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常闇の王 サイラス  作者: 礎衣 織姫
第一章 怒れる者たち
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エピソード III

 実際、アレイスが送ったものだけではなく、方々から助けを求める封書は届いていた。それが半年分となると相応の量である。若き神皇帝ヴァローア・キャスリオンと聖女エリ・フォルゴールは互いを見て深いため息をついた。

 ブロンズで縁取られたガラステーブルの上には、とうに目を通していなければならなかった封書の山がある。透明な水色の石材を磨き上げて贅沢に敷いた美しい床、頭上から垂れている可憐な藤の花――普段なら茶会を楽しむ庭園だ。しかし今はそれどころではない。こうしている間にも、魔物に襲われて苦しんでいる人々がいる。その事実に二人の胸はかつてないほど痛んだ。

「信じられませんわね、こんなこと」

「ああ、まったく」

 憤懣やるかたない様子の神皇帝は、最近帝位継承したばかりの、齢十九というとても若い青年である。栗毛に黒目、よく整った爽やかな面差しで、優しい人柄から民に人気があり、聖女様と良い仲なのではという噂までされ、みなが暖かい目で見守っている、将来有望な統治者だ。

 そんな神皇帝ヴァローアが怒っている顔を見せるのは非常に珍しく、エリは少し驚いたが、今回ばかりは仕方ないとも思った。イーグル家といえば古くから騎士として皇帝に仕えて来た由緒ある家柄だ。それが裏切り行為に等しいことをしたとあっては、面目がない。

「それにしても、あの聖剣騎士はああ見えて寛大なのかも知れませんわね」

「と言うと?」

「問題のミハイルは解雇処分のみで、その息子を副団長に任命したのですもの。結果的には許したことになりませんか?」

「言われてみれば……やはり神の加護の賜物か」

「神には忠実、とおっしゃっていましたわね」

「どんな状況でも、神の威光を優先したというわけか。さすがに聖剣を授かるだけあって、信仰心は本物なのだろうな」

「ええ、それに」

 とエリは何か言いかけて、口を閉ざした。ヴァローアは「なんだろう」とその顔を見たが、エリはそっと視線を落とした。だが、彼女が言いとどまった理由を探るのに、ヴァローアはさほど労を要さなかった。すぐにアレイスの顔を思い出したからだ。

「……まあ、神に選ばれるだけあって、そう滅多に見ない美貌ではあったな。光明の王というのがこの世に現れたとしたら、あのような姿に違いない」

 エリの気持ちを素直に代弁したヴァローアに対し、エリは少し恥ずかしくなって、紅潮した左右の頬を綺麗にそろえた両手の指先で軽く隠した。

「ごめんなさい」

「いいんだ。ただの感想なのだから。謝ることはない」

 ヴァローアはいつものように優しく微笑んだ。その顔を見てエリはほっと胸をなでおろした。

「私は貴方に、甘えてばかりね」

「君は大変な役目を担ってくれている。私にくらい、わがままを言っていいんだよ」

 エリは、はにかみながら微笑んだ。

「ありがとう。さあ、頑張って目を通しましょう」

「ああ」


「……なんとも、初々しいというか、清々しいというか、可愛らしいと言うべきか」

 神皇帝と聖女の様子が気になって見に来たアレイスは、物陰で腕を組みつつ、半分呆れた声を上げた。一緒に見ていたカイルは、そんなアレイスの言動に辟易して軽く奥歯を噛んだ。

 団員に真相を告げ、辺境で何が起こっているか、戦況はどうであるのか、事細かに説明させられたばかりである。仲間たちの失望と、父に向けられる非難とを一身に受け止めながら前に立つ苦痛は、父ミハイルに対するアレイスの報復であろうが、「だからといって、なんという慈悲のなさだ」とカイルは思った。さなかもアレイスは、あからさまにカイルの発言を監視している様子で立ち、団員にも厳しい目を時折向けていた。そんな高圧的な態度も相まってか、はじめはカイルを通してミハイルを誹謗中傷していた者たちも、しまいにはカイルを気の毒に思い、慰めた。

「お前は悪くない。すべてミハイル団長の責任だ」

「それにしても、とんでもない奴が来たものだ。あんな奴が団長になるとはな」

「聖剣に選ばれたというのが、未だに信じられん」

 しかし何と言っても気がかりなのは、これから騎士団を率いて恐ろしい敵に立ち向かわねばならないということだ。世の中が平和なおかげで全員たいして実戦経験がない。にもかかわらず、それらの事を持ち込んだ男は涼しい顔で横に立っている。

