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神殿の崩壊の余韻がまだ空気に漂う中、エリュシアの言葉は静かに仲間たちの胸へ落ちていった。
『――答えは、この世界の“記憶”の中にある』
その響きはあまりに大きく、しかし温かかった。
瓦礫の中、炎に照らされる影が揺らぎ、誰一人として軽々しく口を開けなかった。
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やがてエリュシアは腕を胸の前で交差させ、祈るように目を閉じた。
すると、神殿の壁に刻まれた碑文が微かに輝き出す。
ひび割れた石に刻まれていた古代文字が、まるで時を越え、いま再び生まれたように淡く浮かび上がった。
『……災厄は、血と声により封じられた。
その血は“太陽の器”のもの。
その声は“記憶を継ぐ者”のもの。
彼らの誓いが、大いなる封印を形づくった』
低く響くその言葉に、全員が息を呑んだ。
フィリクスが震える指先で、壁に光る碑文をなぞる。
「……確かに……以前、私と沙耶で読み解いた断片があった。
“血と声”……これが完全な形だったのか……」
彼の声は興奮と恐怖が入り混じっていた。
知識欲を満たす喜びと、同時にそれが現実の災厄と結びつく恐ろしさ。
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エリュシアは仲間たちを順に見渡した。
その視線はどこまでも澄んでいて、ひとりひとりを選別するように、深く射抜いていく。
『……お前たちの中に、“器”がいる。
そして、“記憶を継ぐ者”もまたいる』
沙耶の胸が強く跳ねた。
その言葉が自分に向けられているのを直感で感じたのだ。
「……まさか……私が?」
彼女の問いに、エリュシアはゆるやかに頷いた。
『異界より来たりし学者よ。
お前はこの世界の記憶を受け継ぐ者――声を持つ者。
封印を解き、再び編み直す役割を持つ』
沙耶の手が震えた。
学者として“知りたい”という衝動と、封印に関わる“責任”の重さが一度にのしかかってくる。
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一方、フィリクスが低く笑った。
「……ふん、やはりそうか。
では“器”とは――誰のことだ?」
その挑むような問いに、エリュシアはわずかに目を伏せ、そして静かに告げた。
『――少年。お前だ』
ティオが目を丸くした。
「……ぼ、僕!?」
小さな身体が一歩後ずさる。
まるで自分が呼ばれるはずがないと信じていたのに、突然突きつけられた運命に息を呑んだのだ。
『その血は、かつて封印を担った一族の末裔。
遠く途絶えたと思われていたが、細い血脈は今も息づいていた。
お前の存在が、この神殿に引き寄せられた理由だ』
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運命を受け入れるか
ティオの唇が震えた。
「……そんな……僕、ただの村の子どもで……。
学者になりたくて、先生のあとをついてきただけで……。
封印だなんて、僕には……」
その声は必死だった。
沙耶は膝をつき、少年と同じ目線で彼を抱き寄せる。
「ティオ……。
あなたは確かにただの村の子かもしれない。
でも、勇気を出してここまで来た。
それだけで、もう立派な“器”なんだよ」
その言葉にティオの瞳が潤み、揺れ動く。
バルドが口を開いた。
「小僧。お前は俺たちが守る。
その上で、お前の血が必要だってなら――その時は堂々と胸を張れ。
お前一人で背負う話じゃねぇ。仲間がいるんだからな」
ごつごつした手が、ティオの頭をわしわしと撫でる。
少年は少しだけ涙を拭い、ぎこちなく笑みを浮かべた。
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フィリクスは腕を組み、深く息を吐いた。
「……これで分かったな。
我々の調査は単なる学術的探究ではない。
文明の歴史を暴くだけでは済まない……。
世界の存亡に関わる試みだ」
その声には皮肉はなかった。
ただ純粋な覚悟と重責の認識がこもっていた。
沙耶は静かに頷いた。
「ええ。だからこそ……私たちでやり遂げなくちゃ」
エリュシアは最後に告げた。
『……封印を継ぎ、災厄を再び縛るか。
あるいは封印を解き、真の太陽の記憶を解放するか。
選ぶのは、お前たちだ。
――その選択が、この世界の未来を決める』
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その言葉は、仲間たち一人ひとりの心に刻まれた。
崩れかけた神殿の闇の中、彼らは互いに顔を見合わせる。
恐怖、迷い、そして……決意。
こうして――沙耶たちは初めて、自らの旅が“世界の命運”に直結するものだと悟ったのだった。