……なんか、俺だけ場違いでごめんね」
「場違いって?」
「こういう所に住むのって、君とか大島くん達みたいな若くて勢いがあってキラキラした感じの子が普通だと思うんだけど」
第一声から謝罪を受けると灯里は不思議そうな顔をする。その理由を昴佑が口にすると、灯里は思わず笑ってしまった。
「管理人さんがOK出したんだから会社員が暮らしてたって何の問題もないと思います!」
「ありがとう。俺はいつもこんな感じだけど、よろしくね」
いつもこんな感じなのは良くないのではと思ったけれど、灯里は「はい!」と答えた。
そんなやり取りの中、先程一緒にリビングに入ってきたまおがのんびりと歩み寄ってきて、昴佑の足に体を擦り寄せた。
「カッツェ。ただいま」
その感触に気付いた昴佑が足下へと視線を向けて呼びかける。
――――猫の名前は、まおだと聞いたはずだけれど?
次回は主に猫の話。




