エピソード III
マローネの国王らはひとまず安心して、その日はフェンネル王宮の客室に寝泊まりした。マローネがやることは、非協力的な貴族の爵位剥奪と、セルツイード砂漠の譲渡のみである。のみと言っても労力はいるが、フェンネル帝国やデルスターが遂行せねばならない事柄に比べれば随分と易い。いや、考えれば考えるほど好条件である。こちらの顔を立てるため、あえて交換条件を出したとしか思えない取引である。
「こんなことをして、一体フェンネルに何の益があるというのだ。まあ、神皇帝ともなると、損得で物事は測らんだろうが……なんにしても助かった。神はまだ、我々を見捨ててはいなかったか」
サウル国王ヴァノン・マスラッドは呟きつつ、眠りについた。
翌朝。
国王三名とディラン王子とザインは、神皇帝と聖女の朝食の席に招かれた。国王と王子はうやうやしく挨拶したが、ザインは不服そうに席へ着いた。
「アレイス様は」
とヴァローアに向かって聞く。ヴァローアは気にする様子もなく笑顔で答えた。
「お誘いしましたが、騎士団の訓練に付き合うので、少し遅れると」
するとザインは手に取ったナプキンをテーブルに戻した。それを見てヴァローアが「待ちますか?」と聞くと、ザインは「当たり前だ」と返した。
そのようなことで、国王と王子もなんとなく待った。アレイスという名は知っている。その姿と共に噂で聞いた聖剣騎士の名だ。しかし、いかに聖剣騎士といっても、騎士は騎士。神皇帝や聖女、国王といった明らかに地位の高い者が遠慮して待つというのもおかしな話であると思い、ヴァノンは口を開いた。
「聖剣騎士というのは、そんなに徳の高いものですか」
ザインは聖剣騎士の信頼が欲しいと言っていた。もしそれが「聖人の信頼」と同等ならば神皇帝や聖女でも良いはずだが、聖剣騎士にこだわっている。そして今、その騎士のために目の前の食事に手をつけずに待っている。自国では味わえそうもない豊かな食卓だ。人より食欲があるヴァノンはどうにかして早く食したかった。
気持ちを察した聖女は瞼を落とした。
「申し訳ありません。ですが、この場はお待ちください。数千年、聖都を護り続けてきた聖剣を授かるということは、非常なことなのです。彼は私たちと対等か、それ以上と思って接していただけると幸いです」
「な、なるほど。よく分かりました。では、待たせていただきます」
そうして待つこと三十分。ようやく待ち人が現れた。食堂に足を踏み入れた途端、一斉に集まる視線。アレイスは眉をひそめて小さく首をかしげた。
「ん?」
国王らは息を飲み、ディラン王子は反射的に立ち上がった。聖剣騎士がどんな男なのかという好奇心と、やっと食事にありつけるという思いが重なっていたが、あまりの美しさにみな吹き飛んでしまった、といったところだ。
「……凄い。こんなに綺麗な男は見たことがない。さぞかし女性にもてはやされているんでしょうね。羨ましい。僕に貴方の美貌の半分――いや十分の一でもあれば、もう少し楽しい人生が送れそうなのに。あ、今度マローネにいらっしゃるんですよね? マローネにも美しい娘は沢山いますよ。どうですか、僕と一緒に街を巡って、かわいい娘とお喋りして楽しみませんか。貴方と一緒なら、よりどりみどりだ。きっと素晴らしい経験ができるに違いない。いやしかし、女性に興味がない場合はご案内致しかねます。そちらの趣向はまったく詳しくありませんので。でも貴方なら、相手が男だろうと引く手あまたでしょう。僕が世話を焼くまでもない。で、どちらですか?」
あまりにも遠慮なく一気に言ってのけたので、周りの者は唖然として言葉が出て来なかったが、アレイスはためらいなく聖剣を抜いて剣先をディラン王子へ向けた。
「貴様は舌を切り落とされたいのか」
ディラン王子は顔を真っ青にして、両手を上げた。
「ぼぼぼ、僕は、しし、親睦を深めようと!」
「ほお?」
アレイスは聖剣を鞘に納め、口角を上げた。
「では死にたい時は言え。私が殺してやる」
そのようなやり取りの最中、ザインは素早く席を立って、アレイスのために椅子を引いた。
「アレイス様、どうぞ」
アレイスが席に着くと、ザインも自分の席に着いた。その顔はとても嬉しそうだ。「今の流れで、何故そんなにも嬉しそうにしていられるのだ」と、国王らはかいた冷や汗を拭った。
