第13章 精霊エリュシア1
――その姿を、誰もが息を呑んで見つめていた。
砂漠の夜。
崩れ落ちつつある神殿の大広間で、ただひとつ残った結晶の光が静かに揺れていた。
そして、その光から現れた少女――精霊エリュシアは、夢の中から抜け出た幻のように美しかった。
銀白の髪は月光を映すように輝き、瞳は夜空を閉じ込めたように深い青。
薄く透ける衣は光そのものから織られているかのようで、彼女が立っているだけで周囲の空気は澄み渡り、重苦しい崩落の気配さえも後退させてしまう。
ティオがぽつりと呟いた。
「……天使……?」
バルドは剣を下ろせずにいた。
その表情には警戒と、そして畏怖が入り混じっている。
「こいつは……人か? それとも……」
フィリクスは震える声で、しかし学者の習性を隠せず呟く。
「……精霊……本当に実在したのか……。神話の記述が、ここまで具体的な形で……」
⸻
エリュシアは仲間たちをゆっくりと見渡した。
その仕草ひとつひとつが、柔らかいのに圧倒的で、人では到底持ち得ない存在感を放っていた。
『……恐れることはない。
私は争うために目覚めたのではない。
お前たちが、私を呼んだのだ』
その声は鈴の音のように澄み切っていた。
だが耳で聞くのではなく、胸の奥に直接響いてくるような、不思議な感覚があった。
沙耶は震える指先で結晶を抱き直し、かすれた声で問いかけた。
「……あなたが……この結晶の……?」
エリュシアは微笑む。
『そう。私は結晶に封じられた精霊。
名は――エリュシア。
かつて太陽神殿を護り、そして共に滅びを迎えた者』
⸻
沈黙が落ちた。
その言葉の重みは、誰にでも分かるほど強烈だった。
フィリクスが目を見開き、前のめりになる。
「“共に滅びを迎えた”だと? 精霊が……人の歴史に関与したというのか!?」
エリュシアの瞳がフィリクスを射抜いた。
けれど怒りも敵意もなく、ただ真実を見透かすような冷ややかさがあった。
『そう。人が築いた文明と、私たち精霊は共にあった。
だがその文明は、光と共に自らの影を呼び覚まし……災厄を招いた』
沙耶の心臓が強く打った。
彼女がこれまで碑文や壁画から読み取った“断片”が、いま初めて、具体的な言葉になったのだ。
「……やっぱり……太陽神殿は、ただの神話じゃなかった……」
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ティオは不安げに沙耶の腕を握った。
「先生……精霊さんって、悪い人じゃないよね……?」
沙耶は少年を抱き寄せ、そっと首を振る。
「分からない。でも……少なくとも今は敵じゃない。むしろ、私たちを選んだ」
エリュシアはその様子を見て、小さく微笑んだ。
その微笑は冷たい夜を和らげる火のように、確かな温かさを持っていた。
『お前たちの中に、真実を求める声を感じる。
血と声と光で封印が開かれたのは偶然ではない。
――この時代にこそ、私が目覚める必然があったのだ』
バルドは剣をようやく下ろし、深く息を吐いた。
「……ったく。神殿だの罠だのでも十分面倒だったのに、今度は精霊様かよ。
沙耶、お前の好奇心はいつも俺たちをとんでもねぇ場所に連れてくな」
沙耶は苦笑しながらも、その目を真剣に輝かせた。
「でも……これが私の探し求めてきた“証拠”なの。
失われた文明が、本当に存在していたって証明が――」
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その瞬間、エリュシアの表情に影が差した。
『だが、同時に……災厄もまた、封印から目覚め始めている』
空気が一変する。
仲間たちは息を呑んだ。
精霊の言葉は、砂漠の夜の冷たさ以上に鋭く、胸に突き刺さる。
沙耶の背筋に戦慄が走った。
学術的な興奮と恐怖、そして使命感がないまぜになり、彼女は知らず拳を握り締めていた。
(……精霊の目覚めが、災厄の兆し……?
なら、私たちがここで見たことは……)
彼女は仲間たちを見渡す。
そして小さく、しかし確かな声で告げた。
「――聞かせて。
エリュシア。あなたの知っている、この世界の真実を」