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常闇の王 サイラス  作者: 礎衣 織姫
第三章 黒い風
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エピソード II

 ジークフリート伯バレン・テュダメイアは、プラタナスの町はずれに広大な領地を持つ裕福な貴族で、妻ヘレネと仲睦まじく、静かに暮らしていた。貴族同士の交流こそないものの、街の人々との関係は良好で、催し物がある時は積極的に参加し、公共事業においては資金援助を惜しまない、評判のいい人物である。ひとつ問題があるとするなら、子宝に恵まれなかったことだ。

 その夫妻がある時、子供を連れて街へやって来た。歳は十一で、亜麻色の髪と銀色の目をしたとても美しい少年である。聞くところによると、一週間ほど前に孤児院に預けられたばかりの子で、素性は全く分からないという。しかし読み書き計算はできるし、ピアノとバイオリンを嗜むというから、良家の出なのは確かだろうということで、ジークフリート伯の後継者として選ばれたのだ。

 夫妻は街の者に少年を紹介して回った。

「アレイスだ。私の後継者になる。よろしく頼むよ」

 バレンが言うと、アレイスは丁寧に頭を下げた。所作には気品があり、街の人々は感心して褒めた。人々が褒めるとアレイスは嬉しそうな笑みを浮かべた。その笑みは光り輝く太陽のようで、あまりの美しさに「これは神が遣わした子に違いない」という噂が広まり、たった一日で有名人になった。

 それから数日経ったある日。ジークフリート伯の屋敷と街の間にあるハクモクレンの丘で、ロウザとアレイスは出会った。丘の頂上にある一本のハクモクレンの木――その下に座って本を読んでいるアレイスをロウザが見つけ、話しかけたのがキッカケだ。

「こんにちは」

 声をかけられたアレイスは本から目を外し、ロウザを見上げた。そして笑顔で答えた。

「こんにちは」

「横に座ってもいい?」

「どうぞ」

 ロウザが並ぶようにして座ると、アレイスは言った。

「いくつ?」

「え? あ、年?」

「うん」

「十歳」

「ひとつ下か。同い年くらいの子に話しかけられるのは君が初めてだ」

「ほんと?」

「本当」

「嬉しい?」

「うん」

「良かった。私ロウザ。ロウザ・リリー・サンドリア。よろしく」

「僕は――」

「あ、知ってる。アレイスよね。バレン様のとこの」

「……うん」

 アレイスは元気をなくしたように返事をした。ロウザは変に思って尋ねた。

「どうかした? 私、何か間違えた?」

「ううん。間違えてない。いい名前だと思ってる」

 ロウザは眉をひそめて首をかしげた。

「違うのね?」

 アレイスは少し驚いたようにしてロウザを見つめた。

「どうして?」

「勘がいいってよく親に言われる」

 アレイスは視線をそらせてうつむいた。

「本当はサイラスなんだ。けど、引き取られる時に不吉だからって変えられた。不吉なのか? この名前」

「あー、うん、そう思う人は多いかも。でも気にすることない。あなたはあなたよ」

 ロウザが励ますと、アレイスは安心したように微笑んだ。どことなく頼りないその笑みは、ロウザの胸に長く残った。

 一カ月も経つと、より多くの人がアレイスのことを知るようになった。アレイスはどのような立場の者にも分け隔てなく挨拶し、決して偉ぶらず、小さな親切を積み重ね、信頼を得ていた。

「あんなに出来た子は見たことがない。バレン様は良い跡取りを見つけた」

 と大人たちはよく話をした。勿論、そんな子供は稀なので、他の子と比べるものではなかった。そもそも伯爵家に引き取られた時点で普通とは異なる。なので、同年代の子供たちもさほど気にしていなかった。

 しかしあまりに評判が立つと、女の子たちは気になるものである。どんな男の子なのかと確かめに行き、見たこともない美貌に驚いて、たちまち恋に落ちた。

 半年経って街に馴染んでくると、毎日十五、六人の少女たちがアレイスを取り囲んであれこれ話をするようになった。美しいだけでなく、優しく賢い彼に、少女たちが夢中になるのは早かった。比例して、そんなアレイスをやっかみ、疎ましく思う少年が増えるのも早かった。

「なんだアイツ。女に囲まれてヘラヘラしやがって」

 だからといって彼らに何かできるわけでもなかった。相手はジークフリート伯の後継者だ。手を出すには身分が違い過ぎる。しかしそれが却って不満を募らせる原因となった。

 アレイスはといえば、彼らの感情を感じ取っていたのか、決して自ら近づくようなことはしなかった。たまに向こうから肩をぶつけてきたり、足を引っかけようとしてきたり、地味な嫌がらせはあったが、アレイスは黙って受け流していた。だがそういう雰囲気は当人だけでなく、周囲にも伝わるものだ。街の少女たちは団結し、アレイスを守ろうとした。その行為が火に油を注ぐようなものだとは、年端も行かない彼女たちには分からなかったのだ。

