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学院の門をくぐった瞬間、沙耶は思わず立ち止まった。
広がるのは、幾重にも回廊が走る石造りの中庭。噴水から水がきらめき、緑の木々が整然と並び、あちこちで学者風の人物が巻物や板を手に議論を交わしている。
その光景は、まさに知の殿堂だった。
沙耶は胸の奥から湧き上がる高揚を抑えきれず、深く息を吸い込んだ。
「すごい……ここは、まるで生きている博物館みたい」
ティオも目を丸くし、バルドでさえ少し口を開けて周囲を見回している。
唯一、フィリクスだけが淡々と歩みを進め、慣れた様子で正面の大階段を上っていった。
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学院の奥、円形の広間に案内されると、そこには白髪の老人が待っていた。
鋭い目と深い皺が刻まれた顔、豪奢な学者衣。
「……フィリクスか。久しいな」
その声には厳しさと、どこか親しみが混じっていた。
「はい、師。砂漠神殿の調査の報告を持ち帰りました」
フィリクスは珍しく姿勢を正し、頭を下げた。
沙耶はそのやりとりを見て悟る。この人物こそ、フィリクスに学問を叩き込んだ師なのだと。
「ほう……この娘が、君が同行していたという異邦の学者か」
老人の視線が沙耶に注がれた。
その瞳は、何層にも積み重なった知識と経験の重みを宿しており、射抜かれるような感覚に沙耶は背筋を伸ばした。
「沙耶と申します。考古学を学び、この地で……遺跡の声を聞こうとしています」
わずかに震えながらもそう答えると、老人は口角を上げた。
「面白い。――だが、学院は甘くはないぞ。異端は常に刃の上を歩むことになる」
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その後、報告を終えた一行は学院の客間に案内された。
夕食の席で、学者たちが交わす噂話が耳に入る。
「最近、学院の地下で妙な封印の揺らぎが観測されたらしい」
「まさか……あの古代結界が?」
「いや、詳細は上層部しか知らんらしいが……」
その言葉に沙耶は思わず身を乗り出した。
地下に封印? それはまさしく、エリュシアが告げた「王都の下に眠るもの」と繋がる。
しかし、噂を耳にした瞬間、背後で冷たい視線を感じた。
振り返ると、黒衣の学徒らしき人物がじっとこちらを見て、すぐに立ち去った。
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その夜。
沙耶が与えられた部屋で眠ろうとすると、枕元に淡い光が揺らめいた。
小さな羽音のような響きとともに、エリュシアが姿を現す。
「……沙耶」
透明な髪が光を帯び、幼い少女の姿をした精霊は真剣な表情を浮かべていた。
「この場所の下に……まだ“眠っている”気配を感じる。
あなたたちが砂漠で解いた封印は……ほんの入口にすぎない」
その言葉に沙耶の胸は高鳴り、不安と興奮が入り混じる。
「じゃあ、学院の地下に?」
エリュシアはゆっくり頷いた。
「けれど、それを狙う者もまた集まりつつある。盗掘団だけではない……もっと大きな“影”が」
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翌朝、沙耶は仲間たちにその話を打ち明けた。
バルドは腕を組み、低く唸る。
「やっぱりな……王都の空気はきな臭ぇと思った」
ティオは不安げに眉をひそめつつも、拳を握りしめた。
「でも……僕たちが行かなきゃ、きっと誰も止められないんだよね」
フィリクスは長い沈黙のあと、わずかに口角を上げた。
「学院の地下……まさか、自分が聞いた噂と君の“精霊”の証言が一致するとはな。
いいだろう。調べてやろうじゃないか――君と一緒にな」
沙耶は深く息を吸い込み、仲間たちを見渡した。
「私たちの旅は、ここで終わらない。
――王都の地下に眠る真実を、解き明かそう」
その瞬間、彼女の中で決意が固まった。
学者として、そしてこの異世界に生きる者として。