第9章 封印の扉1
扉に触れた沙耶の指先が、ひやりとした石の感触と共にかすかな振動を感じ取った。
それはまるで、生き物が内側で息を潜めているかのような脈動だった。
「……聞こえる?」
彼女は囁くように言った。
バルドは剣の柄を強く握りしめ、周囲に目を走らせた。
「聞こえる。低い……うなりだな。まるで、地下の獣が呼吸してるみたいだ」
ティオは唇を噛みしめ、沙耶の隣に身を寄せた。
「さ、沙耶さん……開けたら、なにが……?」
「わからない」
沙耶は正直に答える。
けれど心の奥で確信が芽生えていた。――この扉の先にこそ、彼女が求める答えがある、と。
するとフィリクスが一歩前に出て、扉に刻まれた碑文を指差した。
「“血と声”だ。解釈は一致したな。つまり、鍵を開けるには誰かが血を供し、古代語の呪文を唱える必要がある」
「血を……」
ティオの顔が青ざめた。
バルドがすぐさま声を荒げる。
「ガキにやらせる気か? そんな真似は許さんぞ」
フィリクスは冷たく首を振った。
「子供に求める気はない。だが、供物として必要なのはほんの僅かな血だろう。古代の封印術は象徴性を重視する。命を奪うものではないはずだ」
「……なら、私がやる」
沙耶は短く言った。
バルドとティオが同時に振り返る。
「沙耶!」「だめだよ!」
彼女は首を横に振る。
「これは私の専門分野。私が触れなきゃ意味がないの。……大丈夫。深く切る必要なんてないはず」
その瞳に決意を見て、バルドはしばし沈黙し、やがて渋々頷いた。
「……無茶するなよ」
沙耶は短剣を取り出す。
刃先を掌にあて、浅く引いた。すぐに赤い滴がにじみ出る。
すると――扉に刻まれた太陽紋が、まるで呼応するように光を帯び始めた。
「やっぱり……! 血は鍵の象徴……」
沙耶が息を呑む。
「次は“声”だ」
フィリクスが口を開く。
「碑文の下段にある詩句。これは詠唱だ。発音は古代語の中でも特殊な体系だが……私なら読める」
沙耶が驚きに目を見開いた。
「あなた……古代語の発音体系まで?」
フィリクスは鼻で笑った。
「君だけが博識だと思うなよ。私は王都で体系的に学んできた。君の異端の知識とは違う」
だが、その声に含まれる熱は、本心からの情熱だった。
沙耶は微かに笑い、頷いた。
「……頼むわ」
フィリクスは扉に向かい、低く響く声で古代語を唱え始めた。
響きは不思議な抑揚を持ち、空気が震える。
やがて、光が扉全体に走った。
まばゆい輝きが天井を照らし、神殿全体が震動する。
「こ、これ……!」
ティオが悲鳴を上げる。
バルドは剣を抜き放ち、扉の前に立った。
「来るぞ……!」
光の奔流の中で、扉がゆっくりと、しかし確実に開いていく。
長い年月閉ざされていたはずの隙間から、熱を帯びた風が吹き出し、砂の匂いと鉄のような金属臭を運んでくる。
そして――。
開かれた隙間の奥で、何かが蠢いた。
巨大な、古代の影が。