エピソードⅠ
サンパール地方はフェンネル帝国の南寄りにあり、その中心地プラタナスは第二都市と言っても過言ではない大きな街だ。常春で過ごしやすく、海に面していて、商業と漁業が盛んである。また貿易港も保有しており、人や物の出入りは頻繁だ。街並みは、茶や赤のレンガ造りで四階から五階建ての大きな建物が続く。蟻も入れないほど隙間なく敷き詰めた石畳の広い街道では、馬車がひっきりなしに往来していて、両脇に設置された歩道も多くの人で賑わっている。
カイルは旅装束でフードを深くかぶっていたが、暖かい日差しの中、小一時間歩いて体温が上昇したため、取り払って頭に風を浴びた。住み慣れた者には分からない潮の匂いを嗅ぎながら、ボルに貰ったメモを覗く。
「この辺りのはずだけど」
カイルがキョロキョロしていると、不意に後ろから声がかかった。
「おい」
呼び止める声と共に、肩に手が乗る。振り返ると、金髪を七三に分けた色男、デルスターの副将ロドリオ・クレイオスがいた。カイルが驚いた顔を見せると、
「やはり君だったか。フェンネル騎士団副長、カイル・ロイス・イーグル」
と言った。カイルは警戒して眉をひそめた。
「……何故ここに?」
「何故? それはこちらの質問でもある。そして答えも同じだろう。サイラス様の出身地となれば、調べないわけにはいかない」
「副将自らですか」
「副将だからこそだよ。常闇の王に関することだ。他の者には任せられない」
「そういうものですかね」
「そういうものだ。ところで君は何か……当てがあるようだ。同行しても構わないか?」
「いいですよ――って、言うと思います?」
カイルが訝しげにしながら返すと、ロドリオは少し笑った。
「まあそう言わず。慣れない街だ。一人より二人の方がいいだろう」
「断っても、どうせついて来るんでしょうね」
「話が早くて助かる」
「いいとは言ってませんからね」
「分かった分かった。それでどこへ向かうつもりだ」
「……〝獅子の宴〟っていう酒場です」
しぶしぶ教えると、ロドリオは通りがかりの女性の進路を塞いで立ち止まらせた。
「失礼。道を尋ねたいのだが、よろしいか」
「え? ええ」
二十代後半くらいの女はロドリオの顔を見て少し髪を整える仕草をし、微笑んだ。
「獅子の宴という酒場を探している。この辺りと聞いて来たのだが……」
「それならもうひとつ向こうの通りですわ」
「ありがとう。足を止めて申し訳ない」
「いいえ、どういたしまして」
ロドリオは笑顔で礼を言うと、カイルに向いた。
「ということらしい」
「……なんか腹立つ」
「何が」
「別に。じゃあ行きますか」
獅子の宴の間口は広く、酒場だというのに昼間から賑わっていた。酒の肴だけでなく、食事も提供しているからだろう。空いている席は二か所しかなかった。カイルとロドリオは隅にある二人用の席に座り、とりあえず腹ごしらえすることにした。
「折角だ。何か食べよう」
「そうですね。何も注文せず話だけ聞くのも気が引けますから」
二人が座ると、奥から二十代前半くらいの若い女がやって来て、声をかけた。
「いらっしゃい。ご注文は?」
やや癖の強い明るい栗毛を後ろで三つ編みにしている。顔は目を引く美しさだ。可愛いと表現しても良いし、美人と言ってもいい。
カイルは少しソワソワしながら、「お勧めは?」と聞いた。
「イエローテイルのガーリックソテーね。ロブスターのグラタンもお勧めだけど、値が張るわ」
「あ、じゃあイエローテイルのガーリックソテーで」
「私はロブスターを頂こう」
カイルは一瞬ロドリオを睨んだ。ロドリオが「なんだ?」と問うと、カイルは「嫌味じゃないですよね?」と確認を取った。ロドリオは軽く肩をすくめた。
「気が付かなかった。すまない。奢ろうか?」
「いいですよ、別に。悪気がないなら」
「……君は少し物事を穿った目で見過ぎじゃないか」
「好きで穿った見方をしているわけじゃありません。ただ、いつも悪気しかない人と行動しているせいで、つい」
「そういえば、陛下には何と言ってここへ来たんだ」
「え? ――ああ、ただちょっと休暇を下さいって言って来ましたけど」
「よく許可が下りたな」
「色々ありましたから、休暇くらい必要だと思ったんじゃないですか?」
実のところ、デルスターが全面撤退したおかげで暇になったというのが大きいが、カイルはあえてそう返答した。表向きはデルスターの大将・ザインが聖剣騎士の説得に応じたということになっているが、真実は当事者と神皇帝、聖女のみが知る。聖女エリはあまりのことに卒倒したが、光明の王となる可能性を信じることで持ち直した。「貴方には重い荷を背負わせることになりますが、どうか力を尽くしてください、カイル」と期待をかけられて、ますます重荷に感じている次第だ。
