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砂塵が巻き上がり、扉の隙間から吹き出す風はただの空気ではなかった。
それは長い年月を封じ込められていた「気配」であり、圧倒的な重さを帯びた古代の残響だった。
「……空気が、重い」
沙耶は息を詰まらせた。
肺に入るたびに、体の奥まで圧力がかかるような感覚。学術的な興奮よりも、初めて背筋を這い上がる恐怖が勝った。
ティオは目をぎゅっと閉じ、沙耶の袖を握りしめる。
「さやさん……奥に、なにかいる」
バルドは剣を構えたまま、不動のように立ち尽くす。
「間違いねぇな。生き物じゃねぇ……だが、確かに“息づいて”やがる」
フィリクスは額の汗を拭い、震える声で言葉を繋いだ。
「……これはただの封印じゃない。碑文にあった“災厄”……それが、ここに眠っているんだ」
ごう、と扉がさらに開く。
やがて全貌を現したのは、円形の広間だった。
高い天井はドーム状に作られ、その中心には巨大な黒曜石の柱がそびえ立っている。
柱全体が鎖で縛られ、鎖には一つ一つ古代文字が刻まれていた。
その光景は、学者である沙耶にとって――まさに「古代文明の頂点」とも呼ぶべきものだった。
「……これは、封印具そのもの……!」
彼女の瞳がきらめき、口から抑えきれない興奮があふれる。
「物理的拘束と呪術的文字列の二重構造……これを維持するために、どれほどの文明技術が必要だったか……!」
だが、興奮と同時に、恐怖も背筋を走る。
鎖の隙間から漏れる微光が、まるで内側で“脈打つ心臓”のように鼓動していたからだ。
ティオは後ずさりし、小さく震えた声を出した。
「ぼ、僕……近づきたくない……」
「下がってろ、坊主」
バルドが守るように立ちふさがる。
その時、フィリクスが一歩前へ進んだ。
前髪の陰から見える瞳が、異様な輝きを帯びていた。
「……ついに辿り着いた……王都の学会でも誰も知らなかった“真の封印”……!」
沙耶はその声に眉をひそめる。
「待って、フィリクス。下手に触れたら――」
「わかっている!」
彼は語気を強める。
「だが、私は学者だ! 未知を前にして背を向けることなどできん! 君だって同じだろう!」
その言葉に沙耶は言い返せなかった。
確かに彼の言う通りだ。恐怖よりも、知識への渇望が勝ってしまう。それが彼女自身の性分だった。
フィリクスは鎖の文字を凝視し、手帳を取り出して書き写し始める。
沙耶もその隣に並び、慎重に符号を照らし合わせる。
「……この構造は……」
「交互に繰り返される詩句だ。呪文の循環式……!」
二人の声が重なり、同時に気づいた。
「これ、ただの封印じゃない……」
「封印を“維持”するために、外部から常に供物が必要なんだ……!」
沈黙が落ちた。
長い年月、この神殿を訪れた人々は血を供え、声を重ねることで封印を繋いできた。
つまり――誰かが意図して“災厄”を眠らせ続けていたのだ。
「……じゃあ、もし供えなかったら?」
ティオが震える声で尋ねた。
沙耶は唇を結ぶ。
「封印は……弱まる。災厄は、目覚める」
直後――。
どん、と地響きが広間を揺らした。
鎖がびん、と震え、黒曜石の柱の奥から低い唸り声が漏れ出す。
「……今の音……まさか」
フィリクスの声がかすれる。
沙耶は顔を強張らせながらも、前に踏み出した。
「……扉を開けたことで、封印が揺らいだのよ……!」
再び地響き。
鎖が一本、きしむ音を立ててひび割れる。
ティオが叫んだ。
「出ちゃう……! なにかが出てきちゃうよ!」
バルドは剣を振り上げ、柱の前に立ちはだかった。
「上等だ。来るなら斬る!」
だが沙耶は必死に叫ぶ。
「待って! これは物理じゃ止められない! 鎖は“意味”で繋がってる! 解読して、もう一度繋がなきゃ……!」
フィリクスが息を呑む。
「……つまり、我々で再封印しろと?」
「そうよ!」
沙耶は目を見開き、彼の瞳を真っ直ぐに射抜いた。
「あなたと私ならできるはず! 知識を合わせれば!」
しばし沈黙。
だがフィリクスの口元に、僅かな笑みが浮かぶ。
「……面白い。学者として、これ以上の挑戦はないな」
二人は並び立ち、黒曜石の柱へと向き直った。
その後ろで、ティオとバルドが息を呑んで見守る。
崩れゆく封印を前に――二人の学者が、ついに「共同解読」を始めた。