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広間の静寂を破るように、壁の奥から「ゴゴゴ……」と低い振動音が響いた。
先ほどの共鳴で仕掛けが作動したのだろう。石壁に刻まれた線刻が赤い光を帯び、絡み合うように扉の方へと収束していく。
沙耶はノートを取り出し、光の動きを必死に写し取った。
「やっぱり……これは単なる罠じゃない。封印と通路の両方を管理する仕組みなのね」
フィリクスも壁に寄り、震える指で文字をなぞる。
「……“血を流せば災厄を呼ぶ。声を重ねれば道が開かれる”……そう読めるな」
彼の言葉に沙耶が頷く。
「私の解釈と一致してる。……つまり、これは古代人が“正しい選択”を残すために作った試練だったのよ」
バルドが首を傾げる。
「試練……ってことは、わざと危険な仕掛けを残して、選んだ者を試してるってことか?」
「ええ。知識と勇気がなければ、この先へは進めない……そういう思想よ」
沙耶はそう言いながら、胸の奥で震えを覚えていた。
――異世界でも、古代人は未来の人間に問いを投げかけている。
その感覚は、彼女がこの世界に転生して以来、最も強く“考古学者”である自分を突き動かすものだった。
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赤い光が一点に集まり、やがて広間の正面にある巨大な石扉を照らした。
扉の表面には円形の文様と無数の星座が刻まれている。
フィリクスはその配置を見て、目を細める。
「星座の並び……これは暦を示しているな。ただし、普通の暦じゃない。“災厄の星”と呼ばれる暗黒星を基準にした暦だ」
沙耶は驚いた。
「暗黒星……! あなたも気づいたの?」
「当然だ。君が言うほど、俺は鈍くない」
フィリクスの声には皮肉が混じっていなかった。代わりに、かすかな誇りと敬意が宿っていた。
二人は並んで扉の文様を指でなぞり、必死に計算を重ねていく。
星の配置を暦に変換し、数列を符号化して読み解く――古代文明の叡智に挑む共同作業。
その間、バルドとティオは固唾を飲んで見守っていた。
「なぁ……何してるのか全然わからんが、すげぇな」
「はい……二人とも、言葉は違うのに息がぴったりで……」
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数刻の後。
沙耶とフィリクスは同時に顔を上げ、同じ結論を口にした。
「“光を三度導け”」
「“歌を三度響かせろ”」
二人は互いを見て、思わず笑った。
「……やっぱり、解釈は違うけど結果は同じね」
「ああ。君の異端の知識も、俺の伝統的な学問も……この扉を前にすれば等しく必要だった」
その瞬間、二人の間にあった氷壁は音もなく崩れ落ちた。
学者としての誇りが衝突し合い、ようやく共鳴を得たのだ。
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沙耶は深く息を吸い込み、扉の前に立った。
彼女の声が広間に響き渡る。
旋律は碑文に刻まれた古代の歌――その断片的な音階をつなぎ合わせたもの。
最初の声に応じ、扉の星座が光を帯びる。
二度目で、円形の文様が回転を始める。
三度目の歌声と同時に、巨大な石扉がゆっくりと開き始めた。
轟音と共に、冷たい風が吹き抜ける。
奥には闇が広がり、その中心で淡い光が瞬いていた。
ティオが息を呑む。
「……扉が……開いた……!」
バルドは剣を握りしめる。
「ようやく奥へ行けるってわけか」
そしてフィリクスは、沙耶を見て小さく頷いた。
「……認めよう。君は、異端ではなく……学者だ」
沙耶は目を細め、静かに答える。
「ありがとう。これからは一緒に解き明かしましょう」
扉の奥に待つ未知を前に、一行の心はひとつになりつつあった。
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――こうして、神殿の封印扉は開かれた。
だが、その先に待つのはさらなる試練と、封じられた“災厄”の真実だった。