■第1章:これは夢?
たとえば、魂というものに“かけら”があるとしたら――
ある日、それはひとつの身体から離れ、物に宿った。
記憶という名の風に乗り、想いという名の波に運ばれ、
わたしの“かけら”は、あなたのもとへと辿り着いた。
ただひとつの願いを抱いて。
「帰りたい」――と。
──夢の続きやと思った。
何かがおかしかった。目が覚めても、体の重さや布団の感触が、どこかちぐはぐや。
体を起こし、立ち上がった瞬間──ふと違和感を覚えた。
──視界が、低い。
「……ん?」
オレは思わず、周囲を見回した。
鏡の前に立つ。
そこに映っていたのは──見知らぬ少女。
「……誰や、これ……」
細い首、白い肌。ふわっとした髪と、潤んだような大きな瞳。
よれよれの男物シャツに、安物の柄パンというアンバランスな姿。
鏡に映るその少女は、自分の動きとぴったり同じように手を挙げた。
「うそやろ……これ、オレや」
まったく訳がわからない。
どくん──心臓の音が大きく鳴った。
冷や汗が背中を伝う。
足元のカーペットが妙にふわふわしていて、現実味がなくて、夢のようで──
それでも、感触は確かに“生々しかった”。
記憶は、二日酔いの朝のようにぼやけている。
「あかん……まずは落ち着かな……」
台所へ向かい、冷蔵庫の麦茶を一気に飲み干す。
オレはもう一度、鏡の前に立ち、自分の姿をあらためて確認した。
鏡の前で百面相してみる。目を動かしたり、口を動かしたり、笑ったり、怒ったり、おすまししたり……。
なにこれ、この子の顔、めっちゃ可愛いんですけど。
声を出してみた。
「あー……あー……本日は晴天なり、本日は晴天なり」
アニメ調の、少し高めの声に、自分自身が驚いてしまった。
「声も、かわいいな……」
──って、これが夢やないとしたら……
オレは、机の上に置かれた白いノートパソコンに目を向けた。
そして、昨夜の記憶がよみがえる。
「そや……昨日、ジャンク屋で買ったやつや」
「電源アダプタを自作して、これにプラグを挿し込んで……そして電源スイッチを入れた」
──まさか、こいつのせいなんか……?
頭の中が、ぐるぐるとまわるような感覚。
時計を見れば──11時。
「会社に連絡入れな……」
意識が現実に引き戻される。
今日のシフトは23時から。
このまま無断欠勤すれば、地獄の鬼部長に怒鳴られるのは目に見えてる。
でも──それは“男のオレ”としての予定や。
今は女の子。
スマホを手に取るが、指紋認証が通らない。
顔認証も、当然ダメ。
「……まぁ、そらそうか」
残るは暗証番号入力……記憶まで消えてなくて本当によかった。
ようやくホーム画面が開いた。
電話アイコンをタップし、連絡先一覧から「会社(鬼部長)」を選択。
通話ボタンに親指を伸ばしかけたとき──
「まてまて、今のオレ、女の子やないか」
この声で「大谷ですけど」なんて言えるわけがない。
どうしたらええんや……。
オレはスマホを握ったまま、頭を抱えた。
勤務先は、とある運送会社の物流倉庫。
一日三交代(早番、遅番、夜勤)制で、夏場なんかは地獄のような現場や。
今月のオレのシフトは夜勤。つまり23時までには出勤せなあかん。
もちろん、どうしても無理な日は休める。
せやけど今日は、連休明け一発目の夜勤。
しかも、夏季繁忙期でバイトを増やして対応してる状況やのに、「今日も休ませて」は正直気まずい。
しかもこの会社、「必ず電話で連絡せよ」という昭和みたいなルールが、まだ生きとる。
さっき電話するのを躊躇したのは、電話をかけた瞬間「おまえ誰や?」の未来が目に浮かんだからや。
そらそうや。
女の子の声で「大谷です」なんて言うても、誰も信じてくれへん。
時間はもうお昼。
腹は減ってるはずやのに、食欲もわかん。
「無断欠勤は厳罰」とか、就業規則に書いてあった気もする。
やばい……完全に詰んどるやん。
そのとき──電光石火のひらめきが降りてきた。
「つむぎや……この窮地を救えるのは、アイツしかおらん!」
LINEで妹に連絡を送る。
「悪い、大至急オレのアパートに来て、助けてくれ!」
「詳しいことは来てから」
すぐに返事が来た。
「なんやわからんけどOK、すぐ行く」
つむぎは今、都内の製菓専門学校に通ってる。
将来の洋菓子パティシエを目指してるんやけど、家計の事情で、一度はその夢を諦めかけとった。
それをオレが、「お金のことは心配するな」って背中を押したんや。
もちろん出したのは学費だけやけどな。
おやじのサラリーとオレの稼ぎから出してる。
交通費や交際費にかかる費用は、自分で放課後と休日にバイトを掛け持ちして稼いどる。
それをずっと気にしてて、つむぎはことあるごとに
「いつか必ず恩返しするから」って言うとった。
まさか、その“恩返し”を、オレのほうから頼む日が来るとはな……。
──スマホを置いて、オレはふたたび机の上に目をやった。
原因は──たぶん、あのパソコンや。
昨夜、あれに触れたのが最後の記憶。
物凄い光に包まれて、意識を失って──目覚めたら、オレの体はこうなっとった。
信じられへんけど、無関係とは思えへん。
机の上に置かれたそれは、一見するとごく普通のパソコン。
だけど、あまり市場に出ていないメーカー製で、しかもジャンク品やからか、電源アダプタも付属してへんかった。
だから状態は良さそうなのに、売れ残っていたのかもしれん。
いまは、小さなオレンジ色のLEDが灯って、パスワード入力画面が表示されている。
「……こいつの中に、何があるんや……?」
オレは画面をじっと見つめていた──。