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常闇の王 サイラス  作者: 礎衣 織姫
第五章 深緑のアラバスタ
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エピソード II

 常闇の王が世に現れた時、エルフのノードを治めていたのはグロウサーという男だった。見た目は三十前後だが、千年余り生きている。このグロウサーを祖父に持つオルドは、まだ十六の少年であったが、いずれ長老の仕事を引き継ぐ運命にあったので、ナハトと同等の教育を受けていた。今はその予行練習として十代の少年少女らをまとめる立場にある。

 栗色の短髪で背が高く、爽やかな印象で、顔立ちもいい。頭も良く、誰にでも優しい。穏やかな性格のせいか大人びていて、判断力に長け、冷静過ぎるきらいもあるが、評判は上々だ。多くの少年がナハトを見初めていたが、最終的に婚姻を結ぶのはオルドだろうと、みな口にこそしないが思っていた。

「ねえオルド、この花とこの花は同じでしょう?」

 今年四つになる少女イーシャが摘んで来た花を見せながら尋ねると、オルドはしゃがんでイーシャと視線を合わせ、微笑んだ。

「そうだよ。同じ種類の花だよ」

「同じなのに、なんで色が違うの?」

「花にだって個性があるんだよ」

「でも同じ色のはそっくりよ」

「よく見てごらん。そっくりだけど、茎の長さも葉っぱの数も大きさも、少しずつ違うだろ? どんなに似ていても、全く同じってわけじゃないんだ。逆にどんなに同じでも、似ていないことがあるんだよ。イーシャ、君とマリンは双子でそっくりだけど、髪の色が少し違うだろ? そして僕らは同じエルフだけど、年も顔つきも違う」

「そうか! お花もわたしたちと、おんなじなのね!」

「うん。だから大切にね」

「わかった!」

 オルドは優しくイーシャの頭を撫でた。春の日差しのような光景に周囲の者は和まされ、「オルドはいずれナハトと結ばれて、いい長老になるだろう」とうなずき合った。

 しかしオルドはナハトとの将来を微塵も考えてはいなかった。ナハトのことなら親友のバートが熱心であるし、ナハトの気が自分にないのも知っている。なにより、彼はもっと別なことに夢中だった。

 オルドはその日もいつものように年少組に読み書きを教えたあと、家へ帰って自室にこもった。ドアの錠をしっかりと下ろしたあと、机に向かい、今朝やっと手に入れた新聞を懐から出して広げる。新聞は人間が発行しているもので、エルフが入手するのは困難だが、次期長老の権限を使って諜報員から融通をきかせてもらったのだ。

 紙面を眺めていたオルドは目を輝かせ、満面の笑みを浮かべた。憧れの英雄を目の前にした幼い少年のような顔だ。

「……凄い。なんて規模だ」

 そこには西大陸の地図が描かれており、最近計測された被害の範囲が記されている。『大陸の三分の一が消失。難を免れた周囲の草木も枯れ始めている』という文言を視界の端にとめつつ、黒く塗りつぶされた大地にオルドの目は釘付けだった。

「一瞬でこんなにしてしまうなんて――」

 単純に、かつてない力の顕現に胸を震わせているのであって、称賛しているのではない。常闇の王は如何なる理由で闇を喰らい、人も大地も滅ぼしてしまうような存在であるのか、そんなことは二の次である。エルフとて、いつ見舞われるか知れない脅威だが、それすらどうでもいいのだ。強い者に憧れる気持ちだけが、オルドの心を支配していた。それと共に、世界を激変させるような大きなうねりを感じ、期待と不安の入り混じる興奮を覚えていた。


 翌日も、翌々日も、そのまた翌日も、オルドは常闇の王がどのようなものか想像を巡らせてみては、空を見上げ、ため息をついた。この目で見ることはないだろうし、見たとすれば死を意味する。逢ってみたいという願いが叶っても叶わなくても、苦しみはやってくるのだ。だがしかし、どうせ苦しいのなら、どうせいつか死ぬのなら、見たほうが得なのではないかと思いもした。エルフといえど、一生など儚い。ならばひとつでも願いを叶えるべく動いたほうがいい。

