エピソード II
翌日には大隊が動いた。将は組織の副将ロドリオ・クレイオスである。ロドリオは金色の短髪を七三に分けた長身の色男だ。齢十八とまだ若いが、元々マローネ共和国のレナスで軍人をしていた。幼少の頃より常闇の王に傾倒し、近年、力を増したザイン率いるデルスターへ加入した。貴族の出で高等教育を受けており、財力があるばかりか闇を収束し操る技に長けている。
こうなると、ファズールの出番などない。現に休暇を言い渡された。しかしだからといって手をこまねいている訳にはいかず、ファズールは不本意ながら受け入れた休暇を利用して城を抜け、単身アレイスのもとへ馬を走らせた。この行為が裏切りとなるかザインのためとなるかは分からないが、やるしかないのだ。正体が何であろうと、アレイスが危険な存在であることに変わりない限り。
一方その頃ロドリオは、派遣先へ向かう道中でふと、出立前に通路ですれ違ったファズールを思い出し、馬上で小さく舌打ちをした。己の失敗を棚に上げ、恨みがましく睨んでいたが、恨みを込めて睨みたいのはこちらだと。わざわざ片田舎まで大隊を率い、尻拭いに行かされるのは私なのだと。
実際のところファズールは、アレイスがロドリオと対峙した時、どのように立ち回るのか心配していた。それがつい表に出たのだ。つまりファズールに与えた役目をロドリオに渡すのではないか、という懸念だ。他にも心配事はあるが、目下気になるのはそこである。
己が本来いるはずの場所――それは月日と共に遠ざかっていった。才ある者が後からやって来ては、奪っていくからだ。努力してもどうにもならない虚しさを、誰が分かってくれるだろうか。指をくわえて見ているしかない悔しさを、誰が慰めてくれるだろうか。
行き場のない苦しみに、ファズールはもがいていた。アレイスも所詮、役に立たなければ簡単に私を捨てるだろう……そうは思っても縋るしかなかった。ザインの中にもう、自分に寄せる期待が微塵もないことを知っているからだ。
そんなファズールのやり場のない想いをぶつける対象が、たまたまロドリオだったという話だが、ロドリオが汲んでやる義理や義務はない。彼は彼で任務を遂行し、ザインの右腕としての地位を確実にせねばならない。何故なら今、常闇の王に最も近いのはザインだろうと言われており、ロドリオもそう思うからだ。
ロドリオが常闇の王に傾倒し始めたのは、齢七の時である。周囲より一年早く学問を始めたため、七つの頃には大抵の本を読むことができた。その時、常闇の王について書かれた書物と出会い、衝撃を受けた。
ロドリオは物心ついた頃から闇の存在を感じていた。時には視覚的に現れ、ロドリオが望むことを叶えてくれた。例えば気に入らない人間を病気にして屋敷から追い出す、といったようなことだ。罪悪感などなかった。対象は体罰と言う名のもと暴力を振るってくる教師や、隠れて怠けている庭師だ。報いを受けて当然だと思っていた。
だがある時、何故自分にそんな力があるのかと疑問に思い始めた。そもそも、どういう力なのかと。本能的に人に知られてはいけないと思っていたため、誰かに聞くこともできず悶々としていた時に、常闇の王の存在を知った。ロドリオの視界は急に広がり、世界が一変した。
手にした本は一般的な伝記で、世を破滅に導いた邪悪の王であると書かれていた。しかしロドリオは自分の力が何に準拠するものか知りたかっただけなので、邪悪であったかどうかは問題ではなかった。むしろ世を滅ぼしたという圧倒的な力に魅了された。
それからというものロドリオは、親に隠れて常闇の王に関する書物を漁った。数が少なく苦労したが、騎士見習いとして家を出される頃には、四冊集まった。その中の一冊は歴史書だったが、他には見られない興味深い内容が記されている。当時の世相と常闇の王の役割についてだ。
常闇の王が現れた時代――それは戦乱の世だった。暴力だけが支配していた時代と言っても過言ではない。そんな荒廃した世に現れた常闇の王は、人々の心が生み出す闇を喰らい、増幅させた力でその者たちを滅していった、とある。つまり人々は自ら滅びたのだ。そして常闇の王が闇をすべて喰らい尽くしたのちに、天より光が差した。
ここに記されているのは明らかに、世に蔓延る闇を一掃したという事実である。それならば、天より光が差したとき常闇の王が消えたのは、神によって滅せられたのではなく、役目を終えて天に帰ったと見ることもできる。
常闇の王は結局、正義だったのか、災厄だったのか。それは観る者によって変わる。例え歴史が繰り返すことになっても、永遠に議論されることだろう。
ただ過去と違うのは、崇拝組織の存在だ。殊に常闇の王こそ神と崇めるザインは、常闇の王を唯一の王とした世界統一を夢見ている。我こそは右腕と称するのはそのためだ。
ロドリオは目を閉じて、ザインの夢を自分の夢と重ねた。見えるのは、常闇の王の傍らに立つ自分の姿だ。
瞼を上げてからも、ロドリオはいっとき思い描いた夢に酔いしれた。その目は野心に満ちてギラついている。
「今は城で鷹揚に構えているがいい。そこに立つのはこの私だ」