エピソード VII
しばらくして、アレイスとカイルが到着した。カイルを見てザインは顔をしかめたが、言いたいことは我慢した。
「元は断てたようだな」
アレイスの言葉にザインは会釈して応えた。
「はい」
後ろ手に縛られ、床に膝をつかされているアントニウスとブランシエは、うつむかせていた顔を上げてアレイスを見た。腰元にあるのはまごうかたなき聖剣。その面差しは輝くような美貌である。
ブランシエは思わず「はっ」と笑った。
「驚いた。ザイン、アンタ本当に骨抜きにされたんだねえ! まさかそっちの趣味があるとは思わなかったよ」
アレイスは目を丸めた後うんざりした様子で宙を仰ぎ、そんなアレイスをカイルは気の毒そうに横目で見やり、ザインはしばらく意を解せず眉をひそめていたが、ようやく理解して、あまりの畏れ多さに真っ青になった。
「……申し訳ありません。失礼な口を」
「なんなんだ、その女は」
アレイスの問いに、ザインは息を詰まらせながら答えた。
「副将の、ブランシエ・マーゴットです」
「ああ――半端に闇を結晶化させる奴の片割れか」
「はあ? 半端とは言ってくれるねえ! 何様のつもりだい!」
「半端を半端と言って何が悪い。力と技術が成熟していれば、闇の結晶は光の透過を一切許さない黒く美しい球体になる。お前たちは一度でも、それを生成したことがあるのか」
「なっ……」
「色にムラが出るのは純度が劣るからだ。形が歪むのは単に技術不足だ。そして結晶が瘴気を発するのは、魔術による抑圧のせいもあるが、主には怨恨が混ざることで起こる。怨恨とは人の心から生み出される闇の種だ。たちの悪いことに粗悪な闇を生む。粗悪な闇が魔術によって抑圧されれば、猛毒を吐く。お前たちがやったのは、まさにそれだ。反論はあるか」
ブランシエは唸って口を閉ざした。しかし代わりにアントニウスが口を開いた。
「貴様に俺たちの何が分かる」
「分かるとも。ただ闇を結晶化するというだけで迫害を受け、苦しい幼少時代だったな」
アントニウスとブランシエはビクリと身体を揺らして硬直した。何故そんなことをこの男が知っているのかと。だがアレイスは二人の疑問を解決することなく話を続けた。
「だからと言って、こんなことをしていい理由にはならない。そもそも、結晶化したからどうだと言うのだ」
「あ、アタイたちは、常闇の王を復活させたくて――」
アレイスは呆れた様子で両手を腰に当てた。
「そんなことで復活するわけがない」
「やってみなけりゃ分からないだろう?」
アレイスは視線をそらせ、テーブルの上にひとつ残された結晶を手に取った。全て破壊しなければならなかったが、数が多く、取りこぼしがあったのだ。ザインは自分の手落ちに気付いて肝を冷やした。が、結晶をつまみ上げたアレイスは匂いをかいでニヤリと笑った。
「色と形は不合格だが、匂いはまあまあだ」
そして口の中へ放って飲み込んだ。アントニウスとブランシエは驚愕して目を見開いた。
「味は甘すぎるな。もう少し控えめならいい」
アレイスは感想を述べると、唖然としている二人に向かって言った。
「闇の結晶はおやつ程度だ。こんなもので私を顕現させようとは、片腹痛いな」
アントニウスとブランシエは聖剣騎士が何者か悟って全身を強張らせた。ザインの助言ひとつひとつが、今更胸に刺さる。何か弁明しようと思うが、顎がガクガクと震えて言葉が言葉にならなかった。魔術師たちは衝撃のあまり、すでに気絶している。
ザインは見かねて一歩進み出た。
「償う機会を、与えてはいただけませんか」
アレイスは冷めた視線を投げた。
「全員殺せ。途中にいた大剣使いも忘れるな」
「アレイス様!」
「言うことを聞けないのか」
「い、いえ、決してそういうわけでは」
「では殺せ」
「し、しかし、彼らは崇拝者です。生かしておくほうが、今後役に立つかと」
アレイスは盛大にため息をついた。
「崇拝してくれと頼んだ覚えもないのに、されているからといって、私が面倒を見なければならないという法はないだろう。まして周囲に迷惑をかけるような連中だ。情けをかける必要などない」
「ですが」
「お前が何を思っているか分かっている。同志に対するその心は実に情け深い。組織が強大になったわけだ。だがそればかりでも立ち行かないだろう」
ザインはうつむいて両手に拳を握った。同志でも切らねばならない時はある。それが組織を持続させるために大将が負わねばならない責務だ。分かってはいるが、アントニウスとブランシエの事情を考えると、どうしても情けをかけたくなるのである。