 そんなことを考えながらオルドが部屋に戻ろうとしていたところ、親友のバートが呼び止めた。癖のある金髪でソバカスがある、オルドと同い年の少年だ。

「話……っていうか、相談があるんだ」

 いつになく神妙なので、オルドはうなずいた。

「どうしたんだ?」

「ナハトのことなんだけど」

「うん」

「最近、しょっちゅう出かけてるんだ。山菜採りと薬草集めだって言うんだけど、それにしちゃあ頻繁だし、なんていうか……えらく楽しそうなんだよな」

「仕事が楽しいのはいい事だと思うけど、しょっちゅうって、どのくらい?」

「毎日さ。朝昼晩、毎日」

 オルドは目を丸めた。

「そんなに? さすがに多いな」

「だろ?」

 オルドは空を見上げ、太陽の位置から時間を読み取った。

「そろそろ帰るか?」

「ああ。いつも十時頃帰って来て、用事を済ませて、あれこれ支度をしたら、お昼前には出かけちゃうんだ。それでまた三時頃に帰って来て、夕方前には行っちゃうよ。最終的に帰って来るのは夜七時だよ」

「朝は?」

「朝は六時くらいかな」

 オルドは顎をつまんで少し考えた。

「食事の時間に出かけているみたいだな」

 するとバートはやや跳ねるように顔を上げた。

「あっ、そう! いつもお弁当を持っているみたいだよ」

「ご飯を食べるのに丁度いい、お気に入りの場所でも見つけたんじゃないか? でもまあとにかく、気を付けてみるよ。ナハトはエルフにとって大事な人だからね。何かあったら大変だ」

「うん、頼むよ。何か分かったら教えて。僕も心配なんだ」

「ああ、分かってる」

 オルドは快く返事をして、部屋へ戻った。そしてナハトがもうすぐ帰って来るのなら、今日はのんびりしていられないと思い、肩を落とした。机の引き出しを開け、先日手に入れた新聞の紙面に視線を落とし、「今日はずっと常闇の王のことを考えていようと思ったのに、残念だ」と引き出しを閉める。

「まあ、ほかならぬ親友の頼みだから仕方ない。しっかりやるか」

 しっかりやる、とはつまりナハトの尾行である。どうせ山菜を摘み、薬草を集めて、休憩する時に一人楽しく食事をするだけのことだとは思うが、いくら新しい趣味を見つけたとはいえ、急ではあるし、誰にも事情を話していないのなら怪しくもある。

 ナハトは自分の立場を充分にわきまえている。どんなに他愛ないことでも何か一人で行動するなら、誰かに言伝していないわけはない。だがバートの口振りでは、山菜採りと薬草収集以外の目的は告げていなさそうだ。ということは、本当にそれだけという可能性は高い。が、頻度が気になる。

「何もなければそれでよし、だけどな」

 オルドは呟いて、ナハトの帰りを待ち、集落にいる間の行動を観察した。バートが言うように、どこか楽しそうな、ソワソワとしている様子だ。バートが大袈裟なのだと思っていたオルドも、ただの趣味という範疇ではない気がしてきた。

「あんなナハトは見たことがない」

 というわけで、予定通り再び出かけていく彼女を追いかけることにした。


 獣道を歩くナハトは、山菜を摘んだり、薬草を集めたりしていた。言伝どおりでまったく問題はない。鼻歌さえ歌っていなければ――とオルドはより一層息をひそめた。

 山菜採りも薬草集めも、物心ついた頃からやっている。今さら心弾ませてやる仕事ではない。だがナハトはオシャレを楽しんでいる時の女の子のように、幸せそうな笑みを浮かべている。

