表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
常闇の王 サイラス  作者: 礎衣 織姫
第一章 怒れる者たち
6/29

エピソード VI

 開戦時には東に輝いていた太陽が、最も高い南の空から地を照らし、やがて西に少し傾いた頃。敵の援軍が、撤退したモルスの兵と共に現れた。中隊規模であり、将はファズールという、熊のように大きく、岩のように屈強な男である。自らの兵を背に控えさせたファズールは、馬の腹を軽く蹴り、迎え撃つ騎士団の前へ出た。

「……貴様が聖剣騎士か」

 騎士団の中心かつ先頭に立つ馬、その背に乗る男にファズールは問いかけた。およそ戦場には似つかわしくない風体である。肩まである髪を束ねもせず、兜もかぶらず美しい面差しを晒している。しかし手に握られているのは、まごうかたなき聖剣だ。太陽で鍛えたかのような輝きが放たれている。

「モルスはどうやら、その剣にやられたようだな」

 ファズールが言うと、アレイスは片眉を上げた。

「剣にやられたのではない。私にやられたのだ」

 不服そうな物言いに、ファズールはニヤリと笑った。

「聖剣を取る前は、苦戦していたようではないか」

「ナマクラと素人兵相手に何を言う。だが結局、こんな辺境の村も落とせず今に至ったのだ。私はそちらがグズグズしている間に力をつけ、玄人の兵力を整えた。つまりは私にやられたのだ。ここは貴様が自分の無能さを嘆くところであって、聖剣を称え、私を否定するところではない」

 ファズールは頬を引きつらせた。

 美丈夫は気位が高そうなうえ饒舌に悪態をつく。聖剣騎士というからどのような聖人かと思って来てみれば、なにやらきな臭くなってきた。聖剣は正当な理由で手に入れたものではないか、何かの手違いだろうという疑念が、胸に湧いて出る。しかしこの際はどうでもいいことだ。むしろ偽物であるほうが有り難い。聖剣騎士など、常闇の王サイラスの復活においてはただの障害だと、ファズールは気を取り直してアレイスを見据えた。

「……おのれが何者であろうと、我らを阻むのであれば倒すのみ。覚悟しろ」

「ふん、やれるものならやってみろ。常闇の王を復活させようなどと考えている頭のおかしな連中に負けはせん。ましてそのために民を苦しめるなどもってのほかだ」

 互いの口上が終わり、共に剣を構えると、天に響く雄叫びと同時に大量の蹄が地を揺るがした。開戦である。

 八十名程度の一個小隊。いかに聖剣騎士が率いているとはいえ、中隊規模の我が騎兵隊相手に勝てるわけがない、とファズールは高を括っていた。一人残らず馬から叩き落し、その血をやがて常闇の王が治めるこの大地に捧げてやると意気込んでいた。

 所詮は力だ。誰もが人より秀でることを求め、秀でることで他を蔑み、自尊心を保っている。そのことを孤児院で悟った少年の頃、ファズールはこの世で最も強い力とは何か模索した。金か、地位か、権力か……どれでもあればそれなりに力となるだろう。だが決定打に欠ける。金は使えば失われるし、使わなければ意味がない。地位も権力も奪ったり奪われたりである。不動のものでない限り、最強とは言い難い。では不動の力とは何か。「それはやっぱり神だろう」と答えた者がいた。しかしあいにくファズールは神を感じたことなどなかった。


 子供の頃、いつものように腹を空かせていると、孤児院の仲間がパンをいくつか持って来た。先生には内緒だと言う。どこから持って来たのかとファズールが尋ねると、店番の隙をついて持って来たと言った。つまり盗んで来たのだ。仲間は言った。

「食えよ。腹減ってるだろ?」

「……うん、でも」

「悪いなんて思わなくてもいいんだ。子供が腹空かせてるんだぜ? 大人なら施しをするのが当たり前だ。そんな当たり前のことが出来ない大人が悪いんだ」

 ファズールは「なるほど」と思って食べた。このことはのちにバレ、大人たちは「悪事」だと言った。ファズールは納得がいかなかった。大人には本当の悪が分かっていないのだと思った。

 結局仲間は他の孤児院に移され、ファズールもしばらく謹慎処分をくらった。暗くて寒い反省室に三日閉じ込められたのだ。その闇の中でファズールは、長く言い伝えられている常闇の王の話を思い出していた。常闇の王は闇を喰らうという。ならばこの部屋に立ち込めている闇も食べてくれるだろうかと考えた。闇が喰らいつくされれば、きっと明るくなるだろう、と。

