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常闇の王 サイラス  作者: 礎衣 織姫
第三章 黒い風
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エピソード IV

 事件後、少女たちはむやみにアレイスに近寄ることをやめ、暴行に加担した少年たちの親は街を離れた。ロウザの両親が少年たちの死を哀しみつつも、やったことについては言うまでもなく怒っていて、ジークフリート伯も後継者を不当に傷つけられたとして、少年らの行いを厳しく非難したためだ。

 ロウザはといえば、週に一度、ハクモンレンの丘でアレイスと会い、他愛もない話をした。

「どうやらアレイスは、君には心を許しているようだ。たまに会って話をしてやってくれないか」

 とジークフリート伯に頼まれたという経緯もあるが、ロウザ自身がアレイスと会って話をしたいという想いがあった。

「アレイスは、孤児院に預けられる前はどこにいたの?」

 ある日ふと聞くと、アレイスは困った顔をした。

「覚えていない。気が付いたら孤児院の前にいた。預けられたというより、保護されたんだ。覚えているのは名前だけだった」

 この時ロウザは「そうなんだ」と思うだけで深く考えなかった。

 それからあの日の悪夢が嘘のように、平穏な日々が続いた。三年ほど街から遠のいていたアレイスの足も少しずつ向くようになり、何もかもが正常に動いていた。

 十六の歳。当時のアレイスは少し伸びた髪を後ろで束ねていて、背もかなり高くなっていた。それに伴って男らしさが出てくると、美しさは更に際立った。すると街の女の子たちが再び騒いだ。ただ以前と違うのは、恋愛対象ではなく、憧れや観賞の対象になったことだろう。そのせいか、妬む男も現れなかった。むしろ好意を示されることがあり、アレイスは理解できず困惑していた。

 一方ロウザはこの頃、親が経営している酒場の手伝いをよくしていた。そんなロウザに会うため、アレイスが街を訪れる機会も増えていたわけだが、その日、いつものようにやって来たアレイスは、花束をカウンターに置き、ため息ついた。

「これはどうしたらいいと思う、ロウザ」

「……どうしたの? それ」

「途中で知らない男に渡された。何の意味があるんだ?」

「あー、それはあれよ。受け取ってあげるだけでいいやつだから、気にしないで」

「そうなのか? 妙なものだな」

「それより、もうすぐ誕生日ね。何か欲しいものある?」

「いや――まだ三カ月も先だ」

「もう三カ月後よ。すぐに来ちゃう」

「それだって、正確なものじゃない。保護された日だ。実際はいつなんだか」

「そんなこと言わない。いいじゃない。お祝いをする日ってことで」

「……分かった」

 アレイスは顎に手を当て、しばらく考えた。

「では当日夜七時、ここへ来る。その時にいてくれ。何も用意しなくていい」

「え? なにそれ」

「いいから、そうしてくれ」

「うーん、別にいいけど。あ、じゃあ何か御馳走する。いいでしょ?」

「ああ。楽しみにしている」

 その後一通り談笑すると、アレイスは「また来る」と言って帰った。それと入れ替わるようにして、四十代前半の男がカウンター席に座り、ロウザに話しかけた。

「失礼、お嬢さん。少しお伺いしてもよろしいでしょうか」

「え、ええ」

「先ほどの方、もしや……」

 と、急に男は声を小さくして言った。

「サイラス様では」

 ロウザは固まって、男を凝視した。

「……なんでそんなこと聞くの? 彼を知ってるの?」

「もちろん存じ上げております。いや、数千年前とお変わりなくお美しい。あ、申し遅れました。私はシェルストンという村で村長をしているボルという者です。お嬢さんがとても親しげにされていたので、つい。差し支えなければ、色々とお伺いしたい」

 ロウザは訝しげにボルを観察した。察したボルは先に自分の村の話をすることにした。村は数千年前の大災厄の時、善良な民が逃れた場所であり、逃してくれたのが常闇の王サイラスであったこと。暴力による支配がまかり通っていた戦乱の世に現れ、闇を生む者を滅し、病をまき散らしながら蔓延していた闇を喰らい、世に光をもたらしたのだということ。それらを丁寧に話して聞かせた。

