4
エリュシアの言葉が途切れた瞬間――神殿全体が低く唸った。
まるで大地そのものが呻くかのような震動が、崩れかけた石壁を震わせ、天井から細かい砂と瓦礫がぱらぱらと降り注いだ。
「……また崩れるぞ!」
バルドが即座に叫び、仲間たちを庇うように前へ躍り出た。
その背中は厚い壁のように頼もしく、ティオは慌ててその影に身を寄せた。
⸻
しかし、この震動は単なる崩壊ではなかった。
神殿の奥――封印の扉の向こう側から、鈍く脈打つような光が滲み出している。
それは心臓の鼓動のように規則正しく、だが不気味なリズムを刻んでいた。
「……まるで……何かが目覚めようとしているみたいだ」
沙耶がつぶやくと、エリュシアが厳しい声で応じた。
『そうだ。
封印は既に弱まり始めている。
血と声が揃ったことで、扉は刺激を受けたのだ。
災厄の胎動……その始まりを止めねば、やがて目を覚ます』
その冷ややかで透明な声に、空気がさらに張りつめる。
⸻
次の瞬間、封印の扉から黒い靄のようなものが滲み出した。
それは煙とも影ともつかぬ形を取り、周囲の空気を冷たく、重く変えていく。
ティオが怯えて声を上げた。
「ひ……ひぃっ……! な、なんだよこれ……!」
影は意思を持つかのように蠢き、瓦礫の間を這うように広がった。
近づいた石は一瞬でひび割れ、黒ずみ、まるで命を奪われたかのように崩れていく。
「……これは……まさか瘴気か?」
フィリクスが顔をしかめた。
「古文書に記されていた“災厄の吐息”……。
生き物を蝕み、大地を腐らせる毒気……!」
⸻
バルドが剣を抜き放ち、前に立った。
「おい小僧、下がってろ! こんなもん、まともに浴びたらひとたまりもねぇ!」
彼は剣を振り払い、迫る黒い靄を斬り払う。
だが切り裂いたはずの影は霧のように散り、また形を成して這い寄ってきた。
「斬っても意味がねぇ!? くそっ!」
その横で沙耶は必死に碑文を読み返す。
「……光だ……!
碑文にあった“太陽の光”……!
これを封じるものは、光でしか払えない!」
彼女の叫びに応じるように、エリュシアが両腕を広げた。
淡い黄金色の輝きが彼女の身体からあふれ出し、周囲に光の波紋を広げる。
黒い靄はその光に触れた途端、ジジジ……と焦げるような音を立てて後退した。
⸻
しかし、光を放つエリュシアの表情は苦痛に歪んでいた。
『……長い眠りから覚めたばかり……。
まだ力は戻っていない……。
このままでは……抑えきれぬ……!』
彼女の声はかすれ、輝きは徐々に弱まっていく。
沙耶は思わず叫んだ。
「待って! ひとりで背負わないで! 私たちでどうにかしなきゃ!」
⸻
ティオが震える膝を必死に抑えながら、前に一歩踏み出した。
「……僕も……僕だって……!
“器”なんだろ!? だったら……!
僕の血で、この封印を強くできるんじゃないのか!」
彼の声は震えていたが、その目には確かな決意が宿っていた。
バルドが驚き、声を荒げた。
「馬鹿言うな! 小僧がそんな危ねぇ真似できるか!」
だがフィリクスが真剣な表情で頷いた。
「……いや、理論的には可能だ。
碑文にあった“血と声”……。
彼が血を、沙耶が声を。
その二つが揃えば、一時的に封印を補強できるはずだ」
場に緊張が走る。
決断はすぐそこに迫っていた。
⸻
沙耶はティオの肩に手を置き、真っ直ぐに見つめた。
「ティオ……怖いなら無理しなくていい。
でも――あなたが勇気を出せば、私も全力で支える。
だから……一緒にやろう」
少年は小さく息を吸い込み、涙をこらえて強く頷いた。
「……うん! 僕、やるよ!」
バルドはしばし黙り込み、そして渋々と笑った。
「……ったく、こんな小僧にまで覚悟決めさせやがって。
いいだろう、やれ。だが絶対に無事に戻れ。
お前ら二人の命は、この俺が守る」
⸻
こうして――
沙耶とティオは封印の前に立ち、血と声を捧げる準備を整えた。
扉の向こうで脈打つ光が、不気味な胎動をさらに強める中――
新たな封印の儀式が始まろうとしていた。