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石棺は、祭壇の中央に鎮座していた。
その存在感は圧倒的で、ただの石ではないと直感させる。
滑らかな表面には古代文字がびっしりと刻まれており、砂に埋もれながらも力強い輝きを放っていた。
沙耶は無意識に歩み寄り、手でそっと砂を払った。
「これは……古代王国文字。しかも、儀式用の文章です」
彼女の声は震えていた。
異世界のはずなのに、自分が大学院で学んだ知識と結びついて理解できる──まるで、沙耶を待っていたかのような遺跡だった。
「読めるのか?」
バルドが大剣を立てかけて覗き込む。
「はい……断片的ですけど。えっと……『太陽を掲げる者、炎を受け入れる者、新たなる命をここに宿す』……」
「要するに?」
「再生と復活の儀式、です。ここは、王か祭司の遺骸を眠らせるための神殿だったんでしょう」
そのとき、バルドが周囲に目を凝らした。
「嬢ちゃん、こっちを見ろ」
石棺の側面に、欠けた石板が埋め込まれていた。
半分が失われているが、残された部分には太陽と炎の模様、そして杯の図が刻まれている。
「これは……聖杯の印!」
沙耶は思わず声を上げた。
「古代文明で再生や契約を象徴する道具です。もし実物が残っていたら、とんでもない発見になります!」
彼女の目は輝き、頬が紅潮していた。
学者としての興奮が抑えられない。
「嬢ちゃん、落ち着け」
「でも、これは……! 私が異世界に来た意味かもしれません!」
バルドは豪快に笑った。
「ハハッ、やっぱりただの変わり者じゃねぇな。……けど、気をつけろよ」
彼が言い終えるのと同時に──。
低い音が地下に響いた。
ゴゴゴ……と地鳴りのような振動が床を伝い、石棺の周囲に積もった砂がぱらぱらと崩れ落ちる。
「っ……地震?」
「いや、違う」
バルドが大剣を構え直す。
「何かが……動いてる」
石棺の蓋が、ゆっくりとずれていった。
隙間から冷気のような空気が溢れ出す。
沙耶は反射的に一歩下がった。
「まさか……復活の儀式が……?」
「来るぞ!」
蓋が完全に開くと同時に、中から砂にまみれた骸骨が起き上がった。
ただの死体ではない。
眼窩には青白い光が灯り、朽ちた甲冑に包まれた身体はゆっくりと立ち上がる。
「アンデッド……!?」
沙耶が叫んだ。
バルドは舌打ちをして大剣を構える。
「嬢ちゃん、下がってろ!」
骸骨の戦士は、朽ちた剣を握りしめ、砂を踏みしめながら近づいてくる。
その一歩ごとに、神殿全体が呻き声のような音を立てた。
「これは……封印を解いちゃったんだ……!」
「後で考えろ! 今は生き残るぞ!」
バルドが大剣を振り下ろす。
金属音が響き、骸骨の剣が火花を散らして弾かれる。
並の相手なら一撃で粉砕できるはずなのに、この骸骨はびくともしなかった。
「硬ぇな……!」
「これは儀式で守護者にされた存在です! だから普通の遺骸より強い……!」
沙耶は必死に叫び、周囲を見渡した。
何か、この状況を覆す手掛かりがあるはずだ。
そして、目に入った。
石棺の裏に、小さな台座がある。
そこに、砂に半ば埋もれた杯が鎮座していた。
「聖杯……!」
沙耶は無我夢中で駆け出した。
バルドの背をすり抜け、骸骨の剣が目の前をかすめる。
「嬢ちゃん!」
彼女は台座に手を伸ばし、杯を掴んだ。
冷たく、重い。だが、確かに力を宿している。
瞬間──杯が淡く光を放った。
骸骨の動きが一瞬だけ止まる。
その隙を逃さず、バルドの大剣が振り下ろされ、骸骨の頭蓋を粉砕した。
ガシャン、と乾いた音を立て、青白い光が消える。
骸骨は力なく崩れ落ち、ただの骨片に戻った。
静寂。
ただ、二人の荒い息遣いだけが残る。
「……はぁ、はぁ……嬢ちゃん、無茶すんなよ」
「ご、ごめんなさい。でも……これがなければ勝てませんでした」
沙耶の手の中で、聖杯はまだ微かに輝いていた。
それは、古代文明が残した「鍵」。
そして、彼女がこの世界で歩むべき道を指し示すものだった。
「バルドさん……」
「ん?」
「やっぱり、私は……この遺跡を探りたい。この世界に残された文明を、全部……!」
バルドはしばし沙耶を見つめ、そしてニッと笑った。
「ったく、物好きだな。けど──悪くねぇ。面白そうだ」
二人は祭壇の前に立ち尽くしながら、これが始まりに過ぎないことを直感していた。
神殿のさらに奥、そしてまだ見ぬ遺跡の数々。
その先に待ち受けるものは、希望か、それとも災厄か。
砂漠の神殿の奥で得た聖杯は、やがて彼らを数奇な運命へと導いていく。