エピソード V
スカルノスの城内にはただならぬ緊張が走っていた。デルスター軍が攻めて来たからに他ならないが、問題は規模と内容である。数で言えばスカルノスがやや上回るが、デルスターの二個中隊四百名の実力はスカルノス全軍にほぼ匹敵する。おまけに隊長は大将のザインである。ザインは剣豪の中の剣豪と名高い剣士だ。噂が大袈裟でなければ、一人で一個中隊の戦力と言われている。これを加味すると、実質、三個中隊で五百から六百ということになる。
ブランシエは親指の爪を噛みつつ、右往左往した。
「なんだいなんだい、なんだってんだい! なんでデルスターが襲撃してくるのさ!」
アントニウスはそれを目で追いながら、「落ち着け」と声をかけた。
「これが落ち着いていられるかい? いくら聖剣騎士に説得されたからって! ――信じられないよ!」
「信じられないのは俺も同じだ。組織は違っても、崇拝者に対しては寛大だった、あのザインが」
「寛大なんてもんじゃなかったよ。アタイらが誘いを断って独自に組織を立ち上げるって話になった時、人員の確保だけじゃなく、資金援助までしてくれた。アタイたちのような組織は、あったほうがザインにとっても有益だったからだろう?」
アントニウスは顎をつまんでうつむいた。
「……何があったんだろうな。この変わりようは尋常じゃない。ただ聖剣騎士の説得に応じただけとは考えにくい。急にいらなくなったとしても、潰しにくるほどの動機にはならない」
「なんにしたって、攻めてきたことに変わりないさ」
ブランシエが言うと、アントニウスは掛けていた椅子から立ち上がった。
「応戦するしかない。行くぞ、ブランシエ」
地下城内をスカルノスの兵が慌ただしく移動する中、魔術師は研究室を封じ、アントニウスとブランシエは各隊の隊長に檄を飛ばした。
「聖剣騎士に屈するような軟弱者を恐れる必要はない! 迎え撃ってスカルノスの脅威を知らしめてやれ!」
「返り討ちにしてやんな! のし上がる絶好の機会だよ!」
大将と副将の言葉を受けてスカルノスの兵が雄叫びを上げた時、森では城の入口を隠す魔術の解除が行われ、固く閉じられていた鉄扉がザインの操る闇によって消滅させられていた。初めから扉などついていなかったとでも言うように、綺麗に鉄扉だけ剥がされ、大きな長方形の穴が地表に現れる。そこへデルスターの兵が一挙になだれ込んだ。
「歯向かう者は殺せ! 大将と副将は生け捕りにしろ!」
薄暗い地下城内での戦闘が始まった。剣と剣がぶつかり、弾き合う音が石の壁に反響する。その合間を怒号が飛び交い、叫び声とうめき声が埋め尽くす。
血と汗の匂いと熱気が漂う中、ザインは矢のごとく駆け抜け、最深部を目指した。研究室から湧き出る瘴気の元を断つためだ。付近には大将のアントニウスと副将のブランシエもいるだろう。彼らを捉えアレイスへ差し出す前に、せねばならないと思っていることもある。
その道中、スカルノスの大隊長ウォーレンが立ちはだかった。ザインよりひと回り大きく、大剣を所持している。土色の髪と髭をたくわえ、額に歴戦の傷を持つ三十代の男だ。
ザインは落ち着いて剣を構えた。
「剣の錆になりたくなければ、そこをどけ」
ウォーレンも静かに大剣を構えた。
「デルスターの大将がお出ましとは、恐れ入る。何があればこのような暴挙に及ぶのか。しかしここを通すわけにはいかん」
「ふん、確かに分からんだろうな。俺もまさかこんなことになるとは夢にも思っていなかった。だが遂げねばならん。何も聞かず、大人しくここを通せ。それがスカルノスのためでもある」
「ほざけ! 攻め入っておいて、何がスカルノスのためだ!」
ウォーレンは大剣を振り下ろした。ザインは難なく受け止め、弾き返す。ウォーレンは反動で後ろに少しよろめいた。ザインの剣は不動の強さと重さがある。安定した受けと屈強な攻め。闇の力に頼らずとも、その腕一本で世界征服できるのではないかと思える。
一合打ちあっただけで力量を悟ったウォーレンは、唸って態勢を整えた。
「それだけの腕を持ちながら、どうして聖剣騎士などに寝返った!」
再び振り下ろされる大剣を、ザインは小枝を払うかのごとく打ち払い、次に繰り出された一刀を飛び退いて躱した。しかし攻撃の手は休まることなく、大剣の刃が下から上に向かって迫る。対するザインは、己の剣の刃を相手の刃に噛ませるように当て、滑らせながら大剣の軌道を反らせた。そして相手の懐に入る寸前で手首を返し、剣を回転させてウォーレンの肩を貫いた。
「ぐっ……!」
苦痛に歪むウォーレンの顔を間近に見つつ、ザインは皮肉げに呟いた。
「……同志と対峙するたびに、裏切り者と言われるのか。まったく、罪なことだ」
ザインはウォーレンの肩から剣を抜いて血を払った。ウォーレンは呻きつつ、負傷した肩を押さえ、片膝をついてザインを睨んだ。