その心情を量ったように、アレイスは言った。
「二人の動機はなんだ? 己を正当化するため、人に認めさせるため、復讐するため――実に利己的だ。私が嫌悪するものをこれだけ揃えているのも珍しい。当時は誰も傷つけなかったかもしれないが、今結果的に傷つけている。その命を繋いだ果樹さえも枯らしてしまった。考えてみろ。人々は本当に、二人を不当に迫害したのか? 違うな。彼らは二人の遊びがいずれ災いを呼ぶと知っていたのだ。何の力も持たないただの人間にとって、それがどれほど脅威だったか想像してみろ。何があっても迫害を擁護することはできないが、迫害を受けてもなお、危険な遊びをやめなかった二人も悪い。己が正しい、悪いのは周囲だと、いつまでも子供のようなことを言っている心では、歪んだ闇を生み続け、いずれ自身を喰わせることになる」
二人の立場ばかり慮って他を顧みない愚かさを指摘され、ザインは返す言葉もなかった。
アントニウスとブランシエはうなだれ、瞬きもせず床を見つめた。過ぎ去った過去と何もない未来が、二人の脳裏を駆け巡っていた。
常闇の王さえ現れれば、すべて上手くいくと思っていた。自分たちに代わって恨みを晴らしてくれると信じていた。だが常闇の王が現れてしたことは断罪だ。欲求を満たすことに邁進し、周囲に何が起ころうと構わなかった身勝手さを、言葉にして並べ立てられただけだった。
いっときして、ブランシエが震える声で言った。
「アタイを殺しなよ。最初に誘ったのはアタイなんだ。魔術師を雇おうって言ったのもアタイだ。全部アタイが悪いんだ。アントニウスは悪くない。だから死ぬのはアタイだけでいいだろう?」
「何を言う! 大将はこの俺だ。責任を問われなければならないのは俺だ!」
アントニウスは言って、真剣な眼差しでアレイスを見上げた。
「お願いです! ブランシエは許してやってください。責任は俺が負います」
「ダメだよ、アントニウス! アンタが死んだらアタイ……生きてけないよ」
「そんなのは俺も一緒だ!」
二人は見つめ合って涙を流した。互いの愛を確かめ、互いのために死ぬ覚悟を決めていた。
その間に立って、アレイスは言った。
「私はどちらも生かす気はないと言っている」
あまりにも非情な言葉だと、カイルはたまりかねて勢いよくアレイスの胸倉をつかんだ。戦なら将を討ち取らねば終わらない。だがこれは一方的な制圧だ。相手にはもう反撃する手段もなければ、意思もない。おまけに反省しているようにも見える。アレイスの判断は行き過ぎのように思えた。
「貴方は! そんなので光明の王になれると思ってるんですか!」
アレイスは驚きもせず、淡々と答えた。
「お前が私を光明の王にするのだ。私の努力などいらない。常闇の王にしても同じだ。ザインが私を常闇の王にするのであって、私の望みなど関係ない」
「あ……、貴方の意思はないって言うんですか」
「ないな。私は地上を浄化する道具であって、神の駒のひとつだ。とはいえ、世に破滅をもたらすか、繁栄をもたらすか。この強大な力を制御するために、ある程度の自由意志は認められている。何を生かし、何を殺すか。私の判断は罪に問われない。己に正直に生きればいいだけだ。自分にとって不快なものを排除し、心地いいものだけ受け入れる。そしてその選択は大抵、神の思惑なのだ」
アレイスは答えてからカイルの腕をつかみ、胸倉から引き離した。
「自由とはなんだろうな、カイル。どんな選択をしようと、結局神に選ばされているのだとしたら、思考など意味がない。自分で考えたことだと信じても、振り返れば思わされていることのほうが大半だ」
「そ、そんなこと、あるわけ……」
「ない、と言い切れるのか? お前だって神の思惑に乗ってここにいる」
「だ、だったら……! だったら、心に逆らってみればいい。思っていることの逆をやればいいんだ」
アレイスは瞬いてカイルを眺め、呆れたように笑った。
「神に逆らうのか?」
「時と場合によります。そりゃスカルノスがやったことを肯定はできませんが、生きて罪を償う機会くらい、与えられるべきだと思います」
アレイスは意地の悪い顔で「ふん」と笑った。
「同じ台詞を被害者の前で言ってみるんだな。人々は迫害したが、命まで取らなかった。だが二人は多くの命を奪った。ただ畑を耕しているだけの善良な民を苦しめた。そして影響は国全体に及び、マローネは今、飢餓の危機にある。分かるか? 二人のことを知りもしない無実の者まで死に追いやられようとしているのだ。お前は何のためにここへ来た。マローネを救うためじゃないのか」
