3
沙耶は壁面を細かく見ていくうちに、ある箇所に目を奪われた。
それは太陽と人々の群像から少し離れた位置に、ひっそりと刻まれた小さなレリーフだった。
円形の台座。その周りに並ぶ人影。そして台座の中央に――刀のようなものを握った人物像。
彼の胸からは細い線が伸び、台座の中心へと流れ込んでいる。
「……これは、血?」
唇から思わず漏れる。
「血だと? そんなに小さい刻みでわかるのか?」
バルドが半信半疑で覗き込む。
「うん。線が台座の“穴”につながっている。おそらく、生贄の血を流し込む儀式よ」
その言葉に、バルドの顔が険しくなった。
「クソッたれ……。人を殺して神に捧げるってのか。やっぱり神殿なんて碌でもねぇもんだ」
「待って。これは単純な人身供犠じゃないかもしれない」
沙耶は指を壁に沿わせながら説明した。
「見て、この刻印。台座の下に刻まれた模様は“渦”を描いてる。血はただの供物じゃなくて、“封印を動かすための触媒”だったんだわ」
「……触媒?」
「そう。古代人は血を“生命の力”と考えた。太陽の光と血の力を組み合わせて、災厄を封じた……そんな儀式体系が、この神殿の核心にあるんだと思う」
バルドはごつい手で顎をかきながら、不満げに唸った。
「光と血で封印か……。信じがたいが、さっきの暦だの災厄だのと繋がってるなら、妙に納得はできる」
「でしょ?」
沙耶は笑うが、その瞳は真剣だった。
さらに視線を移すと、もう一つの場面が現れる。
それは――人々が輪になって歌っているような姿。
口から伸びる小さな線が波紋のように広がり、台座の模様へと注ぎ込まれていた。
「声……? 歌?」
沙耶は一瞬言葉を失う。だが、すぐに思い至った。
「そうか……“声”も儀式の一部だったのね」
「声?」
「ええ。血だけじゃ封印は完成しない。声――つまり、祈りや歌が振動として共鳴し、結界を安定させるのよ」
「……おいおい、歌って封印を守るってのか?」
バルドが呆れ声を漏らす。
だが沙耶は真顔で頷いた。
「科学で言えば、これは“共鳴”の仕組みよ。音の振動が物質に影響を与える現象は、私の世界でも確認されてる。古代人は経験的にそれを知っていて、儀式に組み込んだのよ」
「……まったく、頭が痛くなる話だ」
バルドは額を押さえてため息をついた。
しかし、その口元はどこか楽しげだった。
理解できなくても、沙耶の解釈が“真実”に迫っているのは彼にも伝わっていた。
沙耶は壁面を一歩離れて見渡した。
太陽、暦、災厄、血、声――それらが一枚の巨大な物語として繋がっていく。
「この神殿は、“光と血と声”で災厄を封じるために築かれた。
王は太陽の動きを読み、暦を支配することで人々に畏敬を抱かせ、災厄を封印した……」
その瞬間、彼女の背筋を再び冷たいものが這い上がった。
視線。
先ほどよりもはっきりと、誰かが自分たちを見下ろしているような感覚。
バルドも同時に剣に手を伸ばす。
「……またか。おい、気のせいじゃねぇぞ」
風が吹いた。
砂が壁面をかすめる音に混じって――かすかな声が聞こえた気がした。
言葉ではない。だが確かに、祈りのような、歌のような響き。
沙耶は固く拳を握った。
「やっぱり……この神殿の奥には“まだ何か”が眠ってる」