 アレイスを囲む少女たちの中には当然のように、少年たちが好意を抱いている女の子がいる。双方十五、六人の集団となると、一人や二人の問題ではない。両手で数えるくらいだ。好きな女の子がアレイスに夢中であること以上に嫉妬の理由はないというのに、少女たちは少年たちに向かって言った。

「いい加減にしなさいよ。嫌がらせなんて最低」

「アレイスに敵わないからって、やり方が陰湿よ。みっともないと思わないの?」

 すると少年たちは顔を真っ赤にして言い返した。

「父ちゃんが言ってたぞ! お前たちみたいなの、尻軽女って言うんだ」

「おれんとこの母ちゃんは、アバズレって言ってたぜ!」

 少年たちは笑い、少女たちは怒った。何かが起きてしまってはただでは済まない人数だ。散歩中に偶然出くわしてしまったロウザは、親を呼びに行った。

 この時は大人たちの仲裁で事なきを得たが、騒動の話を聞いたアレイスは責任を感じていた。

「どうしたらいいだろう」

 ハクモクレンの木の下で、アレイスは膝を抱えた。ロウザはアレイスにそっと寄り添った。

「放っておけばいい。アレイスは悪くない。女の子たちは自分がしたいようにしてる。アレイスが好きだから一緒にいる。それが男の子たちを怒らせて、アレイスを困らせてるのに。本当に好きなら、男の子たちが大人しくなるまで距離を置けばいいと思うんだけど、どうしてか出来ないみたい。男の子たちは勝手にヤキモチ妬いて怒ってるだけ。自分が持ってないものをアレイスが持っていて、それが女の子たちを引き寄せてるのが気に喰わないから、悪口を言ったり嫌がらせすることで気を晴らそうとしてる。自分勝手なんだ。みんな結局、自分のことしか考えてないんだよ。だからアレイスも気にすることない」

 アレイスは感心したようにロウザを見つめた。

「すごいな、ロウザは」

「え? そうかな?」

「うん。よく見えている」

 アレイスはそう言ったあと、草の上についているロウザの手に自分の手を重ねた。

「みんな君みたいならいい」

 思わぬことにロウザは頬を染めた。

「へへっ、なんか照れちゃうな。お世辞でも嬉しいよ」

「本当だ。君の心の中は光で溢れている。とても暖かい」

 そして遠くを見て呟いた。

「僕は怖い。みんなの中にあるあの黒い――(もや)。あいつ、大人しくしているかな? とても悪い匂いがする。とても悪い……とても悪い……」

 アレイスは、また同じことがあるのではないかという懸念から言っているのだとロウザは思った。現にそれはあった。一カ月ごとに少年少女らはぶつかり合い、そのたびに大人が治めるということが続いた。これが数か月に及ぶと、さすがに対策を練らねばならなくなり、大人たちは双方の意見を聞いた結果、少年たちへの監視を強化し、少女たちにはしばらくアレイスに近づくことを禁じた。

 しかし、少女たちは少年たちのせいでアレイスに会えないのだと怒り、ますます少年たちを嫌った。少年たちはアレイスのせいで嫌われてしまったのだと逆恨みし、よりアレイスを憎んだ。状況は悪化する一方だった。

 アレイスはハクモンレンの木の下で、頭を抱えていた。ロウザは渦中にいなかったので、大人の目をかいくぐり、アレイスに会いに行くことができた。

「大丈夫?」

 と声をかけると、アレイスは小さくうなずいた。

「でもたぶん、僕はここにいないほうがいいんだろう」

「そんなことない。だってアレイスは何も悪くない。私の父さんと母さんも言ってる。アレイスは何も悪くないのに、可哀そうだって。男の子の親たちも、よく言い聞かせてるみたいだよ。ヤキモチ妬いてないで、爪の垢でも煎じて飲めって」

 アレイスは顔を上げ、ロウザを見つめた。

「それは逆効果だ。親にすら認められず馬鹿にされたと思って、きっともっと悪くなる」

 アレイスが言ったことは本当だった。少年たちは親に反発し、大人の言うことに耳を貸さなくなっていった。

「どうせオレたちは、アレイスと違って出来が悪い」

 そんな風にひねくれて、少女たちとも目を合わせなくなっていた。

 そして、アレイスが街へ来て一年と三カ月。事件は起こった。


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