カイルはやり込められて沈黙した。言っていることが事実なだけに、何の否定も出来なかった。
アレイスは腰に手を当て、カイル、ザイン、アントニウス、ブランシエの順に顔を見たあと、舌打ちした。絶望と喪失を絵に描いたような面々である。アレイスは常闇の王としての経験則から結論を出した。だが他の者は不満のようだ。反論の余地はなくとも、受け入れられないでいる。
アレイスはどうしたものかと宙を仰ぎ、改めてアントニウスとブランシエを見た。
二人はあまりにも子供だった。周りも見えないほど幼かった。そしてその時の感情を引きずったまま大人になった。何が悪かったのか――何もかも悪かったのだ。本人も、環境も、周囲の人間も。悪いものが集まれば悪い結果しか残らない。比重が違うだけで、責任は関わった者すべてにある。その中でアレイスは、二人が負うべき責任は死に相当すると判断した。この失敗が二人を急に大人にするとは思えないからだ。改心がそれほど容易いなら、この世に悪など存在しない。常闇の王たる己が現れる理由もない。
アレイスは迷った末、
「処遇はマローネの王と民に委ねてもいい」
と提案した。アレイスの一言に、四人は顔を上げた。
「ただし、二度と半端な力を使うな。わずかでも瘴気を生むようなことがあれば、どこにいようと私が殺す」
カイルはこめかみに汗しながら、アレイスを凝視した。
「どうしてそんなに、こだわるんですか?」
アレイスは片眉を上げた。
「何を?」
「殺すことに」
カイルの問いにアレイスは薄く笑った。
「〝粗悪な闇を生む者は排除する〟、それは私の本能だ。おそらく神が植え付けたのだろう。この衝動は簡単に抑えられない。地上を光で満たすなら、より澄んだ光であることを望むのが人間の本質なら、闇で満たす場合、より純粋な闇であることを望むのが私の本質だからだ。瘴気にも二種類ある。粗悪な闇が生む瘴気は毒だが、純粋な闇から生まれる瘴気は活力になる。毒と薬、お前ならどちらを飲む。毒など絶対に飲まないだろう。それなのに……」
そこまで言ってアレイスは急に笑みを消し、口を閉ざした。カイルは眉をひそめて「どうかしましたか?」と先を促した。アレイスは大きく息を吐いた。
「それなのに、地上に溢れて手に負えなくなれば、喰らうしかなくなる。あの地獄を再び繰り返すのは御免だ。だから芽の内に摘んでおく。論理的な欲求だ。本能も論理的な欲求も同じ動機で存在している。殺意にならないわけがない」
カイルは唖然としつつ、尚も問うた。とにかくこのアレイスという存在を理解しないことには何も始まらないからだ。
「でも、今は猶予を与える気になってくれたんですよね?」
「猶予だと? 勘違いするな。私の考えは変わらない。だがお前たちはこの二人が罪を償えると思っている。本当に償えるなら償ってみろ。私の判断が間違いだったと言わせてみろ。神でさえ予見できない未来があるなら、やってみる価値はある。退屈なこの世を生きるなら、そういう余興も必要だ」
カイルは沈痛な面持ちでこめかみを押さえた。
「結局遊びなんですか? 命ですよ?」
「世を滅ぼした私に命の尊さを説くな。馬鹿なのか?」
「なっ……だって!」
「常闇の王は、何をどうしようと結局、全てを滅ぼすのだ。心など初めからないと信じていなければやっていられない」
カイルは返答に困窮して口を開閉させた。その台詞にこそ心を感じるからだ。アレイスは世を滅ぼす使命を持っているから考えないようにしている。命の尊さを知ればこそ、想ってはいけないと。それが心でないなら何なのか。
「そんな残酷なこと……ありますか?」
アレイスはカイルの表情を窺って眉をしかめた。
「あるだろう、ここに」
「じゃあ」
と、カイルは唾を飲みこんだ。
「光明の王なら、どうですか? 正反対なんですよね?」
「さあ……どうだろうな」
「え? 分からないんですか?」
「まだなったこともないのに、分かるわけがない。知っているのは、真逆の性質でありながら、常闇の王の力と同様、世を滅ぼすということくらいだ」
「はあ! ちょっ、なんで!」
「使う機会があまりにもなかった。制御の仕方がよく分からない。要領を得るまでは常闇の王の力より危険だ」
「えっ、いや、だって。じゃあ、今どうしてるんですか?」
「聖剣の力を借りて制御している」
「あ……」
