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風が吹き抜ける。
砂が頬を打ち、外壁のレリーフが一瞬だけ揺らめいて見えた。
沙耶は無意識に胸の奥を押さえていた。そこには、ただの学術的興奮だけではない――深い畏怖が芽生えていた。
けれど、同時に心は震えていた。
「……これだわ」
思わず声が漏れる。
「この神殿こそ、私が生涯をかけて探し求めてきた“失われた文明”の証。考古学者として、この謎を解き明かさなきゃ」
バルドはその横顔をじっと見ていた。
彼女の声には、恐怖よりも強い情熱が宿っている。
普通の女なら泣き出して逃げ出す場面だ。だが、この小柄な異邦の娘は違った。
「お前、ほんとに物好きだな」
低く笑うバルドの声。
だがその笑みは皮肉ではなかった。
「けど、嫌いじゃねぇ。……よし、付き合ってやる。剣は俺に任せろ」
沙耶は驚いて振り返った。
「バルド……」
「学問がどうとかはわからねぇ。だが、お前がそこまで言うなら、きっと意味があるんだろう」
大剣の柄をトン、と肩に叩きつけるように持ち上げ、豪快に笑う。
「俺は護衛だ。お前が“知りたい”って言うなら、そのために戦ってやる」
沙耶の胸に熱いものが込み上げてきた。
異世界に来て、まだ右も左もわからない。
けれど――彼女はすでに、頼れる仲間を得ていた。
「ありがとう、バルド。あなたがいてくれるなら……進める」
沙耶は深く頷き、再び外壁へと目を向けた。
そのときだった。
夕陽が傾き、最後の光が神殿を黄金に染める。
外壁のレリーフに刻まれた“暦”が、その光を受けて淡く輝いたのだ。
「……!」
沙耶は息を呑んだ。
浮かび上がる光の線。それは偶然ではなかった。
星座の配置を模した図形が浮かび上がり、中心に“太陽”が描かれている。
「やっぱり……! これは暦と儀式の地図よ!」
指でなぞりながら、沙耶は震える声で言う。
「災厄を封じたのも、解放するのも……この配置に従って儀式を行うのね」
「解放……?」
バルドの目が鋭く光る。
「つまり、誰かがその儀式を使えば、災厄を呼び戻せるってことか」
空気が一層重くなる。
沈黙の中、二人は顔を見合わせた。
やがて沙耶は、静かに、しかし強く言葉を放った。
「だからこそ、私たちが先に確かめなきゃならない。この神殿の奥に、何が眠っているのかを」
その声には、迷いはなかった。
学者の好奇心を超え、この世界に生きる者としての使命感が宿っていた。
バルドは深いため息をつき、空を仰ぐ。
「……まったく、巻き込まれたもんだ」
だが口元には笑みが浮かんでいた。
「いいだろう。お前の道、俺が力で切り開いてやる」
二人の間に、確かな絆が芽生え始めていた。
そのとき、遠くの村の方角から犬の吠える声が聞こえてきた。
日が沈み、夜が砂漠を覆い始める。
神殿は闇の中に沈み、外壁のレリーフも再びただの石の影に戻った。
だが沙耶の胸には、鮮烈な光景が刻みつけられていた。
光と血と声――古代の儀式の断片。
そして、誰かがこちらを見ているという確かな気配。
夜風が二人の間をすり抜けていった。
砂の匂いに混じって、かすかな歌声が聞こえたような気がした。
「……バルド」
「なんだ」
「明日、あの神殿に入る」
「決まりだな」
バルドは大剣を背負い直し、ゆっくりと歩き出す。
その背を追いながら、沙耶は小さく呟いた。
「――私は、絶対に解き明かす」
闇に沈む神殿を背に、二人は村へと戻っていった。