3
黒曜石の柱を縛る鎖が、びしりとひび割れを走らせた。
広間全体が揺れ、砂が天井からぱらぱらと降ってくる。
まるで「急げ」と脅すように。
沙耶とフィリクスは柱の前に並び、刻まれた古代文字を凝視した。
どの鎖も、同じ単語を繰り返しているように見える――しかし微妙に配置や順番が違う。
「……これ、単なる呪文の羅列じゃない」
沙耶は息を整え、震える声を押さえた。
「意味の異なる“詩”を、周期ごとに組み合わせてる……だから“暦”の知識と、“呪術”の知識が両方必要になるのよ」
フィリクスは険しい顔で手帳をめくり、書き写した符号を指で辿る。
「……周期ごと? 詩が交互に反復して……いや、違うな……ああ、これは“声のリズム”か!」
「そうよ!」
沙耶の声に力がこもる。
「ただ読むんじゃだめ。拍子を合わせて、歌うように唱えなきゃ!」
再び鎖が揺れ、ぎしりと嫌な音を立てる。
バルドが歯ぎしりをして叫んだ。
「学者同士の歌合戦でどうにかなるのか!? 今にも飛び出しそうだぞ!」
「だからやるんだ!」
沙耶は振り返らずに叫び返す。
「この封印は“言葉”そのものが鎖! 唱え直せば繋がる!」
ティオは不安げに震えていたが、沙耶の真剣な声に押されるように、胸の前で手を組んだ。
沙耶とフィリクスは目を合わせる。
一瞬の沈黙ののち、二人は同時に口を開いた。
「――“太陽は我らを導き、影を退ける”」
「――“闇は血に飢え、声を欲する”」
詩の断片が交互に重なり、広間に響き渡る。
言葉が鎖を縫い直すように、光が文字一つ一つに宿り始めた。
だが、うまく噛み合わない部分もある。
フィリクスが眉をひそめる。
「待て、ここは“光”ではなく“日輪”だろう! 君は読み間違えてる!」
「違う! ここは暦を示してる! “日輪”じゃなく“黄昏”!」
言い争いながらも、言葉のやり取りは加速する。
まるで二人の学問の矛盾そのものが、封印を強化していくようだった。
鎖が一つ、再び光を取り戻し、砕けかけていた綻びが縫い合わされる。
「……繋がった……!」
沙耶の声が震える。
だが同時に――柱の奥から、低い声が響いた。
人の声とも、獣の唸りともつかない、不気味な囁き。
《……血を……声を……我を……解け……》
ティオが耳を塞いで悲鳴を上げた。
「やだっ、声が聞こえる! 僕の頭の中に入ってくる!」
バルドが咄嗟に抱き寄せ、剣を振りかざした。
「黙ってろ! 坊主に近づくな!」
だが沙耶とフィリクスは、恐怖を押し殺し、さらに声を重ねた。
「――“声を紡ぎ、影を封じる”」
「――“血を断ち、太陽を掲ぐ”」
広間に、光の鎖が編まれていく。
柱を覆う鎖が次々と強化され、黒い鼓動を押し込める。
だが、最後の鎖に差しかかった時――。
突如、石壁が破砕する轟音が響いた。
入口から、複数の影が雪崩れ込む。
「やっと見つけたぜ……宝の部屋をよォ」
粗野な声が広間を満たす。
現れたのは、砂漠を荒らす盗掘団だった。
松明を掲げ、武器を振りかざした十数人の男たちが、欲望の笑みを浮かべていた。
バルドが歯を剥き出し、低く唸る。
「……チッ。厄介なタイミングで来やがったな」
沙耶は愕然とした。
封印がまだ不完全なまま、盗掘団が暴れれば――鎖は完全に崩壊する。
黒曜石の柱の奥から、再び低い囁きが溢れ出す。
《……開けよ……声を……血を……》
沙耶とフィリクスは顔を見合わせ、唇を結んだ。
彼らは同時に理解していた。
盗掘団を止めなければ、この封印はもう持たない。