エピソード II
レナス国王ウィアール・アメーソン、サウル国王ヴァノン・マスラッド、ブロイスト国王ディオン・ベリアーノは、それぞれ宰相を伴って締結の席に臨んだ。
レナスの宰相はリラウ・ギュフェスという、齢六十の恰幅のいい男で、サウスの宰相グウィン・テドールは齢四十八、神経質そうな細いつり目の男だ。ブロイストにおいては、この地位に王子ディラン・ベリアーノが就いている。父親と同じ灰色の髪で、目は藍色だ。次代の国を担う者としての修行を兼ねているわけだが、二十六歳になっても落ち着きなく、目にとまった娘にはもれなく声をかけて回っているという遊び人だ。
六名はフェンネル帝国の王宮に呼ばれ、応接室のひとつである豊饒の間に通された。上等な絨毯に上等な家具。煌びやかな照明。どれを取っても目のくらむような高級品で、六名の開いた口は塞がらなかった。
「国力の違いを見せつけられますな」
とウィアールが言うと、他二人の王は「ううむ」と唸った。
六名が席に着くと、続くようにロドリオが入って来た。本日の仲介人でもある彼は、豊饒の間の扉を開いたまま固定し、神皇帝と聖女が入って来るのを補助した。
聖女エリの若く美しい姿に、六名はため息をついて出迎えた。腰まである真っ直ぐなプラチナブロンドの髪は輝き、緑色の瞳は宝石のような光を湛え、透き通るような白い肌は艶やかである。
ブロイストの王子ディランはこれ以上ないというくらい鼻の下を伸ばして、ソワソワとしながら口を開いた。
「い、いや、実に美しい。お目にかかれて光栄です。これも何かの縁。今度、僕の国へ遊びにいらっしゃいませんか。ご案内しますよ。フェンネルほどではありませんが、夜景の美しい場所もあります。一緒に素敵な夜を過ごしませんか。あ、夜といっても決してやましい事は……マローネは日中が暑いので、みな夜にしか働かないし出歩かないのです。だからお店も夜にしか開きません。つまり昼間みたいなものです」
父であり国王であるディオンはそんな息子をたしなめた。
「不敬だぞ。聖女とは俗世にない者。そのような口を聞いて良い相手ではない」
そして聖女に向いて頭を下げた。
「申し訳ありません。教育が至りませんで」
エリは穏やかに微笑んだ。
「いいえ。お気になさいませんように」
しかし神皇帝ヴァローアは顔をしかめた。
「このような場でいきなり女性を口説くとは、教育以前の問題があるようだ」
マローネの国王らは神皇帝の不興を買って動揺した。ディラン王子は「これはやらかしたか」と肩をすくめてうつむき、誰かが助け舟を出してくれるのを待った。そこへ今一人、入室してきた。黒髪に黒目の背の高い青年――ザインである。
マローネ国王ならびに宰相は目を丸めて青年を見た。神皇帝ヴァローアと聖女エリ以外は聖剣騎士の他にフェンネル側の代表はいないと思っていたからだ。噂話に過ぎないが、聖剣騎士は亜麻色の髪に銀色の目をした青年だと聞いている。よって目の前の青年は全く知らない人物だ。
「……この方は」
とウィアールが尋ねると、ロドリオが答えた。
「デルスター大将、ザイン・グラコス様です」
「なっ! なんだと!」
「デルスターが聖剣騎士の説得に応じたという話はお聞き及びのことでしょう。住民の避難に際し、地上の瘴気を払う段階においては聖剣騎士にお願いしますが、より瘴気の濃い根城を攻めるには、デルスターの軍が最も適当です。芸は道によって賢し。瘴気を生み出しているのは結晶化された闇です。破壊するには闇の魔術に精通した者でないと難しい」
「きょっ、協力すると言うのか。あのデルスターが」
ザインは左手を腰に当て、ニヤリと笑った。
「ああ、協力してやる」
「何故」
「何故? 聖剣騎士の信頼が欲しいからだ。それ以外に理由はない」
「聖剣騎士の信頼……どうしてそれが必要だと?」
「常闇の王の右腕となるための、条件のひとつだからだ」
マローネ側の者全員の背筋が凍り付いたように伸びた。デルスターと言えば常闇の王の崇拝組織であるから、その名が出ない訳はないのだが、改めて聞くと恐ろしく感じるのだ。
「――それが条件というのは、一体どうして」
「貴様には関係ない。だがスカルノスを討伐し、苦しんでいる民を救いたいお前たちと、そうすることで聖剣騎士の信頼を得、常闇の王の右腕となる条件をひとつ備えることができる俺。これほど互いの利害が一致するのは珍しいと思うが、いかがかな?」
国王らはテーブルの上を凝視し、額に汗の粒を光らせ、沈黙した。スカルノスを討つにはデルスターをぶつけるのが有効な手段であることは分かる。どのような軍、どのような騎士団であろうと、これより勝る方法はない。だが裏切らないという保証はどこにあるのか。突然スカルノスと手を組んでマローネを制圧しにかからないとも限らない。
そこへ、レナスの宰相リラウ・ギュフェスがウィアールへ耳打ちした。
「まさかフェンネルがデルスターに懐柔されたということは」
「まさか」
ウィアールは小声ながらも語気を強めた。
「神皇帝と聖女はこの地上で最も神に近いのだぞ? いかに強大とはいえ、一組織に懐柔されるなどあり得ん」
「しかし、本会合にデルスターが加わるというのは、我々にとって寝耳に水。事前に知らされていなかったのは引っ掛かります」
「確かに。だが知らされていたら、どうだった。ここへ来るまで時間がかかったかもしれない」
「では信じるに足るものをご提示いただくというのは」
「うむ」
ウィアールは視線を上げ、ザインを見据えた。
「そちらの言うことを、我々は何をもって信ずればいい」
ザインは腕を組んで、ヴァローアに視線を投げた。ヴァローアは視線を受けてうなずき、ウィアールと目を合わせた。
「神託を得ました。神はマローネの民も愛しています。決して悪い事は起こりません」
ヴァローアの眼差しは真摯だ。顔には嘘偽りとは無縁の純粋さが表れている。ウィアールは意を決するように唾を飲みこんだ。
「……神皇帝、この世で貴方の神託ほど確かなものはなく、またその名を継ぐ者が道を誤ったことはない。帝国の繁栄がそれを証明している」
ウィアールはそう前置きして、右手を出した。
「締結を」
ヴァノンとディオンもそれに倣って右手を差し出した。ヴァローアはそれぞれの手を握り、
「では調印を」
と言った。ヴァローアの言葉を受けて、ロドリオはテーブルに契約書を並べた。契約はフェンネル帝国、マローネ共和国の三国、デルスターの五者間で行われるため、署名する書類は全部で五枚ある。五名全員の署名が入った契約書を五枚製作し、それぞれが一枚ずつ保管する。これをもって、締結は完了だ。
「では、この約束を互いに、誰一人違えることのないよう、神に誓いましょう」
聖女が促すと、それぞれは「神に誓う」と明言し合った。契約書の署名は当然のことながら、締結には、神皇帝の前でこの言葉を発することが最も重要な事項だ。何故ならば、真に神に誓いを立てることになるからだ。誓いを破れば命以外のすべてを失う――それがこの大地における揺るぎない絶対の法なのである。