カイルは常々疑問に思っていた答えのひとつを得られたような気分で、妙に納得した。むろん全てではない。それだけが理由なら、聖剣を欲した過去の英雄や聖人が不憫だ。第一、先刻の率直な質問でアレイスははぐらかした。今答えたのは、これまで光明の王の力を使わなかった事情であって、聖剣を授かった理由ではない。そのひとつだとしても、核心的なものではない。
一方、アントニウスとブランシエは言葉も何もなくして、口を開けたまま固まっていた。聖剣騎士が常闇の王であったことだけでも驚愕の事実であるのに、光明の王でもあるというのだから、もはや起こりうる想定の許容範囲を越えている。自分たちが一体何を求めていたのかさえ、分からなくなってしまった。
そんなふうに茫然とする二人を無視して、アレイスはザインに向いた。
「ザイン」
「は、はいっ」
「マローネへの引き渡しは任せる。念のため、二人が使役している闇は私が管理する。この先は自分の意思で収束させることも操ることも出来なくなるだろう。とはいえ、常に心を律しておかなければ簡単に闇を生む。よくよく反省するよう促しておけ。助けたければな。少しでも粗悪な闇を生じさせた時は、容赦しない。次こそ命を取る」
指示を受けたザインは、緊張で顔に汗を浮かせつつも、やや放心状態でアレイスを見つめた。アレイスは眉をひそめた。
「返事は」
「……あの」
「ん?」
「なぜ……なぜ俺、いや、私は、その対象ではないのでしょうか。闇なら私の心にもあるはず」
「お前が抱える闇は夜に似ている。夜は自然が創る闇――それは限りなく純粋で神聖だ。無論それには及ばないが、粗さはなく、整っている。粗悪でないものを消す理由はない。珍しくもある。それを意味もなく殺して失くしてしまうなんて勿体ないことはしない。お前も気に入ったものは大事に取って置くだろう?」
青ざめていたザインは一気に血色の良い顔になり、これ以上ないという歓びに溢れた。
「後のことはお任せください。例の件も早急に」
「期待している」
アレイスは返答して踵を返した。
「引き上げるぞ、カイル」
「あ、はい!」
スカルノスの城を後にする際、アントニウスとブランシエは連行されつつ、出会った頃と少しも変わらないザインを見て言った。
「やっぱり……アンタがサイラス様の右腕に選ばれたってわけだね。大したもんだよ」
ザインはため息ついて肩をすくめた。
「あのカイルとかいう騎士と抱き合わせでないならな」
「はあ?」
「俺はアレイス様を常闇の王にする。あの騎士は光明の王にする。俺とあの騎士はその時が来るまで互いに己を鍛え、戦いに備えなければならない。最終的に剣を交えるのか何なのか、どのように勝敗を決めるのかは分からない。が、それをしないことには顕現しないという話だ」
「……あれほど然としているのにか」
とアントニウスが問う。ザインは苦笑するしかなかった。
現れるだけで数多の闇を支配し、他者が使役する闇をも奪う――期待以上の脅威だ。だが顕現しない限り完全ではない。このもどかしさは如何ともしがたいものだった。
「私たちはそろそろ死を迎える準備をする。お前は次代を担わなくてはならない。外へ出ていくなんて、あってはならないことだよ」
野望を胸に故郷を出る決意をした日、ザインは年を取る選択をした両親に言われた。彼らの言いたいことは分かっていた。もううんざりするほど聞いてきたし、見てもきた。だがそれらはザインにとって間違いとしか思えないものだった。故に、今こそ正す時なのだと、心の底から感じていた。
「こんなところで一生を終えるなんて嫌だ。俺は世の中を変えるんだ。常闇の王を復活させて地上を一掃し、創り変える。理不尽な掟はもうまっぴらだ」
「まだそんなことを言っているのか! 常闇の王は邪悪な王だ。そのような者に頼っても、世の中は良くならない!」
「伝承など信じない! 常闇の王は闇を喰らい、光をもたらした。絶対にそうだ! 夜が教えてくれた。俺の耳元でずっと囁いている。常闇の王こそ、理想の世界を実現する神だ!」
そう叫ぶと、ザインはわずかな荷物を持って家を飛び出した。そして二度と帰らなかった。長く尖った耳を魔術で短く丸く整え、周りと変わらない容姿で、人間の街を転々とした。その中で多くを学び、金を稼いで同志を募った。
「今の俺を見たら、どう思うだろうか」と、ザインは記憶にある両親の顔と捨てて来た景色を思い起こした。深い森に閉ざされた故郷の街は、ここより遥か東にある。あれはまだ、あの時のままだろうかと。
ザインは東の空を仰ぎ、不敵な笑みを浮かべた。
〝待っていろ。貴様らのくだらない伝承が破壊されるのは時間の問題だ。そしてその時こそ、エルフは真の自由を手に入れるのだ〟