3
――静寂。
幻視が終わり、再び神殿の最奥に静けさが戻ったはずだった。
しかし、その静けさは「終わり」ではなく「始まり」を告げるものだった。
封印の扉に刻まれた太陽の紋様が、微かに揺らいでいる。
まるで押し込められていた何かが、内側から外に押し出そうとしているかのように。
空気が重く、粘つき、砂漠の熱気とは異なる圧迫感が全員の胸を締め付けた。
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「……い、今のって……記憶、だったんですよね……?」
ティオの声は震え、少年の小さな拳は白く握り締められていた。
沙耶は喉を鳴らしながら答える。
「ええ……太陽神と人々の記憶……そして、災厄との戦い……」
だが、それを語りながらも胸に冷たい予感が走っていた。
映像は過去のもの――それは間違いない。
けれど今、扉から漏れ出すこの“何か”は、記録ではなく現実だった。
フィリクスが低い声で呟く。
「……封印が弱まっている……。
我々が解読して、光を通したことが……いや、外部からの刺激も加わったかもしれん」
「外部……盗掘団の連中か」
バルドの声は鋭く、剣の柄を握る手に力がこもる。
「奴らが神殿に侵入していたなら、封印の仕掛けに触った可能性は高い」
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そのときだった。
――ゴゴゴ……ッ!
床が低く震え、砂粒が舞い上がる。
天井から微かな砂が降り、まるで神殿そのものが呻いているかのように響き渡った。
扉の中心に走る紋様が黒ずみ、そこから亀裂のような影が広がり始める。
そこから漏れ出す気配は――冷たく、重く、粘つき、どこまでも“生理的嫌悪”を呼び起こすものだった。
ティオは思わず沙耶の腕にしがみつく。
「さ、沙耶さん……これ……出てきちゃう……っ!」
「落ち着いて。まだ……完全には開いてない」
沙耶は必死に少年を落ち着けながら、頭の中で情報を組み立てる。
――幻視で見た封印。
――血と声の供物。
――太陽神の自己犠牲。
それらが示すのは、この封印がただの石造建築ではなく、“生贄と祈り”によって維持される生きた仕組みだということ。
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そのとき、エリュシアが一歩前に進み出た。
彼女の青白い髪が揺れ、その瞳が扉を凝視する。
『……災厄は目を覚まそうとしている。
これはただの揺らぎではない。外からの刺激によって、扉の“枷”が緩んだのだ』
沙耶が振り向く。
「……どうすれば止められるの? 完全に解放されたら……」
『影は砂漠を覆い、人も街も呑み込むだろう。
止めるには、もう一度“封印の儀”を行わねばならない』
「封印の儀……」
フィリクスの声が震える。
「まさか……供物が必要だというのか……?」
エリュシアは静かに頷いた。
『血と声。すなわち“生命”と“祈り”。
それは神でも人でもなく、この場にいる者が選ばねばならぬ』
⸻
「ふざけんな!」
真っ先に声を荒げたのはバルドだった。
「誰かを犠牲にするだと? そんな選択、俺は認めねぇ!」
ティオは顔を青ざめさせ、沙耶の袖を掴んだ。
「や、やだよ……そんなの……! 沙耶さんや、バルドさんや……誰かが消えちゃうなんて……!」
フィリクスは額に手を当て、必死に論理を組み立てようとする。
「だが……儀式の構造を理解すれば、供物以外の手段も……いや……今の揺らぎの速度では……」
沙耶は必死に考えを巡らせる。
自分はかつて地球で考古学を学んだ身。
異世界の“儀式”という概念に実際の力が宿ることは信じがたい。
だが――この神殿は、理屈ではなく現実として動いている。
⸻
全員の視線が自然と沙耶に集まった。
彼女が「学者」としての役割を超えて、この場で“答え”を示すことを求められている。
沙耶は深く息を吸った。
「……まだ結論は出さない。
でも一つだけ確かに言えることがある。
――この封印が破れたら、誰か一人の犠牲どころじゃ済まない」
その言葉に、ティオがぎゅっと唇を噛み、フィリクスが拳を震わせ、バルドは黙って剣を構え直した。
その瞬間、再び――
――ゴゴゴゴ……ッ!!
扉の中心に亀裂が走り、黒い霧が漏れ出した。
その中から、耳障りな声が響く。
『……アァ……光……眩しき光よ……
再び、我が影で覆い尽くしてやろう……』
――災厄が、胎動を始めた。