「我々はその時の子孫でして。この話は代々伝えられてきました。世間がどう噂しようとも、我々が今あるのは、サイラス様のお陰だと思っております。ここへは観光で訪れたのですが、まさかお会いできるとは。こんなに嬉しいことは後にも先にもないでしょう」

 黙って聞いていたロウザは、注文用のメモ用紙に日付を書いてボルに渡した。

「この日にここへ来て。今の話はその時本人にしてあげて。彼の誕生日なの。一緒にお祝いしましょう? きっと喜ぶわ」

 ボルはメモを取って、目を輝かせた。

「よろしいのですか」

「もちろん。彼を良く思ってくれている人なら誰でも大歓迎よ」

 だが当日は最悪の一夜となった。

 各地の港を荒らし回っている海賊団が、プラタナスの街を襲ったのだ。

 街に火が放たれ、海賊団と名乗る輩が港から侵入し、五、六名の組に分かれて店や民家を襲撃した。金品は剥がされ、男は殺され、女は犯される。そんな悪魔のような所業があちらこちらで行われ、人々は逃げまどい、悲鳴を上げた。

 夕刻の六時を回って屋敷を出たアレイスは、遠目に街から上がる火を見て一度屋敷へ戻り、馬を駆って街へ急いだ。街へ入るとすぐに、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。アレイスは動悸を覚えながら馬首を巡らせ、獅子の宴へ向かった。そして着くと同時に馬から飛び降り、店に入った。中には逃げ遅れた客と、気を失っているロウザの父と、剣で斬られた傷から血を流して倒れているロウザの母がいて、ロウザは髪を乱し、頬を涙で濡らしながらその側に寄り添っていた。海賊は五人いて、店を物色している最中だ。

「アレイス!」

 ロウザは叫び、アレイスはロウザに駆け寄った。

「ロウザ! 無事か!」

「私は平気。でも母さんが……倒れて気絶した父さんを、海賊が斬ろうとしたの。それで母さんが……」

 アレイスはロウザの母を見て、目を伏せた。背中ではなく、胸を斬られている。彼女は海賊に立ち向かい、夫を庇って死んだのだ。

「とにかくここは危険だ。私の屋敷へ」

 とアレイスがロウザの腕をつかむと、海賊の一人が呼び止めた。

「おっと、兄ちゃん、その娘には後で用があるんだ。勝手に連れてかれちゃ困るな」

 アレイスは声に振り返り、海賊の男を睨んだ。男はアレイスの顔を見て一瞬怯んだ。

「……へえ、こりゃ驚いた。随分と綺麗な顔だ。女はここでやるとして、お前はおかしらに献上するといいかもな」

「――なんだと?」

「おかしらは女も好きだが、綺麗な男も好きなんだ。良かったな。ここで殺されずに済む。せいぜい可愛がってもらいな」

「誰が私のことを聞いている。女をどうすると言った」

「あ? だからよ、女はここで俺たちのオモチャになってもらうのよ。お楽しみってやつだ。まだガキと言えばガキだが、結構いい女だ」

 海賊がそう答えた瞬間、いつの間にかアレイスの手に握られていた長剣が、男の腹を刺した。

「うごっ……ぐっ、ふ――な、てめえっ、いつの間に」

 腹を押さえて両膝をついた海賊を冷たい目で見下ろしながら、アレイスは言った。

「貴様がくだらないことをほざいている間にな」

 そしてアレイスは容赦なく、腹から抜いた剣を横に振って海賊の首を刎ねた。様子を見ていた海賊の仲間は、ひとしきり口をあんぐりと開けた後、「きさま!」と怒号を上げてアレイスに斬りかかった。アレイスは身を低くして攻撃を避け、同時に剣を振った。斬りかかって来た海賊の胸は一文字に切り裂かれ、次いで振り下ろされた刃によって十字の傷を作り、仰向けに倒れた。