 二日目の朝、お腹が空いてどうしようもなかったファズールは、思考を停止させて、粗末な布の上にただ転がっていた。反省室にいる間、与えられるのは三杯の水だけだ。盗みをして腹を満たした罰だという。世の中の大人の考えることは、哀れな子供をより哀れにすることなのだろう。ファズールは何もない闇を睨みつけて、三日目の朝を迎えた。

「あと一日。今日一日我慢すれば、ここから出られる」

 ファズールは自分を元気づけるように何度も心で呟いた。

「けどまあ、ここを出たって、相変わらず毎日ひもじいんだろうな」

 そんな悲観的な考えも浮かぶ。そもそもひもじいから食べ物を盗んだのだ。

 そう思い至ると、ファズールの胸に沸々と怒りが湧いて来た。

「くそったれ! くそったれ! くそったれ!」

 残る体力を振り絞るように、ファズールは叫んだ。叫びには、どうにもならない苦しみと、大人への殺意があった。

 四日目の朝、目が覚めると扉が少し開いていた。解放しに来た大人が、自分が寝ているのを見て起こさずにおいてくれたのかとファズールは思った。その優しさがあるならパンのひと切れでもくれればいいのにと思いもしたが、孤児院も貧しいのだろうと理解することにして、部屋を出た。

 飛び込んで来た外の景色に、ファズールは硬直した。反省室だけが床にポツンと置かれた箱のように綺麗に残っていて、他のものは跡形もなく消えていたからだ。

「……は?」

 困惑が声になって漏れた。孤児院があった場所は、真っ平な土地になっていて、草木は一本も生えていない。囲うものを失った塀だけがある。

 何が起こったのか、ファズールには全く理解できなかった。理解できるはずもなかった。水は昨日まで、きっかり三回運ばれて来た。ということは、昨晩まで孤児院は存在していたのだ。むろん、孤児院に住む管理者も教師も子供もいたということになる。つまりすべては一夜にしてなくなったのだ。

 ファズールが途方に暮れていると、不意に、塀と共に取り残された門に人影が現れた。黒髪と黒目の精悍な顔立ちをした、たくましい青年である。青年はファズールに歩み寄ると、笑顔で話しかけてきた。

「起きたか。腹が減っただろう。食べさせてやるからついて来い」

 当然のことながら、ファズールは戸惑った。

「あ、あの……」

 青年は踵を返して進ませかけた歩を止め、再びファズールに向いた。

「ああ、自己紹介しなくてはな。俺はザイン。今日からお前の後見人になる。望めばな。ついて来るなら飢えさせはしない。毎日腹いっぱい食わせてやる」

 ファズールはポカンと口を開けて、ザインと名乗る青年を見つめた。

「どうして」

 至極普通の質問に、ザインは笑って答えた。

「お前に才があるからだ」

「……才?」

「闇を集める才だ」

 空腹の辛さと大人への憎しみが、闇を収束させたのだとザインは説明した。ザインはファズールが集めた闇でもって、孤児院を消滅せしめたのだ。連れていかれた場所には、孤児院の子供たちがいた。子供たちだけがいた。ファズールは子供心にも、大人は孤児院と共に始末されたのだと察した。

「子供が苦しまない社会を作るには、破壊が必要だ。一度この世界を破壊しなければ正しい世界は生まれない。そのためには、常闇の王を復活させなければならない。闇を集めて自在に操る材器がこの役割を果たせる。どうだ? その才能で俺と一緒に世界を作り直さないか?」

 ファズールは躊躇いながらもうなずいた。理想を語る青年は、自分に才能があると言ってくれる。毎日たらふく食べさせてくれるとも言う。身寄りのない子供が生きていくために選べる道もそれほどないので受け入れるしかなかったが、後悔はなかった。必要とされていることが嬉しかったからだ。

 また、常闇の王を復活させるという目的に抵抗がなかったかと言えば嘘になるが、世の中の大人は本当に悪いことと良いことの区別もつかない盆暗ばかりだ。その大人が悪としているのなら、実際は善かもしれない、とも考えた。何と言っても、常闇の王には揺るぎない力がある。このような後世まで語り継がれるほどの力だ。それは自身が探し求めた不動の力ではないか――ファズールは思い、顔を上げた。ザインは陽光の下で笑っていたが、瞳は深い闇を抱えていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