エピソード VII
聖剣騎士に聖剣を振るわせてはいけない。
それはモルスの部下の報告によって決定された最優先事項である。いくら魔物を召喚しても、たちまち滅せられてしまうのでは芳しくない。互いに消耗戦でしかなくなる。命を懸けるのに意味のない戦をするわけにはいかない。
ファズールは重く激しいひと振りを、アレイスへ向けて放った。間髪を入れずに次の一刀を叩きこみ、また次の刃を繰り出す。一瞬の隙も与えず継続することで、聖剣の力を封じようという作戦だ。
アレイスはファズールの一撃一撃を的確に捉えては払い、巧妙な手綱さばきで躱し、時に弾き返した。
聞きしに勝る腕前であると、ファズールは唸った。手加減など一切していないこの猛攻撃を、連続で受け流し耐え得る強靭さは並大抵ではない、と。
「さすがと言っておこうか、聖剣騎士! 我が剣をここまで凌いだ者はそういない!」
称賛の言葉と共に振り下ろされた剣が、大気を鳴らしてアレイスの頭上に迫った。アレイスは聖剣を真横に構えて受け止め、「ちっ」と舌打ちした。ファズールの全体重が込められたであろうその一太刀が重く、払うことができなかったからだ。
ファズールから見れば、受け止められただけでも驚嘆である。この渾身の一撃から身を護れた者は、知る限りザインしかいない。もっとも、ザインは弾き返してファズールに返しの一撃を喰らわせた。訓練試合での勝負であったから峰内ではあるが、その時の痛みは忘れられない。
ファズールとアレイスの剣は、十字に交差したまま、いっとき押し合った。しかしファズールの手応えとしては、わずかに自身の力が上回っている。持久戦ならばこのまま押し切れると信じ、腕に力を込めて、刃越しにアレイスの顔を見下ろした。歯を食いしばり、睨み上げて来るアレイスの両眼は銀色に輝いている。乱れた亜麻色の長髪は陽光に透けて美しく、聖剣の威光に相応しき様相だ。
この者を、一刀両断して鮮血に染め、朽ちていく様を見るのも一興だろう――ファズールは思って勝利を確信した。その時、アレイスが言った。
「ひとつ、聞いておきたい」
ファズールは眉間を寄せた。
「何をだ」
尋ねると、アレイスは口の端を上げた。
「貴様の腹は満たされたのか」
思わぬことにファズールは怯んだ。自分の過去を知るはずのない者が、まるで見てきたような質問を投げかけたからだ。
その隙をつき、アレイスは渾身の力を込めてファズールの剣を払いのけた。
「ぐうっ……! 何故」
反動でやや態勢を崩したファズールが聞き返すも、アレイスは答えることなく反撃の一刀を振り下ろした。ファズールは既の所で躱し、馬の腹を蹴って間合いを取った。その距離が開いた瞬間を見計らい、アレイスは馬首を巡らせ、即行カイルの元へ走った。
「気を付けろ! 本軍の中隊だ!」
カイルは大きく目を見開いた。
「嘘だろ」
アレイスは、援軍はせいぜい直属の中隊か大隊と踏んでいた。カイルも異論はなかった。が、敵は予想に反していきなり本軍を動かしたのだ。
「やっぱり聖剣か」
カイルは推測した。兵力を削られないうちに叩きに来たのかもしれない。否、こちらが考える以上に、ザインの統率力が完璧なのかもしれない。派生組織だとしても、討たれれば報復として本軍が助けに来る、となれば士気が上がる。そうやって人心を掌握しているのだとすれば、大した人物だ、と。
アレイスもおそらく同じ結論に至ったのだろう。あれほど自信満々で尊大な態度を取っていた顔に緊張と焦りが見えている。カイルは意外に思うのと同時に、やたら敵が強いことに納得し、素早く気持ちを切り替え、戦場を駆け抜けながら団員に通達した。
「勝てないと思ったら潔く退け! 本軍の中隊だ!」
最中も、ファズールはアレイスへの追撃の手を休めなかった。執拗に追いかけ、力強い一撃を何度も浴びせた。その強さゆえ、この中隊が本軍のものだと悟れたわけだが、アレイスは応戦しながら思案した。
幹部とおぼしきこの男を、どのように利用すれば最も効果的か、と。
末端に位置する中隊の指揮官であれば、適当にあしらって始末するつもりだった。しかし幹部となると簡単には殺せない。簡単に死んでもくれないだろうが、最大限に生かさねば勿体ない。
そう考えたアレイスは、悪い癖だと思いつつ、急に馬の向きを変えた。追いかけて来るファズールに突進する形を取ったのだ。
唐突な行動に、ファズールは驚いて手綱を引いた。アレイスは聖剣を掲げて光を集め、集まった光の端を食いちぎった。その光景はファズールの目に、まるで時がゆっくりと流れるように映った。
戦場に光の輪が衝撃波のように広がった。一帯が真っ白に染まり、敵味方どころか、手綱を握る己の手さえ見えなくなった。しばらくは馬のいななきが聞こえていたが、それも消えた。不思議なことに眩しくはないのだが、周囲にいるはずの馬の気配も人の気配も感じられなくなった。
「何が起きたのだ」
ファズールが動揺していると、不意に目の前にアレイスが現れた。神々しいまでの輝きを放ってはいるが、表情はどことなく意地が悪い。
「……貴様、一体何をした」
アレイスはニヤリと笑って答えた。
「他には聞かれたくないことだったのでな。お前も問答無用で斬りかかってくる。落ち着いて話もできない」
「ふん、貴様と話すことなどないわ」
「それはどうかな?」
アレイスは少し顎を上げて、見下ろすような視線をファズールへ投げた。それを挑発と受け取ったファズールは剣を構えようとしたが、そもそも手元も見えない状況ではどうしよもないことだった。アレイスに目を戻すと、ファズールの様子を見て嘲笑っていた。
「幹部とはいえ、中隊長か。ザインはさほどお前を重要視していないようだな」
「何を! 貴様!」
「理由は分かる。お前は闇を集めるだけで、操れない」
「なっ……」
「集める闇も――まあ、不味くはなさそうだが、美味そうでもない」
「…………はっ」
ファズールは急に寒気がして、肺の空気を全部吐いた。
「なん、だと?」
アレイスは顎をつまみ、ファズールを観察し、不敵な笑みを浮かべた。
「私はもう、よほどのものでないと喰う気はない。だがザインという奴を見てみたい気はする。その闇が、未だに私の食欲をそそるのか……」
アレイスはゆっくりとファズールに近づき、顔を寄せて言った。
「お前が役に立てるとしたら、ザインを私のもとに連れて来ることだろうな。ただし、私のことを言ってはいけない。正しく見極めねばならんからな。その資質を。この意に反して告発すれば、私はお前を容赦しない。だが役に立つなら生かしてやろう。この先も、ずっとな」
アレイスが離れると、戦場の景色が一瞬にして帰って来た。
ファズールは大量に冷や汗をかき、震えていた。アレイスの言葉が脳裏に焼き付いている。その声は、深淵の闇からもたらされる不協和音のようだ。
辺りを見渡すと、魔物が一掃されている。先ほどの白い光が大地を浄化し、術師が召喚できなくなったのだろう。敵はわずか八十名の騎士。魔物なしでやってやれないこともないが敵将が悪すぎる、とファズールは腰元の角笛を手に取った。撤退の合図だ。振り返って見やると、騎士団も退去し始めている。その最後尾でアレイスが、ファズールを見やって微かに笑った。ファズールは身も心も凍り付き、生きた心地もなく隊を引き連れ地を去った。