 華麗な剣さばきを見て、他の海賊らは襲い掛かろうとしていた足を一旦止め、首からぶら下げていた笛を吹いた。笛は甲高く鳴り響き、海賊の仲間を数名呼び寄せた。

「なんだなんだ、どうした」

「手強い奴がいる。手を貸してくれい」

 駆けつけた連中はアレイスを見て笑った。

「手強いって、このあんちゃんが? 随分と可愛らしいじゃねえか。なんの冗談だ」

「冗談じゃねえ! 足元見てみろや! 仲間二人やられちまった」

「おっ……と、こりゃあ、ひでえな。しっかし――」

 仲間の男はしげしげとアレイスを眺めた。

「殺しちまうのは、ちと惜しいな」

 不意に、他の仲間より二回りほど図体のでかい男が割り込むように言って、手に持っていた斧を肩に担いだ。アレイスは剣を構え、一歩下がって小声でロウザに指示を出した。

「カウンターの中へ。いいと言うまで出て来るな」

「う、うん」

 ロウザはすぐ後ろにあったカウンターの中へ入った。アレイスはカウンターを背にして、海賊と対峙した。大男は「へっへ」と下品に笑った。

「すぐに大人しくさせて、言うこと聞かせてやるぜ」

 大男は斧を大きく構え、アレイスを掠めるようにして振り落とした。アレイスはガラ空きになった男の腹をめがけて剣を突き出した。斧はカウンターにめり込み、剣先は何か固い物に当たって折れる。剣が折れた衝撃で腕が痺れ、アレイスは思わず声を上げた。

「うっ……!」

 大男は「きへへっ」と笑った。

「オレぁ、武器が武器だからよ、腹にはそれなりの防具仕込んであんだ」

 大男とカウンターに挟まれたアレイスは咄嗟に身をかがめ、前転して隙間から逃げた。だが逃げた先にも海賊はいる。十人以上の輩が得物を持って、アレイスを取り囲むようにして立っていた。

「終わりだ兄ちゃん。逃げ道はねえよ。観念しな」

 アレイスは声に振り返り、大男が背にしたカウンターから心配そうにこちらを覗くロウザを見た。ロウザはカウンター越しに、アレイスが自分を見ていることに気付いた。

「いけない」

 とロウザは呟いた。あの日を思い起こさせるこの状況は、とても良くないと感じたからだ。

 アレイスは追い詰められた表情で視線を泳がせた。そして急に左手で頭を押さえ、「うっ」と呻いて、先の折れた剣を落とした。

 海賊連中は、アレイスが観念したのだと勘違いした。一人が近くの縄を取って拘束しようとした、その瞬間、黒く鋭い大きな棘が、海賊の喉笛を突き破った。

「ぐわっ!」

 海賊たちは目を剥いた。血飛沫を上げながら倒れる仲間を視線で追う。その顔は信じられないという思いに満ちていた。

「んなっ! なんだ?」

 それから風が起こった。床から黒い靄が湧き出し、風に舞い上がる。靄は生きた獣のように縦横無尽に飛び交って、海賊の男たちを次々に空中へ縫いとめた。

「な、なんだ! どうなってやがんだ!」

 風の中心にいるアレイスは、頭を押さえていた左手をたらし、ゆっくりと顔を上げた。瞳は金色に輝き、口元にうっすら笑みを浮かべている。

「一人だけ解放してやる。お前たちのかしらを呼んで来い」

 声には、途方もない圧力があった。理屈では測れない恐怖を感じ、海賊たちは悲鳴を上げた。

「ひいっ! なんだってんだ! 何なんだこいつはよぉ!」

「どうでもいい! 誰かおかしら呼んで来い! いや待て! オレが呼んでくる!」

 大男が名乗りを上げた。「解放」という言葉に望みを託したのだ。上手くすればどさくさに紛れて逃げられると思い――しかしアレイスは言った。

「街に散らばっているお前たちの仲間はすでに全員拘束している。どこにいても、私の手からは逃れられん。(めい)に背けばその時点で殺す」

 大男は考えを読まれていたことに驚愕し、命令には背かないと誓わされた。

 二十分後、ようやく大男がかしらを連れて戻って来た。かしらは道中で事の次第を聞き、街中でも靄に拘束されている仲間を目撃した。黒い風は今もまだ吹き荒れ、術者が一帯を完全に支配していると、否が応でも知らしめてくる。かしらは自分が置かれている立場を重々承知したうえで、酒場に足を踏み入れた。

