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常闇の王 サイラス  作者: 礎衣 織姫
第五章 深緑のアラバスタ
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エピソード VII

 極限まで高めた集中力と渾身の力は、成すべきことを成してくれる――カイルの一刀はそれを証明したと言えるだろう。一振りで肉と骨を断ち、痛みと出血を最小限に抑えることは、最悪な手段の中での最善である。

 アレイスは自分の右腕が地へ落ちる前に左手で掴み、空に掲げた。右腕は強烈な光を放ち、数秒も経たぬうちに剣へと変貌を遂げる。カイルやエルフらが眩しさに目を閉じ、再び開いた時には、すでに聖剣としての姿を現し、太陽で鍛えたかのような輝きを見せていたのだ。

 聖剣を得てやや安堵したアレイスだったが、さすがに(こた)えて片膝をついた。エルフの救護班は、アレイスが腕を切り落とすと決めてから即座に対処できるよう待ち構えていたので、素早く駆け寄り、傷口を清潔な包帯で覆った。

「大丈夫か」

 エルデが心配して寄ると、アレイスは苦痛に歪んだ顔でうなずいた。

「ああ。傷自体は二、三時間もあれば塞がる」

「まさか」

「神器になるだけあって、外傷には強い造りになっている」

「そ、そうなのか」

 そこへカイルも駆け寄った。

「戦えますか?」

「……心配するな。お前は私を知っているだろう?」

 それは常闇の王にして光明の王ということに関しての問いだ。これまでの言動から察するに、魔物は聖剣騎士、あるいは光明の王の力でなければ倒せない対象である。聖剣でもって光明の王の力を制御し、かつ聖剣の力も活用して戦うということであれば確かに問題はなさそうだと、カイルはうなずいた。

「僕にできることがあれば言ってください」

 アレイスは「はっ」と笑った。

「無論、手は借りる。剣術は弓術より自信がない上に、片腕に慣れるまで均衡を取れない。おまけに左利きでもない」

「はあ?」

 カイルは驚きと呆れの入り混じった声を上げた。

「全然ダメじゃないですか!」

「お前を当てにしているんじゃないか。聖剣でなければ太刀打ちできないのも事実だ。頑張れ」

 九割他人事のような口振りにカイルは面食らい、その場にへたりこんだ。アレイス一人に戦わせる気は毛頭ない。が、期待もしていた。腐っても鯛。片腕がなくても常闇の王だ。

 カイルは無意識に、拳を胸に当てた。期待している――その自覚が苦しかった。アレイスを見やると、心なしか髪の色が明るい。光明の王に近いと言っていたが本当に近づいているのだろうかと、カイルは眉をひそめた。


 待機すること二時間。傷が塞がったのか、痛みが落ち着いたのか、アレイスはスッと立ち上がり、聖剣を構えた。生成されて間もない聖剣は、聖都にある聖剣より数段強い輝きを放っている。

 エルフらは未だ信じられない気持ちで、アレイスと聖剣に釘付けになっていた。右腕を失った麗人の痛々しい様子と、鋭く澄んだ光を放つ聖なる剣。その立ち姿の美しさは、目をそらした瞬間に消えてしまう幻のように思えた。

 カイルはといえば、両膝を立てて地べたに座り、目元を腕で覆ってうつむいていた。魔物討伐専門とはいえ、時には人を剣で斬ることもある。そういう職務に就いている認識はある。だが仮にも仲間である者の腕を切り落とす事態に陥ろうとは、夢にも思わないことだった。たとえエルフを救うという大義名分があったとしても、本人から言い出したことだとしても、覚悟してやったことだとしても、後悔は残る。

 しかし、それはもう選択され、終わってしまった。過ぎたことを悔やんでいても仕方ないと、カイルは大きくため息つき、力を込めて立ち上がった。

「手を貸すのはいいんですけど、具体的に何をすればいいですか?」

「そうだな、とりあえず右と後方を護ってもらえればいい」

「なんか普通ですね。大丈夫ですか?」

「倒れたら起こしてくれ。迅速にな」

「分かりました。心得ます」

 カイルが応えると、エルデが割り込んで言った。

「私も可能な限り手を貸そう。ここまでして貰って、見ていただけという結果になることは避けたい」

 エルデの瞳には悔恨の色が滲んでいた。アレイスが片腕を失うことになった原因は己らにある、と。全ては、助けを求めたにもかかわらず過剰な警戒をした結果だ。世の安寧を知りながら、外界との交流を頑なに拒んだ因果とも言える。

