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広間の奥に、再び複雑なレリーフが現れた。
壁一面に刻まれた文字と図像。太陽を模した円、その周囲に並ぶ人々、そして剣を掲げる影の姿。
フィリクスが近づき、指先で文字をなぞった。
「……これは間違いなく“儀式の記録”だな。太陽神に血を捧げ、災厄を鎮めた……古代の人々の恐怖心が刻まれている」
沙耶は首を振る。
「違うわ。これは暦の記録よ。ほら、この部分。月の満ち欠けと太陽の位置を示してる。つまりこれは、暦と祭儀を重ね合わせて“時間の流れを封印”したんだわ」
バルドが腕を組んで首を傾げた。
「……どっちも難しい話だな」
ティオは壁を見つめ、目を輝かせる。
「でも……どっちも正しいように聞こえるよ」
しかし、学者二人の議論は止まらない。
「君は実用ばかりに目を奪われている!」
「あなたは象徴ばかりを重視して、機能を見落としている!」
言葉の応酬は次第に熱を帯び、まるで火花が散るようだった。
そして、ついにフィリクスが声を荒げる。
「もういい! 俺一人で確かめる!」
「待って!」沙耶が手を伸ばした。
だが彼は聞かず、レリーフの中央に埋め込まれた石版に触れた。
――その瞬間、床が震えた。
石版から光があふれ、広間全体に波紋のように広がる。
床に刻まれた紋様が浮かび上がり、まるで網のようにフィリクスの足を絡め取った。
「なっ……!? 動けない!?」
光の鎖が彼の体を縛り、壁の影から黒い霧のような魔物が姿を現した。
バルドが即座に剣を抜き、構える。
「やっぱりこうなるんだな……!」
ティオは悲鳴を上げて沙耶の背に隠れる。
だが沙耶は冷静に壁を見上げていた。
「これは……『誓約の守護者』。碑文に書かれていた“血と声による解放”って、こういうことだったのね」
フィリクスは必死に足掻きながら叫ぶ。
「早く……助けろ……! 俺は間違っていない、これは解釈の証明だ!」
沙耶は息を吸い込み、壁のパターンを再び見直した。
「血と声……つまり、“命の証”と“真実を語る意思”よ」
彼女は短刀を取り出し、指先を軽く切った。
滲む血を壁の紋様に触れさせ、同時に声を張り上げた。
「私の名は沙耶! この碑文を読み解き、真実を求める者!」
瞬間、広間全体が震え、黒い霧の魔物が苦しむようにうねった。
光の鎖がほどけ、フィリクスの体を解放する。
彼は倒れ込むように膝をつき、荒い息を吐いた。
バルドが剣で霧を斬り払うと、それは悲鳴のような音を立てて消え去った。
静寂が戻る。
沙耶はフィリクスに手を差し伸べた。
「無茶をするのね。あなたがいなくなったら、解釈を交わせる相手がいなくなるところだった」
フィリクスは一瞬ためらったが、やがてその手を取った。
「……助けられた、というわけか」
彼の顔に、ほんの僅かだが照れくさそうな笑みが浮かぶ。
「認めよう。君の異端のやり方にも、確かに真実を導き出す力がある」
沙耶は頷いた。
「そして、あなたの視点がなければ私は宗教的意味を見落としていた。互いに必要なのよ」
ティオがぱっと笑顔を見せた。
「じゃあ……二人は仲間ってことだね!」
バルドが大きくため息をつき、笑った。
「やれやれ。面倒な学者同士の喧嘩も、少しは役に立つんだな」
こうして――
異世界の考古学者・沙耶と、王都の学術院から来た若き学者・フィリクス。
二人の間に、衝突を越えて初めての信頼が芽生えた。