「……あんたかい、この黒い靄を操ってんのは。なんて魔術だ?」

 髭をたくわえた、ガタイのいい、いぶし銀のような味のある男だ。プラタナスという大きな港街を狙ってくるからには、大海賊団と称してもいい規模の人員を束ねているのだろう。それなりの風格がある。

 アレイスは正面から、かしらを見据えた。かしらは顎髭を撫でるようにしてつまみ、アレイスを舐めるように見つめた。

「ふん、なるほど。お前なら一生可愛がってやってもいい。どうだ? この妙な術を解いて、わしのもとに来ないか。どんな贅沢でもさせてやる」

 アレイスはかしらの提案を一笑のもとに付した。

「馬鹿げているな。かつてこの世を滅ぼした私に、何をあてがおうと言うのだ。すべては既に私の手の中にある。貴様の命もだ」

 言うと同時にアレイスが左手を広げて腕を上げると、黒い靄が風に乗って舞い上がり、海賊のかしらを宙に浮かせて拘束した。かしらは足をばたつかせたが、その足もすぐに縛り上げられた。

「うっ……! まさか――サイラス!」

 かしらの言葉に周りの海賊たちはどよめき、恐怖に凍り付いた。

 アレイスは言った。

「今から貴様の手下を一人ずつ殺す。貴様は最後だ。一人は解放すると約束したから、除外すれば酒場にいる賊はちょうど十人になる。こいつらは貴様の命が費えるまでの指標にしてやろう――ああ、百四十七人もいるのか。少々面倒だが仕方がない。では、秒読み開始だ。百四十七、百四十六、百四十五……」

 秒読みとはつまり、生きている仲間の数のことだ。数えるごとに減っていく――その恐ろしい事実に海賊らは震え上がり、失禁し、泣き叫んだ。

「やめてくれぇ、やめてくれよぉ、頼む、改心するからよぉ」

「百三十九、百三十八」

「ひいっ、勘弁してくれ、二度と悪さはしねえ」

「百三十七」

 海賊らがどんなに懇願しようと、アレイスは聞く耳を持たず、秒読みを続けた。そしていよいよ残すところ十名となった。

「十」

 とアレイスが言うと、酒場にいる海賊の一人が何の前触れもなく黒い棘に貫かれて死んだ。

「九」

 と言うとまた一人。「八」と言えばまた一人。仲間が目の前で殺されていくのを見て、海賊らは死刑執行を待つばかりの罪人のように、声なく震えた。

 アレイスはふと秒読みをやめて海賊のかしらを見上げた。

「どうだ、気分は。最高か? 手下が己の死をもって、貴様の死の時を知らせてくれる。頭冥利に尽きるだろう」

 海賊のかしらは強張らせた顔中に汗を滲ませ、下にいるアレイスを凝視した。

「……わしは今までに、非道と言われることはやりつくしたと思っていた。まさかこんな――こんなことが」

 アレイスは鼻で笑った。

「闇という闇を喰らい尽くし、悪という悪を根絶やしにし、全ての大地を枯らした私が味わった地獄はこんなものではなかった。貴様が見ている地獄など、天国だ」

 そうしてアレイスはまた、秒読みを再開した。カウンターの中でロウザは静かに泣いた。やがて「一」まで到達し、「ゼロ」を数えるのみとなった時、アレイスは大男に尋ねた。

「このままだとかしらは殺されるが、お前が代わりに殺されるなら、かしらは解放してやる。どうする」

 大男は激しく首を横に振った。

「じょ、冗談じゃねえ! せっかく助かるってぇのに!」

 そう聞くと、アレイスは少し首をかたむけて笑い、

「ああ、良かったな、こいつはクズだ。貴様に飯を食わせてもらった恩義も忘れたらしい。私はこういう人間が大嫌いだ」

 と言って大男を殺し、かしらを解放した。

 急に束縛を解かれ床に落ちたかしらはいっとき呻いたが、なんとか息を整えて、両膝をついたまま顔を上げた。先にはアレイスがいて自分を見据えている。かしらはその金色の目を魅入られたように見つめた。

「名前は」

 とアレイスが聞くと、かしらは、

「イドゥン」

 と答えた。

「貴様には印をつけた、イドゥン。この街を守ると誓うなら生かしてやる。背けば命はない」

 イドゥンはゆっくりと身体を前へ倒し、平伏した。


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