「……それほどか。それほどに聖剣騎士は強いのか。貴様が屈するほどに」
ザインは苦笑した。
「さて。剣の腕前はファズールと互角か少し下だ。しかしそれ以外が太刀打ちできない」
そして野心に溢れた眼差しで言った。
「何としてもアレイス様の恩顧を得たい。どのように人に罵られようと、これだけは譲れん」
悲願は目の前と言わんばかりのザインを見て、ウォーレンは顔面に失望の色を滲ませた。
「……貴様は、常闇の王に忠誠を誓ったのではないのか」
ザインはウォーレンを見て、「くっ」と笑った。
「そうとも。今その話をしていたろう? とにかく、もう邪魔はするな。アレイス様の命に逆らうわけにはいかないが、同志を無下に扱う気もない。アントニウスとブランシエが恩情をかけてもらえるよう手を尽くす。お前の進退もそれによって決まるだろう」
そう言い置くと、ザインは先を急いだ。ウォーレンはなすすべなく見送り、肩を止血して壁にもたれた。
アントニウス様とブランシエ様が、聖剣騎士の恩情など受け入れるはずがない――そう思うと同時に、二人の無事を祈った。アントニウスの剣の腕は折り紙付きだが、ザインには勝てない。どこを取っても天と地ほどの差がある。戦って命があれば幸いだ。
そうしてしばらく休んでいると、騎士らしき男が二人通りかかった。一人は騎士の中の騎士といった風体で、もう一人は見たこともない美貌の騎士だ。腰元には一瞥でそれと分かる剣がある。ウォーレンは身を固くして、座ったまま身構えた。
アレイスは通り過ぎざまウォーレンを見て、足を止めた。
「ザインめ。殺さなかったのか」
ウォーレンは目を見開いた。アレイスの顔を見て、腰元の剣を見る。どう見ても聖剣騎士だが、もれた言葉は聖者から程遠い。
ウォーレンが驚いていると、カイルが言った。
「どうしてそう物騒なことしか言えないんですか」
「小言なら聞かないぞ」
「聞かなくても勝手に言います」
アレイスは大きく舌打ちしながら聖剣を抜いた。カイルは焦ってアレイスの腕をつかんだ。
「ちょっ……、どうするんですか?」
「殺すに決まっているだろう」
「ザインが殺さなかったのは理由があるからでしょう。訳くらい聞いて決めたらどうなんですか」
「何を寝ぼけたことを言っている。スカルノスは利己的な理由で近隣住民を苦しめた。過ちを繰り返さないという保証がどこにある」
「そうかも知れないけど」
ウォーレンは大剣の柄を握って態勢を整えた。肩を負傷しているとはいえ、ファズールと互角かそれ以下なら勝つ自信はある。ゆえに二人が揉めている様子を注視しつつ、ゆっくりと大剣を構えながら立ち上がった。そうして隙を見計らい、大剣を振ろうとした、その瞬間――
床から勢いよく複数の黒い蔓が伸びてウォーレンを拘束した。
「うっ……! なんだ!」
アレイスとカイルは言い争いをやめ、ウォーレンに注目した。カイルは驚き、表情を強張らせている。一方アレイスは、目元をしかめて再び文句を言った。
「見ろ、油断も隙もない。さっさと始末しないからだ」
「い、いや、拘束できるんなら、それでいいんじゃ」
「甘いな」
「もう何とでも言ってください。それよりこの蔓は?」
「闇を物質化して操作している」
「物質化って、良くないことなんじゃ」
「魔術によらなければ害はない」
「形状は決まっているんですか?」
「いや。使い手にもよるが、変幻自在だ」
カイルは急に黙ってアレイスを見つめた。やや長い沈黙で、アレイスは怪訝そうに眉をひそめた。
「なんだ」
「結局いつも常闇の王の力を使って……それで本当にまだ顕現してないんですか?」
「顕現しなくても、八割か九割の力は使える」
「それってもう顕現する必要ないのでは」
「そういう訳にもいかないから世の中は容易くないのだ。現れたからには天命を全うせねばならない。私に限らず、誰でもだ」
カイルは心底深いため息をついた。己に課せられた天命とやらを思い出し、まだ何もしていないのにもかかわらず、妙に疲れてしまったからだ。
「先を急ぎましょう。ここの大将と副将も、もう捕らえているかもしれませんし」
アレイスはウォーレンに視線を投げたあと、聖剣を鞘に納め、諦めたように歩を踏んだ。
「とりあえず保留だ。貴様の闇は私が使役した。逃げようとしても無駄だぞ」
と言い置いて。
残されたウォーレンは生きた心地もなく、全身に汗をかいて硬直していた。ザインのすべての言動が理解できたからだ。しかし未だ混乱している。一体誰が、聖剣騎士と常闇の王なる称号を一人の男が所有しているなどと想定できるのかと。
「……何が起きているのだ」
言い知れぬ不安と恐怖の中、ウォーレンは「アレイスの恩情を得られるよう手を尽くす」と言っていたザインの言葉に一縷の望みを託した。