そんな裏事情を知ってか知らずか、ロドリオは納得いかない様子で唸った。
「しかしね、君はあれだろう」
「アレイスが勝手に言ってるだけでしょう」
「アレイス様と呼べ」
すると、店員の女が真顔で口を挟んだ。
「今、アレイスって言った?」
カイルとロドリオは同時に背筋を伸ばして女に顔を向けた。真剣な眼差しをしている。ここへ来た目的を考えると心当たりしかないカイルは、息を飲んでうなずいた。
「もしかして、ロウザ・リリーさん?」
「ええ。ロウザ・リリー・サンドリア。あなたたちは?」
「フェンネル騎士団副長のカイル・ロイス・イーグルです」
「クラバール伯爵ロドリオ・クレイオスだ」
カイルは少し目を丸めた。
「伯爵なんですか?」
「まあ」
「歳、いくつなんですか」
「十八だが」
「……若いとは思っていましたけど、本当に若かったんですね。というか若すぎやしませんか。その歳で伯爵?」
「関係ないだろう。両親が早世しただけだ」
「じゃあジークフリート伯の知り合い?」
とはロウザが尋ねた。ロドリオは眉をひそめた。
「いや、その御仁のことは存じ上げない」
「そうなの? まあ、他の貴族とはあまり交流しないことで有名だから、知らなくて当然と言えば当然だけど」
「変わり者なのか」
「うーん……貴族から見ればそうなのかもね。私たちから見れば庶民的で優しくて、とても常識人よ。正式にはジークフリート伯バレン・テュダメイアといって、みんなバレン様って呼んでる」
名を聞いて、カイルもロドリオも目を見開いて「あ」という形に口を開けた。
「テュダメイアってことは、アレイスの?」
カイルが問うと、ロウザは周りを気にする素振りをして、
「とりあえず注文とってもいい? これ以上の話があるなら、食べ終わった後、カウンターに来て。裏へ案内するから、そこで」
と言った。二人は同意して、とにかく腹を満たすことに専念した。
店の裏は住居になっていて、カイルとロドリオはダイニングへ通された。ロウザは「どうぞ」と言って二人に紅茶を出した。二人は「どうも」と返事をして椅子に座り、ティーカップに口をつけた。
「それで、つまりボルの紹介で、ここを訪ねたってことでいい?」
二人の真向かいに腰かけながらロウザが聞き、カイルはうなずいた。ロウザは深いため息をついた。
「まったく、人の気も知らないで。あんまり話したくないことなのは理解して」
「あ、はい。すみません」
常闇の王の話だものな、とカイルが思った矢先、それを見透かしたようにロウザが言った。
「誤解のないように言っておくけど、私は彼を恐れてるんじゃない。むしろ愛してる。だから言いたくないの。分かる?」
これにはカイルだけでなく、ロドリオも驚きを隠せなかった。
「崇拝者なのか?」
とロドリオが聞くと、ロウザは呆れた顔をした。
「女が男を愛してると言ったら大体恋愛感情に決まってる。あなた大丈夫?」
ロウザが眉をひそめたので、カイルはどうやり過ごそうかと焦った。が、何も思い浮かばなかったので正直に言った。
「この人は崇拝者だから、真っ先に発想するのがそういうことってだけだと思います」
「おい、君!」
「すみません。でも嘘ついても意味がないでしょう。これからアレイスの話を聞こうっていうのに」
「それはまあ、そうだが」
「ふうん、あの村の人なの?」
あの村とは言わずもがな、シェルストンである。ボルの言う通り、随分事情に詳しい様子のロウザに隠し事は不要そうだと判断したカイルは、「いや、デルスターの副将ですよ」と、ロドリオの許可も取らずに正体を明かした。勝手について来たので文句は言わせないというカイルの強気な態度を汲み取ったロドリオは、深いため息をついて口をつぐんだ。
ロウザは目を丸めた。
「へえ、そうなの。だから話を聞きたいのね。でもあなたは? 騎士って言ってたけど」
「団長がアレイスなんです」
ロウザは大きく息を吸って背筋を伸ばし、背もたれに背中をくっつけた。
「……嘘。噂で聖剣騎士になったとは聞いたけど、団長なの?」
そして嬉しそうに笑みを浮かべた。
「そっか。なんとかやっていけてるみたいね」
ロウザの笑顔の意味も言葉の意味も分からなかったカイルは渋い顔をした。
「常闇の王ということに変わりありません。聖都を護る騎士としては大問題です。そもそも、どうして聖剣に選ばれたのかすら分からないんです」
ロウザは笑みを消し、「彼に問題があることは分かってる。でも問題があるのは周りの人間も同じってことを忘れないで。彼は人の心に敏感で、とても影響を受けやすいの」と前置きして語り始めた。