聖者とは何なのか、そんな疑問が国王らの胸に湧いて来る。しかしアレイスが抜いた剣はまごうかたなき聖剣だ。神皇帝も聖女も沈黙を貫いている。この場は何も指摘せず、黙ってやり過ごすのが正解のようだった。
だが黙っていられない者もいる。ディラン王子の父、ディオンだ。
「愚息が失礼を。大変申し訳ない」
アレイスは顔の前で虫を払うように手を振って、面倒そうに目をそらせた。
これはどうでも機嫌を損ねてしまったようだと、ディオンは身を細めてうつむいた。
「……申し訳ありません、父上」
と、ディラン王子が謝る。ディオンは声を落としつつも、強い口調で叱責した。
「口は意識して慎めと、いつも言っているだろう」
「はい、気を付けます。でも父上」
「なんだ」
「僕は俄然、騎士団に興味が湧きました」
「は?」
「以前から格好いいと思っていたんですけどね。本物は本当に格好いい。そりゃ全員がアレイス様みたいに格好いいわけないと思いますけど、なんというか、迫力がある。僕も騎士団に入って鍛えれば、少しは箔がつくんじゃないかな。箔って大事だと思います。女性に頼られる男って、やっぱりモテるでしょう? 僕に足りないのはそれじゃないかな。大体、宰相なんてつまらない。馬に乗って剣を振って、魔物を倒してみたい。これを機に、僕がフェンネル騎士団に入れるよう、父上から頼んでみてくださいよ」
ディオンは大きく息を吐いて頭を抱えた。
ディラン王子がこう言うのは、他の国の武力は軍のみで構成され、騎士団を持たないからだ。余力がないという理由もあるが、フェンネル騎士団は多国籍で構成され、基本は魔物討伐のみを目的とした国際組織としてあることが一番大きい。
「ああディラン、お前は何も分かっていない。どうして舌の根も乾かぬ内に慎みを忘れ、この父を困らせるのだ」
「父上、僕は別に困らせるつもりなんか。ただ思ったことを言っているだけです。黙っているとムズムズするんです。それにどうして僕が騎士になりたいと言ったら父上が困るのですか? 入団できるよう口利きを頼んだからですか? もし駄目でも父上を責めたりしません。ただそれで運良く入れたりしないかなあって思っただけで。あ、それとも宰相が嫌だと言ったことが気に入らないのですか? でも僕、宰相として役に立ったことありましたっけ。ないですよね。だったら騎士にして鍛えたほうが十倍有益だと思いませんか」
「……口を慎め、ディラン」
ディオンはいよいよ肘を立て、組んだ手を額に当ててうつむいた。頭が痛くて仕方ないのだろう。さすがに呆れたアレイスは、ディラン王子に言った。
「騎士団に入りたければ試験を受けろ。試合をして上位二十名に選ばれれば嫌でも入団できる。私もそうした」
するとエリが口を挟んだ。
「ディラン様は一国の王子です。入れるのであれば、まずは従騎士団に入れ、訓練されることをお勧めします」
アレイスは鼻で笑った。
「王子だから何だ。そんな生ぬるさでは一生従騎士だ。歳は二十代半ばだろう。遅すぎる。来年の試験に向けて死に物狂いで訓練をして二十名に入れなければ諦めるのが正解だ」
「ですが自国他国問わず、騎士を目指す貴族はみな従騎士団へお入りいただいております。王子という身分にある方を、一般騎士と同じに扱うなど」
「私も一応伯爵家の跡取りだが一般騎士の試験を受けた。年齢もあるし、その方が手っ取り早いと思ったからだ。実際、早かった。現状を見ろ。即戦力にならない二十代の従騎士など養っている余裕はない」
それを聞いて、ヴァローアが身を乗り出した。
「伯爵家――失礼ですが、どちらの」
「ジークフリート伯だ」
ヴァローアは馴染みのない名前にいっとき考え込み、記憶の底からその名を引っ張り出した。
「……もしかして、プラタナスの町はずれに領地を持っている、あの」
「ああ」
「社交界には一度もお見えになられたことがないので、知りませんでした。ご子息がいらっしゃるとは」
「子はいない。私は養子だ」
「……養子。どのような経緯で」
問いを受けたアレイスは数秒ヴァローアを見つめた後、笑みを浮かべた。
「深い質問だ。私の事情を知りながら聞いてくるあたり、余程の恐れ知らずとみえる。神の加護とやらに随分自信があるらしい。だが覚えておくといい。代々神皇帝を護って来たその光を私は奪うことが出来る」
ヴァローアは途端に青ざめて口を閉ざし、視線を落とした。エリも胸に手を当て、息を止めた。そして国王らと王子は、何かとんでもない話を聞いてしまったと、顔を強張らせて固まった。