 カイルは、珍しく厳しい眼差しを向けて応えた。

「僕がエルフでも、そうしないと自分が許せませんよ」


 頭が二つから三つになったというだけで、それほど大差ないだろうと思う者もいるに違いない。しかし同等だったところで双方の剛健さは変わりない。そして現実は格が一つ二つ上である。

 大地を踏みしめる重さも、空気を薙ぐ爪の鋭さも、段違いの強さだ。おまけに口から火を噴く。

 熱波のように放たれる火炎を、地面へ飛び込むようにして避け、前転して受け身を取りつつ、体を起こして聖剣を構える。片腕を失ったばかりとは信じられない立ち回りを見せるアレイスだったが、ここまでの道のり、聖域の展開、オルトロスとの対峙、腕の切断による出血――体力の消耗がどれほどかは推し量れる。カイルやエルデは無論、他のエルフたちも火炎の熱気で汗だくになりながら、アレイスを懸命に援護した。よろめけば支え、ケルベロスの気を散らし、聖剣を振るべき場所への道筋を確保する。

 だが敵もさるもので、聖剣騎士に攻撃する隙を与えまいと、爪で大地を削いでは土埃を巻き上げて視界を遮り、大きく跳躍して間合いを広げる。懐へ飛び込もうとすれば火を噴いて牽制してくる。そのような具合なので、聖剣の切っ先を掠らせるのがやっとで、致命傷はおろか、動きを鈍らせることすら出来ないでいた。

 アレイスの息も徐々に上がってきている。肩を揺らしながら呼吸を整えつつ隙を狙ってはいるが、ケルベロスの攻撃を躱すことも怠れない。どう考えても近接では苦戦する相手だった。

「あの矢! 本当に駄目なんですか!」

 カイルは咄嗟に問いかけた。アレイスは一度だけ首を横に振った。

「少しでも効果があるなら、腕を斬らずに粘りもしたが、こいつには効かない」

「何が違うんですか?」

「対価が違う」

 カイルはやや血の気をなくし、口を半開きにしたまま、アレイスの右肩を見つめた。一瞬だが、体感的には数分だった。血が滲む包帯――その先に伸びていた腕はもうない。対価とはつまり、神に捧げる身体の部位である。

 カイルはやるせない気分で大きく息を吐いた。

「信じられない」

「ん?」

「信じられません。それじゃ貴方はまるっきり……まるっきり神の道具だ」

 アレイスは軽く眉根を寄せた。

「そのつもりだが」

「はあ? 本気で言ってるんですか!」

「避けろ!」

 アレイスは叫ぶと同時にカイルを突き飛ばし、その反動を利用して逆方向に飛び退いた。瞬間、灼熱の炎が駆け抜ける。カイルは地面に転がったが、アレイスの身体はエルデが受け止めた。

「無事か!」

「お陰でな」

「立て直すぞ!」

「ああ」

 エルデはアレイスを支えながら、一旦聖域へ退避した。カイルも素早く起き上がり、注意を払いながら聖域へ戻った。

「飲むか?」

 エルデは水筒をアレイスへ渡した。アレイスは素直に受け取り、一口飲んだ。そこへカイルが歩み寄って言った。

「この結界、いつまで持つんですか? 結構経ってる気がするんですけど」

「血が混ざったから今夜中は持つ」

「うっ……、血まで使えるんですか」

「便利だろう。神に感謝するんだな」

「やめて下さいよ。今、微妙に腹立ってるんですから」

「お前は信心深いと思っていたが」

「僕もそう思っていました。だけど……」

 カイルが目を伏せかけると、アレイスは口の端を皮肉げに上げた。

「勘違いするなよ」

「え?」

「人間に自由意志があると思うな。そんなものがあるとするなら、それは神の道を()かない時だ。だが一度その道に足を踏み入れたなら、我を捨て、道具に徹しなければならない。一見、前者は自由だ。しかしそれはあくまで見せかけの自由。神の道に背いた自由は悪魔の囁きだ。カルマを生み、結局は地に縛りつけられ、いずれ雁字搦めになって身動き取れなくなる。真の自由とは、一度全てを捨て、神の道具に徹した先にこそ得られるものなのだ」