 これはさすがに何かある。

 と思ったオルドはより慎重に身を隠しつつ、跡をつけた。

 そうしてしばらく行くと、ナハトは誰も足を踏み入れない茂みにそれ、ある場所で身をかがめた。動物の古い巣穴のようだった。

「待ったか?」

 ナハトが声をかけると、返事が返った。

「……待ってない。もう来なくていいと言っただろう」

「そんなわけにいくか。足の具合はどうだ」

「おかげで随分いい。もうこれ以上は世話になれない」

「治るまで世話をするという約束だ」

「約束などしていない」

「そう言うな」

 誰かに逢いに来ていたのかと、オルドは意外に思いながら、しばらく様子を窺った。そして、相手の顔は茂みに隠れてよく見えないが、背格好や声から、おそらく同い年くらいの少年だろうと見当をつけると、渋い顔をした。

 集落の者に内緒なのも感心しないが、年頃の少年との逢瀬なると、色々と面倒なことになりそうだからだ。案の定、ナハトは少年の足の手当をし終わると、持って来た弁当を広げて横に腰を下ろし、少年に勧めつつ楽しそうに食べ始めた。世の幸福をすべて集めたかのような笑み――それは恋をしている少女そのものだ。

 あのナハトが見初める男がいたんだなと驚きつつ、オルドは少年の顔が見える位置に移動した。そして衝撃を受け、固まった。好みかどうかにかかわらず、ナハトほど顔立ちの整った人はいないと思っていたのに、あっさり否定されてしまったからだ。

 ナハトが浮足立つのも無理はないと、どこかで冷静な感想を持ちつつ、オルドはここからどうしたものかと途方に暮れた。バートは無論、ナハトに想いを寄せている少年たちはことごとく失恋という憂き目に遭う。結構な人数なので、集落はしばらく地獄だろう。「慰めに回るのは誰か? たぶん僕だ」と自問自答して絶望した。

 だからといって、いつまでもこうしていられないとオルドは奮い立ち、二人の前に姿を現した。

「ナハト」

 オルドの出現にナハトは驚き、少年はナハトとオルドを順に見て、ため息ついた。

「オ、オルド……、どうして」

 オルドが説明しようとしたところ、少年が遮った。

「だから言っただろう」

「だ、だって」

 オルドは眉をひそめて少年に向いた。

「おまえは――スードか?」

 少年はオルドをじっと見て沈黙し、ナハトが代わりに答えた。

「こいつは、怪我をしていて、迷い込んだんだ。私が見つけて看病していた。足が悪いから、集落まで連れていけなくて」

「大人を呼べば良かったろう?」

 オルドのもっともな意見に、ナハトは口をつぐんだ。それはあまりにナハトらしくなかった。将来の統率者として教育を受けて来た彼女が、これまで正当な理由のないことをした事実はない。それなのに……とオルドは眉根を寄せた。そして「少年はエルフのようだが、何かよほどの事情を抱えているのだろう」と推測した。スードという以外の事情を。

「ナハト、僕たちはスードだからと言って怪我人を無下に扱ったりはしない。たとえそうでも、君が一言いえば、皆受け入れただろう。なのに何故、こんなところでこっそり診ているんだ?」

 ナハトは唇を真一文字に結んだ。頑なな表情と厳しい眼差し。それは先ほどまでの浮ついた気持ちからは程遠かった。ナハトをここまで思いつめさせる事情とは何かと、オルドは穿った眼差しを少年に向けた。

「君からの弁明は?」

 すると少年は不敵に笑った。

「何もない」

「え?」

「弁明することなど何もない。私は足を傷めてここへ迷い込んだ。ナハトは私を見つけて看病をした。お前はナハトの跡をつけて願望を叶えた。それだけのことだ」

 オルドは思い切り顔をしかめた。

「僕が、願望を叶えた?」

「そうだ」

「いつ? 何の願望を?」

「たった今、私に逢うという願望を叶えた。気は済んだか」

 オルドは口を半開きにして、少年とナハトを交互に見つめた。ナハトは厳しい表情を残したまま、戸惑っている。少年は相変わらず不敵な笑みを浮かべてオルドの次の行動を待っている。オルドは唾を飲みこんで、自分の欲求と少年の台詞に焦点を当ててみた。そして目を見開き、息を詰まらせた。

