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神殿の入口は、半ば砂に埋もれていた。
崩れかけた石造りの階段を降りていくと、空気がひんやりと変わっていくのを沙耶は肌で感じた。
さっきまで灼熱だったのが嘘のように、地下の空気は冷たく重たい。
「……空気の層が違う」
思わず口をついて出ると、隣のバルドが首をかしげる。
「なんだそりゃ」
「上と下で温度差があるんです。外の熱が石に遮られて、ここはずっと昔の空気が残ってる」
「へぇ……難しいことはわからんが、涼しいってのは助かるな」
石壁には、炎を模したような模様が刻まれていた。
線は擦れてはいるが、ある法則性をもって繰り返されている。
沙耶は思わず近寄り、手でなぞった。
「火焔文様……」
「かえんぶん……なんだ?」
「火を象徴する装飾です。儀式で火を使った可能性が高いですね」
「火を? こんな地下でか?」
「はい。古代の人にとって、火は『再生』や『太陽』の象徴なんです」
瞳が輝いているのを、バルドは横目で見ていた。
まるで子どもが宝物を見つけた時のような熱量だ。
「嬢ちゃん、本当にこういうの好きなんだな」
「はい! だってこれ、数百年も、もしかしたら千年以上も前の人々が残したものですよ。タイムカプセルみたいなものなんです」
「……言いたいことは半分もわからんが、目が輝いてるのはわかる」
バルドは苦笑し、背の大剣を軽く叩いた。
「ま、嬢ちゃんが夢中で調べられるように、俺は前を守る。好きに見てろ」
「ありがとうございます」
心強い言葉に、沙耶は胸が温かくなる。
二人は通路を進んでいった。
壁には時折、崩れたレリーフが並んでいる。
それらを確認するたびに沙耶は足を止め、バルドが「またか」と頭をかく。
「この柱……間隔が妙に広いですね。普通の神殿なら、もっと密に並ぶはず」
「どう違うんだ?」
「参道の長さを誇張して、儀式の時に参列者を圧倒するため……たぶんそういう設計です」
「へぇ、ただの石の並びにそんな意味があるのか」
バルドにとっては、ただの古びた石にしか見えない。
だが沙耶には、そこに当時の人々の意図や思想が透けて見えるようだった。
やがて、通路の奥に開けた空間が現れた。
天井は高く、壁には巨大なレリーフが刻まれている。
砂に半ば埋もれているが、そこに描かれているのは──炎を背にした人物像。
「……祭司、でしょうか」
沙耶が呟く。
「大きな杯を持っている……。これ、太陽信仰の儀式に使われる器です」
目を細める彼女の表情は、講義で資料を読み解いているときと同じだった。
違うのは、ここが教室ではなく──本物の遺跡だということ。
「嬢ちゃんがそう言うならそうなんだろうが……」
バルドは壁を軽く叩いた。石の響きが重く返る。
「俺にはただのデカい壁画にしか見えん」
「でも、この壁の後ろに空洞があります」
「は?」
「音が違います。石が薄いんです。たぶん……この奥に隠し部屋がある」
バルドは目を丸くした。
沙耶の指摘どおり、確かに叩く場所によって音が変わっている。
「すげぇな、嬢ちゃん」
「いえ、ちょっとした観察です」
沙耶は謙遜しつつも、胸が高鳴っていた。
遺跡が、秘密を解き明かすのを待っている──その予感がたまらなかった。
「どうやって開ける?」
バルドが大剣を抜こうとするのを、沙耶が慌てて止めた。
「待ってください! 古代の仕掛けは力で壊すと崩落します」
「じゃあ、どうすりゃいい」
「……探します。開閉の仕組みを」
視線を走らせると、床の模様に気付いた。
幾何学的な線が彫られており、ある一点に向かって集中している。
「この床……。ここ、踏んでみてください」
「おいおい、大丈夫か?」
「はい。たぶん、祭壇の重さで開く仕組みです」
バルドが渋々足を乗せると──低い轟音が響いた。
壁の一部がずるずると沈み込み、闇の通路が口を開ける。
二人は思わず顔を見合わせた。
沙耶の唇には興奮が宿り、バルドは呆れ混じりの笑みを浮かべた。
「……やっぱり、ただの嬢ちゃんじゃねぇな」
「これからですよ。まだ何があるかわかりませんから」
沙耶は小さく息を弾ませ、暗い通路を見つめた。
奥には何が待つのか。
それは恐怖か、驚異か、あるいは──新たな発見か。
二人は並んで、闇へと足を踏み入れた。