エピソード VII
「我々が同行できるのはここまでです」
この先にデルスターの根城があるという関門の近く。マーサレ地方北端の町で、ヘレノスとアルフレッドはカイルに別れを告げた。ロドリオの大隊の目撃情報を頼りにたどり着いた地だ。とうにデルスターの支配下にある。しかしだからといって町の人が入れ替わるわけではない。統治されてはいるが、従来どおり普通の人々が暮らしている。数日寝泊まりするにも充分な宿があり、二人はここでカイルの帰りを待つことにした。
「ご武運をお祈りします」
とヘレノスが言い、
「無事にお帰りなる日まで、お待ちしております」
とアルフレッドが続ける。カイルは二人の真摯な眼差しを受けて、うつむいた。
「三日経っても帰らなかったら、帰還してくれ」
「カイル様」
「いいんだ。それが運命なら仕方ない。僕も二人の無事を祈っている。ここまでありがとう」
カイルは頭を下げ、馬に乗った。
「行ってきます」
ヘレノスとアルフレッドは、その後ろ姿を目に焼き付けるようにして見送った。
それから関門に差し掛かったカイルは、大きく深呼吸した。生きては帰れぬ覚悟をし、ヘレノスやアルフレッドに守られてここまで来たが、関門を通れなくては話にならない。デルスターの統治下にある関門を、果たしてくぐれるか否か。
カイルは緊張しながら関門へ寄った。関門には十人の兵士がいて、そのうちの二人が対応にあたった。
「ここを通りたい」
「許可証を。なければ名前と職業を」
「カイル・ロイス・イーグル。フェンネル騎士団副長だ」
兵士は馬上のカイルをじっと眺め、門番を務める別の兵士に腕を上げて合図を送った。
「開門!」
そしてカイルに向かって言った。
「通れ」
カイルは驚きすぎて息の仕方を一瞬忘れた。開かれていく門と兵士を交互に見やり、じわじわと湧き上がる疑問に嫌な予感がした。
「どういうことだ? ここはデルスターの配下だろう」
「行けば分かる」
と言う兵士の顔は、これ以上何も言いたくないし関わりたくもないという雰囲気が漂っている。カイルはまだ色々聞きたかったが、言葉を飲み込んだ。
そうしてしばらく馬を走らせていると、剣山のような岩山を背に抱えた巨大な城塞が見えてきた。まるで色を失くした世界だ。カイルは近づくほどに、鮮やかな思い出がかき消されていくような不安を覚えた。
城門の前に来て、一旦馬を止め改めて見上げると、組織の強大さが知れる。カイルの身体は芯まで凍り付き、一匹の小さな虫になったような気分がした。
来たはいいが、ここからどうしたものかと佇んでいると、城門が開いた。黒い甲冑を纏った兵士が十数名現れ、周囲を取り囲む。カイルは身を固くして剣の柄に手をかけた。そこで兵士の一人が言った。
「お待ちしておりました。どうか剣はお収めください。アレイス様のところへご案内します」
この台詞で、カイルの中の嫌な予感は極大になった。案内された場所は誰がどこからどう見ても王室で、贅を尽くした家具が揃えられてある。そして部屋の中へ入ると、足を組んでソファに堂々と腰かけているアレイスと、横に立って不貞腐れている黒髪黒目の背の高い青年がいた。アレイスはカイルの姿を見て笑顔を浮かべ、座ったまま両腕を広げた。
「見ろ、一人で来たぞ。私の勝ちだ」
黒髪の青年は沈痛な面持ちで目を伏せた。
「あり得ん。敵城に一人でやって来るなど」
「ぼやくな。私が勝ったのだから、ファズールは騎士団が貰う」
黒髪の青年はチラリとアレイスを見た。
「ご存知だったのでは?」
「まさか。だが神の考えることは大体予想がつく」
アレイスは立ち上がり、カイルのそばへ寄って肩を叩いた。
「よく来た、カイル。大いなる神の祝福を受けるに値する勇気、実に素晴らしい」
あまりのことに状況が掴めず目を白黒させていたカイルは思わず、アレイスの頭を両手で挟むように掴んだ。
「本物なんでしょうね」
「……なぜ偽物だと思うのだ」
「いや、本当にまったく、貴方らしすぎて、つい。どこにいても太々しいんだろうと思ってはいたんですけど、まさかここまでとは思っていなかったので」
「お前も相変わらず、どこにいても失礼だな」
そこへ黒髪の青年が割って入った。
「無礼だぞ」
とカイルの手首を掴み、アレイスから引き離す。その顔は色々言いたいが堪えているという顔だ。
「そう気張るな、ザイン」
アレイスはスッと踵を返し、再びソファに座った。青ざめたのはカイルである。
「……ザイン?」
と黒髪の青年を見やる。ザインは暗い顔でため息ついた。
「どうして貴様のような青二才と取り合わねばならんのだ」
「――は?」
カイルは眉をしかめた。ザインと言えばデルスターの大将のはずだが、目の前の青年からはそんな覇気を感じない。精悍な顔立ちをしており、全体的に均整が取れていて、腕も立ちそうではあるが、このような強大な組織の頂点にしては若すぎる気もした。
「取り合うって、何を?」
ザインはカイルをきつく睨んだ。
「アレイス様に決まっているだろう!」
カイルは大きく目を見開き、ついで強いめまいに襲われた。
「なんでそんな……一応団長だし聖剣騎士だから助けに来ただけで、でなければ、のしをつけてくれてやりたいところなのに」
「敵城にたった一人で来ておいて、貴様こそ何を言っている」
「それは神託が下ったから」
「神が言えば何でも従うのか」
「普通そうでしょう」
カイルとザインはしばらく無言で顔を見合い、考えがまったく相容れないことを確認して目をそらせた。
「一体、どうなっているんです?」