「……まさか」

 オルドはナハトを見やった。

「ナハト、君はまさか、彼をそれと知っていて助けたのか」

 ナハトはややギョッとし、気を動転させて目を泳がせた。

「それ――とは何だ? スードということか?」

「違う。スードが問題にならないことは、さっき説明しただろう」

「で、ではなんだ」

「……大災厄、だよ」

 オルドの指摘に、ナハトは顔を強張らせた。今の会話のどこに悟られる要素があったのかサッパリ分からなかったが、とにかくマズイ状況にあることだけは確かで、どうにか場をやり過ごさねばと焦った。

「け、怪我人には、変わりないだろ?」

「知っていてやったんだな?」

 オルドが少し強い口調で問いただすと、ナハトはビクリと肩を揺らし、硬い表情でうなずいた。オルドは敏く、確信を持っている様子では尚のこと、言い逃れは難しい。頭の中では騒々しく、あらゆる手法で誤魔化す算段を飛び交わせたが、どれも通用しそうになく、断念するしかなかった。

 しかし、ナハトの肯定を受けてしばらく茫然としていたオルドは、やがてゆっくりと顔に笑みをたたえた。

「驚いた。ナハト、君を見くびっていたわけじゃないけど、こんなに賢いとは思っていなかったよ」

 思わぬ反応にナハトは目を丸め、オルドを凝視した。

「……どういうことだ?」

「分からないか? 常闇の王だぞ? この世の命運を握っている。これは凄いことだ。そんな大人物が目の前にいるなんて!」

「オルド?」

 オルドは、眉をひそめ首をかしげるナハトの両手を取った。

「匿っているんだろ?」

「あ、ああ、まあ」

「君の判断は正しいよ。ああ、これ以上ないくらい正しい――っていうか、常闇の王ってエルフなのか?」

「い、いや違う。私が耳に細工をした。秘術なので詳しくは言えない」

「なるほど、原始のエルフの術か。いい術があるんだな」

 ひたすら感心するオルドを、ナハトは訝しげに眺めた。

「……怒らないのか? 私のしたことを」

「怒る? どうして」

「常闇の王は、エルフを滅ぼすかもしれない」

「――ああ、そんなことは、この際どうでもいいさ」

「なに?」

 ナハトが目元を険しくすると、オルドはニヤリと笑った。それはナハトが、未だかつて見たことのないオルドの顔だった。

「僕がいかれてると思うかい? 別にそれでも構わないけどね。でも考えてみなよ。彼ほどの力を持つ者に、どうやって抗うのさ。可能性のないことに挑戦するのは無意味だよ。もし滅びるのなら、それは神が定めた運命さ。自然の摂理に逆らわないというエルフの信条に従うなら、受け入れるべきだ。まあ僕は、そんな小難しいこと抜きで、ただ憧れてるんだけどね」

「あ、憧れてるだと?」

「ああ。西大陸の三分の一を一瞬で滅ぼすなんて、こんなに凄いのは見たことがない。話を聞くたび興奮するよ。どんな姿かたちをしていて、どんな風にやったのか――」

 オルドはふと握っていたナハトの手を離して、エルフのふりをした少年ことサイラスに向いた。

「見てみなよ、ナハト。君なら分かるだろう? こんなに綺麗な、同年代の子供が常闇の王だなんて、感動だよ。彼が、きっといつか物凄い景色を見せてくれるんだ。もしそれが叶うなら、僕は死んでもいいよ。どのみち人生なんて儚いんだから、見たいものは見なきゃ損さ」

 常軌を逸した好奇心とでも言おうか。オルドは純真ゆえの単純な、しかし強烈な憧憬に、感情を支配されているのだ。

 ナハトは何と返して良いのか分からずに絶句した。そんな二人をサイラスは静かに見上げて皮肉げに笑った。

「ノードには、いかれた奴しかいないのか」

 するとナハトがややムッとした様子でサイラスを見て、オルドはおかしそうに笑った。

「とにかく集落へ連れて行こう。君の術は完璧だし、バレっこないよ」

「オルド!」

「歴史に名を残すような人と関われる機会なんて滅多にないんだ。これは皆にとってもいいことさ」

 ナハトは呆気にとられ、意見を求めるようにサイラスを見やった。サイラスは軽く肩をすくめ、苦笑いで返した。


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