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黒い瘴気が濃密に渦巻き、やがて四本脚の獣の形をとった。
その体は闇そのものが固まったようで、輪郭は曖昧に揺らぎ、光を吸い込んでいる。
目の部分だけが赤く燃え、神殿の崩壊音をかき消すような唸りを上げた。
「……あれは、封印が揺らいだことで漏れ出した“災厄の欠片”か!」
フィリクスが顔を青ざめさせる。
「完全体じゃないにしても、ここで相手にするのは危険すぎる!」
だが逃げ場はなかった。
背後は崩れた瓦礫で塞がれ、前方には出口へ繋がる光がわずかに差すのみ。
影の獣が喉奥から低い唸りを響かせ、一歩、また一歩と近づいてくる。
「俺が食い止める。お前らは――」
「待って!」
バルドの言葉を沙耶が遮った。
「ここで一人を犠牲にするつもり? そんなの考古学的にも人道的にも、間違ってる!」
バルドは一瞬驚いたが、やがて笑った。
「……お前は本当に変わった女だな。だが、嫌いじゃねぇ」
影の獣が咆哮し、黒い風が吹き荒れる。
その瞬間、戦いが始まった。
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先頭に立ったバルドが大剣を振り抜く。
その一撃は風を裂き、影の獣の前肢を弾き飛ばした。
だが黒い肉体は霧のように再生し、すぐに元の形を取り戻す。
「やっぱり効きが薄ぇな……!」
汗が額を流れる。それでも彼は一歩も退かない。
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「ならば、俺が!」
フィリクスが詠唱を紡ぎ、杖の先から炎が奔った。
火球が獣の胸を直撃し、闇を一瞬だけ焼き払う。
だが、焼けただれたはずの影が、すぐに別の闇と混ざり合い再生する。
「……自己修復。まるで永続的な呪詛の具現化だ」
学者としての分析を口にしつつ、彼は奥歯を噛みしめる。
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「ぼ、僕もやる!」
ティオが震える手で石を投げつけた。
小さな石は獣の頭部をかすめただけだったが、その瞬間、赤い目が少年を捉えた。
「ティオ!」
沙耶が叫ぶ。
獣の爪が振り下ろされる――
だが、バルドが割って入り剣で受け止めた。火花が散り、彼の膝が床にめり込む。
「なかなかやるじゃねぇか、坊主! だが次は俺に任せろ!」
ティオは震えながらも必死にうなずいた。
⸻
沙耶は戦いの光景を必死に観察していた。
――効いていない。だが、一瞬だけ獣の体が揺らぐ瞬間がある。
炎に焼かれたとき、光が差し込んだとき。
「……そうか! 闇だからこそ、光に弱い!」
彼女は天井の亀裂を見上げる。そこから差し込むわずかな太陽光。
「みんな! あの光に獣を誘い込むの!」
「なるほど……! お前、やっぱり只者じゃないな!」
フィリクスが即座に理解し、魔法で光の柱を強調するように炎を放った。
闇が照らされ、影の獣が忌々しそうに唸る。
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バルドが獣を押し込み、フィリクスが光の方角に魔力で誘導する。
ティオは石や瓦礫を投げ、注意を引きつける。
沙耶は崩れた壁を調べ、光の差す角度を瞬時に修正して叫んだ。
「あと二歩! そこだ!」
光の柱に獣が足を踏み入れた瞬間、黒い体が煙のように揺らぎ始めた。
赤い目が苦悶に歪み、獣が吠える。
「今だ――!」
バルドが全力で剣を振り下ろし、フィリクスの炎が重なる。
光と炎の奔流が獣を包み込み、轟音とともに爆ぜた。
闇の肉体は形を保てず、霧散していく。
残ったのは焦げた臭いと、黒い灰だけだった。
⸻
静寂。
瓦礫が崩れる音だけが、遠くで響いていた。
バルドが剣を肩に担ぎ、豪快に息を吐いた。
「……やれやれ、骨が折れたぜ」
ティオは膝から崩れ落ち、涙をこぼしながらも笑った。
「ぼ、僕……生きてる……!」
フィリクスは杖を握ったまま、沙耶をじっと見た。
「光に誘導する……その発想、俺にはなかった。君の知識、いや、直感……認めざるを得ないな」
沙耶は胸に手を当て、大きく息をついた。
「まだ……終わってない。出口は、もうすぐそこにあるはずだから」
その言葉と同時に、頭上の天井が大きく割れ、外の光が広間全体に降り注いだ。