 ほんの二、三日の間に怒涛のごとく起こった変化で身も心も疲れ切っていたカイルは、妙に腹が立った。

「あの純粋さがいいんです。貴方には分からないでしょうけど」

「なんの、私も久々に心洗われる気分だ。そう棘のある言い方をするな」

「貴方に言われたくありません」

「そうか。ではもう言わん。私も改めない。さて、二人は放っておいても大丈夫そうだから、早々に出立するか」

 カイルは息を吐いて肩を落とした。

「光明の王になると豪語したのに、そんなのでいいんですか? 大切でしょう、純粋さとか、清らかさとか」

「守るためとはいえ、方々で魔物を狩りまくった私が純粋で清らかなわけがない。あの二人に魔物が倒せるか?」

「いや、まあ、それはあれですけど。光明の王って、至上の光をもたらすんですよね? やっぱりそれって聖なる力なわけで」

「理屈を言えばな。だがこれに関しては資質だ。私はそのように出来ている。神がそう望んで創られたからだ。まあ、ていよく押し付けられた感は否めんが」

「言い方。というか、本当に本気で光明の王に?」

「それが宿命なのでな。神には逆らわん」

「……なんか、冗談みたいな話ですね」

「冗談だったら良かったな。さあ、こんなところでいつまでも無駄口叩いている場合じゃない。行くぞ」

 踵を返したアレイスの後ろ姿を、カイルは奇妙な気持ちで見つめた。腰元に輝く聖剣がアレイスを選んだ理由は、光明の王になる資質があるためかもしれないが、今のところそれ以外が全て不相応と思うからだ。古来より帝都を守り続けてきた聖なる剣が、このような者の手に渡ろうとは世も末だ、と。しかし――


 都市ラマスを出立して一週間後。

 魔物討伐のため南西の端にある小さな農村にやって来た騎士団の一小隊は、旗を振って迎え入れられた。

「アレイス様だ! アレイス様が騎士団を連れて帰って来たぞ!」

「アレイス様!」

「アレイス様!」

 老若男女問わず、歓喜の声とともにアレイスの名を連呼する。アレイスはそんな歓声の波の中、馬に乗ったまま聖剣を鞘から抜き放ち、掲げて見せた。

「約束通り、聖剣を賜った! 一帯の魔物を一掃し、平穏を取り戻すぞ!」

 アレイスが声高々に宣言すると、村人は一斉に沸いた。

 カイルは驚きをもってその光景を眺めた。アレイスはとてつもなく勇者然としている。傲岸不遜な様子は微塵もない。入団式のあれは何だったんだと放心するばかりだ。だが喜んで出迎える村人に優しく微笑むアレイスを見て、あれは怒り以外の何物でもなかったのだと理解した。騎士団が一向に助けに来ないのでしびれを切らせ、聖剣を奪い、強引に連れて来た。アレイスにそこまでさせたものとは何か。答えは目の前にある。よく見ると村人は満身創痍だ。片腕を失った者、車いすに乗った者、顔に傷のある者――子供でさえ、その憂き目に遭っている。

 団員は唇を嚙んで目を伏せた。ミハイルの罪の重さは、何も息子のカイル一人に背負わされるものではない。不正を監視できなかった全員に責任がある。

 アレイスは馬を降り、寄って来た若者に声をかけた。

「私が離れている間、変わったことはなかったか」

「相変わらずデルスターの一派が魔物を引き連れ、周辺をうろついているようですが、聖剣の鞘で張ってくださった結界のおかげでなんとか」

「さっさと頭を叩きたいところだが、出てくるのはまだ下っ端か」

「はい、そのようで」

 アレイスは肩で息をついて、聖剣を鞘に納めた。

「とりあえず手に入れるものは入れた。この威光を見せつければ、大将が出て来るかもしれない」

 若者はゴクリと息をのみこんだ。

「もし出てきたら、私たちはどうすれば」

「何のために騎士団を連れて来たと思っている。お前たちはもう充分に戦った。本戦は私たちに任せて、ここで待機していろ」

「ああ、はい、まあそうなんでしょうけど、大丈夫なんですか? 彼ら」

 村人の惨状を見てすっかり青ざめている騎士団を、若者は心配そうに見やった。その目線を追ったアレイスは軽く舌打ちした。

「ここで実戦を重ねて鍛える。腐っても騎士。素地は固まっているのだから問題ないだろう。特にあの男」

 と言って、アレイスはカイルを指さした。

「神皇帝、聖女に次いで神の加護を受けている。期待は出来る」

「おお」

 若者は目を輝かせてカイルを見た。随分と若いが騎士たる騎士という風貌である。魔物が襲ってくるようになって以降、武力も大事だが、何よりも神の加護が重要であることを学んだ。ただの武器では何度も斬りつけなければ魔物は倒れない。しかし強い加護を受けた者か聖なる力を宿した者が振るえば、邪は一撃で滅せられる。村にも二人ほど他より強い加護を受けている者がいて、今回は役に立った。とはいえやはり多勢に無勢すぎるので、騎士団を連れて来るという結論に至ったのだ。

「とにかく、今日はお疲れでしょう。皆さんを宿に案内いたします」

「頼む」


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