アレイスは水の入ったグラスを手に取って一口飲み、ヴァローアに向かって掲げた。
「安心しろ。出来るというだけで、まさか本当に奪ったりはしない。世の中には、どのような権限があろうと行使してはならない力がある。平和ボケしているようだから釘を刺したのだ。聖剣が台座を離れた今、その加護の効力は少しずつ薄れている。完全に消滅するのは大体五十年後だ。だが神皇帝と聖女の祈りがあれば、同等の加護は得られるはず。都に善良な民がいると思うのなら神事に励め。私の詮索はするな。美しい心に影を落とす」
言葉の締め括りに、ヴァローアは顔を上げ、エリは深呼吸した。そして同時に言った。
「……お気遣い、感謝します」
アレイスはうなずいて、グラスを置いた。
「では、さっさと食事を済ませよう」
マローネからの一行は、昼の内にフェンネルを発ち、帰国の途についた。その道中、国王らは馬車の中で会話した。馬車は、国王らを乗せた馬車と宰相らを乗せた馬車に分かれている。
「対等かそれ以上と言っていたが、どう見ても対等ではなかったな。それ以上一択だ」
ウィアールが言うと、ヴァノンとディオンは厳しい表情で唸った。
「まあ、数千年も都を護った聖剣を手にする器だ。常識では測れまい」
「にしても、神皇帝と聖女に敬意を払われるほどとは、恐れ入る。作戦に参加してくれるそうだが、心強い反面、不安だな」
「住民の避難の際に瘴気を浄化するだけだろう」
「だが気になることを言っていた」
ディオンの台詞に、ウィアールとヴァノンは黙って注目した。ディオンは応えるように話を続けた。
「神皇帝と聖女は聖剣騎士の事情を承知しているという話だった。にもかかわらず、客人の前で立ち入った話をしようとしていた。それを聖剣騎士は恐れ知らずだと返した。一体どういうことだ」
このディオンの疑問に、ウィアールが答えた。
「もしかすると、あの噂が本当なのかも知れない」
今度はディオンとヴァノンがウィアールに注目した。
「噂?」
「うむ。なんでもあの聖剣騎士、聖剣を授かった時に公言したそうだ。〝ゆくゆくは光明の王となり、この地に永遠の光と平穏をもたらす〟と」
「なんだと!」
ディオンとヴァノンは仰天して、揺れる馬車の中でうっかり立ちかけた。ウィアールはそれを制して更に続けた。
「その確証を神皇帝と聖女が得ている上でのあれなら、納得がいく。光明の王の出生を探るなど大それたことだ。いかに神皇帝でもな。それに加護の光を奪うというのも、光明の王なら可能だろう」
「光明の王……そんなものが現れたとなると、常闇の王の復活も近いのか。なるほど、二十歳を越えた従騎士を養っている余裕などないな」
ディオンが言うと、場は静まり返った。
それから三人の王は、それぞれ馬車の窓から外を眺めた。晴れ渡った青い空。陽光を受けて緑に輝く大地。ここがいつか戦場に変わるのだろうかという恐れを抱いて、過ぎ行く景色を見つめる。
その中でウィアールはふと、ザインの言動を思い浮かべた。聖剣騎士の信頼を得ることに固執していたのは、光明の王と知ってのことか、と。聖剣騎士が光明の王の力でもってデルスターを説得したのであれば、何もかも腑に落ちる。常闇の王が現れた際は敵になるだろうが、今は光明の王に従っている方がいい。地上で対を成す偉大な王に逆らって良いことなど、ひとつもない。
「光明の王が支配すれば、マローネも豊かになるか」
とはヴァノンが問うた。
ウィアールとディオンは視線を向けた。
「おそらくは」
とウィアールが答える。そうなれば光明の王が唯一無二の王となり、国という概念もなくなり、己らは失脚するだろう。しかし国民の暮らしが豊かになって、誰も苦しむことのない世の中になるなら、それが一番だ。
「マローネが豊かになる。そんな夢物語が実現するなら、私はどんな努力も惜しまぬ」
ヴァノンの言葉に、ウィアールとディオンは共感してうなずいた。
三国は貧しいがゆえに、手を取り支え合って来た。サウル、レナス、ブロイストの王たちは戦友であり、親友であり、家族である。フェンネル帝国の介入は、このたび巡って来た災難で共に足掻くか倒れるか、そんなことを思っていた矢先に差してきた光だ。決して間違えることなく進みたいと、三国の王は互いに手を伸ばして握り合った。
「事が上手く運ぶよう、神に祈ろう」
「ああ、そうしよう」
「我が祖国と、民のために」
しばらく忙しいので、執筆・投稿は遅れます。ご了承ください。