「……貴方は、自由なんですか?」

「誰もが畏れなければならぬ神を、唯一畏れる必要がないという点ではな。だが私もまだ、彷徨っている」

 言って穏やかに微笑むアレイスを、エルデは熱い眼差しで見つめた。「さすが聖剣騎士の名を冠する男だ」と。空気を察したカイルは苦笑した。アレイスが決して、エルデが想像するような男ではないことを知っているからだ。

「それより、どうするんですか、あれ」

 エルデはケルベロスを一瞥してカイルに視線を戻した。アレイスは、

「どうしたものかな」

 と聖剣を眺める。カイルはそのアレイスを眺めて意見した。

「閃光は? 前に魔物と対峙した時、やっていましたよね」

「これはあくまで右手に依存している力を制御する媒体だ。もともと地上に加護を与える道具だからな。見た目は剣だが、本質は盾だ」

「……つまり、あれは聖剣の直接の力じゃないってことですか」

「ああ。だからあの時と同じというわけにはいなかい。こいつは奴の心臓に直接突き刺すほうが早いし確実だ」

「では、どうやって奴の心臓に届かせるか、もっと確実な作戦を練らねばなるまい」

 エルデが言い、アレイスとカイル、エルフの小隊は、膝を突き合わせて案を出し合った。


 包帯を取ると、アレイスの傷は完全に塞がっていた。欠損部分は取り戻せないにしても、傷自体はものの数時間で完治する――それはロウザ・リリ―の話と合致する事実だった。

 その包帯を何本かに切り分け、数人のエルフに持たせる。アレイスの血の匂いによって、ケルベロスの注意を分散しようと言うわけだ。鼻が利くケルベロスはさほど視力が良くない。聖剣の輝きと血の匂いを辿って応戦しているのであれば、勝機はある。

 アレイスは聖剣を一旦封印することで気配を消し、火炎を避けるため後ろへ回り込むことになった。なにしろ巨体だ。火炎や前足の攻撃を避けられれば、腹の下に潜り込むのは容易である。問題は胸部までどうやって聖剣を届かせるかだ。

 ケルベロスの身の丈はおよそ三十フィート、足の長さは約十三フィート、地から胸元までは少なくとも十フィートから十二フィートある。アレイスの身長が五フィート十一インチで、聖剣がおよそ四十インチ。この距離を越えて要領よく刺せたとしても、聖剣が心臓を貫く保証はない。皮膚や筋肉の厚みによっては掠りもしない可能性がある。その場合はどうするのかカイルが質問すると、アレイスは「そこはまあ、例の力を使う」と耳打ちした。カイルも思わず声を潜め、口元に手を添えて聞き返した。

「大丈夫なんですか?」

 カイルの心配は、正体が知られないかどうかだ。アレイスは口角を上げて応えた。

「上手くやるさ」

 その様子をやや訝しげに見ていたエルデが咳払いして注意を戻し、

「結局どうする。奴を横倒しにでもしなければ、胸部を狙えまい」

 と問い、アレイスはうなずいた。

「横倒しに出来るくらいなら、そもそも心臓を狙う必要はない。その程度の怪物ではないから、この問題に陥っている」

「そ、そうか。で、手立てはあるのか」

「跳躍するには限界がある。だから術法を利用する」

 エルフの間に緊張が走った。

「術法だと?」

「お前たちが恐れている術法は数ある内のひとつだ。ほとんどが脅威ではない」

「……どう使う?」

「私の身体を一時的に軽くする。誰か一人、私と共にケルベロスの腹の下へ潜り込んで投げてくれ。腕力と命中率に自信のある奴がいい」

 すると体格のいいエルフの男が手を上げた。

「心臓目掛けてお前を投げればいいのだな?」

 アレイスはその男に目をやって、うなずいた。

「そうだ」

 エルフの男はニヤッと笑った。

「面白い作戦だ。気に入った。オレがやろう」

 本当に作戦が面白いと思っているのか、アレイスを投げることに興味があるのか分からないが、話はまとまった。後は実行あるのみだ。


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