カイルが説明を求めると、アレイスは不敵な笑みを浮かべて答えた。
「私が常闇の王となるか、光明の王となるか、お前たちはその最後の鍵を互いに握っている。カイル、お前が一人でここへ来たことが何よりの証だ。曇りない真っ直ぐな瞳。何者も恐れぬ勇気。お前が持つ光は、光明の王を顕現させるに相応しい。あとは自覚だけだ。ザインの方はいまいち力不足だが、資質はある。これから力を蓄えていけば、常闇の王を顕現させられるだろう。私は現象なのだ。闇が強ければ闇へ、光が強ければ光へ誘われる。ただ、どちらの世になるとしても、その前に拮抗した状態で雌雄を決することが必要だ」
カイルは言葉を失った。この城におけるアレイスの立場や、「取り合う」という意味を正確に知れはしたが、素直に理解することは困難を極めた。そもそも村を守るために聖剣騎士になった一剣士じゃなかったのか、と。
長い沈黙と思考の末、カイルは問うた。
「聖剣騎士になったのは、どうしてですか」
「村を守るためだ。それ以上でも以下でもない」
「でも、貴方は……」
「常闇の王だった。だがそれとこれとは関係ない。私はただ村を守るために必死だった。そのために聖剣を取りに行った。しかしお前と会った時、光明の王になる運命が見えた。まんまと神に導かれたのだ」
「まんまとって……。常闇の王の力があれば、聖剣なんて必要なかったんじゃありませんか?」
「常闇の王の力は村では使わない、それが村の連中との約束だ」
カイルは背中がぞわっとするのを感じた。急にアレイスに対する村人の態度が別の物に見えた。
「村の人たちは、知っている?」
「シェルストンは常闇の王の崇拝者の村だ。昨日今日の話ではない。かつての大災厄の日に生き残った善良な民の子孫で、当初から今に至るまで、私への信仰を絶やしたことはない」
カイルは絶句するしかなかった。ザインも初めて聞く話に唖然とし、額に汗を滲ませた。
「そういうことでしたら、何故おっしゃってくださらなかったのですか。同じ王を崇拝するなら、侵略する必要もない」
「お前たちの信仰と村人の信仰は違う。言っただろう。善良な民だ。魔物と共存などできん」
ザインが「くっ」と奥歯を噛みしめ押し黙ると、今度はカイルが身を乗り出した。眠れないほど心配し、泣いて縋る親を置いて死ぬ覚悟で来たというのに、まったく助ける必要がない相手だったと知り、悔しいやら情けないやら何やらで、感情がない交ぜになっている。吐き出してしまわないと気が変になりそうだった。
「……何が何だかよく分かりませんけど、僕はごめんです。貴方が光明の王になるための道具になるなんて、冗談じゃありません。光明の王がいなくたって、神皇帝や聖女様がいる。神の加護がある。どうして貴方の運命を決めるのに、僕がデルスターの大将と戦わなければならないんですか」
アレイスは立ち上がり、憤るカイルのそばに寄った。
「跪け」
言葉が発せられると、カイルの膝はガクンと折れ、地についた。
「うっ! なっ……」
カイルは思わず両手をついた。下から何かに引っ張られていて、徐々に強くなっていく。得体の知れない力に抗おうと態勢を変えようとしたが、自身の身体を全身の筋肉で支えるのがやっとだ。その背に、アレイスの無情な声が降り注いだ。
「お前の気持ちも分からなくはない。だが一時の感情に流されるな。私は現れたのだ。現れた以上、引くことはできない。以前なら私が光明の王になる未来など皆無だったからなるようにしかならなかったが、今回は違う。神は私を導き、お前を選んだ。地上にある者は神の遊戯に付き合わなければならない。お前が戦わずして敗北し、私が常闇の王として復活すれば、神皇帝や聖女がいくら抵抗しようと無力だ。神の加護も絶対ではない。今やお前は全人類の希望の光だ。投げやりになっていいと思うなよ」
「うっ……くっ……!」
カイルは尚も下へ引き寄せられる力に懸命に抗った。アレイスがカイルを額ずかせようとしていることは明らかだ。だがこんな強引なやり方でひれ伏させようとするのは光明の王などではない。アレイスは今も昔も変わらず常闇の王だ。絶対に屈服するものかと、カイルは必死に抵抗を続けた。
そんなカイルを見て、アレイスは「ふん」とそっぽを向いた。
「強情な奴だ」
と、急に引き付ける力が失せ、カイルは態勢を崩して転がった。
「わっ!」
すぐに起き上がろうとしたが、すっかり疲れてしまって力が入らない。そこへアレイスが片膝ついて身をかがめ、息を上げて床に転がるカイルの耳元に顔を寄せた。
「まあ、どうしようとお前の自由だ。世が破滅に向かっても、お前には関係ない。救える可能性を秘めながら無視しても、きっと誰も責めはしない。何もせず常闇の王が復活したとしても、それもまたお前が望んだ未来だ。みな喜んで受け入れるだろう」
アレイスは言って、音もなく立ち上がった。
「一人で帰りたかったら帰ってもいいぞ」
カイルは転がったまま目に涙を滲ませた。
「……そんな言い方は狡い。僕が、無視できないことを知って言っている。貴方は酷い人だ」
「今更何を言う。はじめから私は酷い人間だっただろう?」
意地の悪い笑みを浮かべて言うアレイスの心を測りかねて、カイルはゆっくりと身を起こした。
「とにかく、貴方は連れて帰ります。そのために来たんですから」
アレイスは少し驚いた顔をして肩をすくめた。
「では、ファズールに出立の準備をさせよう」
「……そういえば、騎士団に入れるとか何とか言っていましたね」
「ここでは役に立たないが騎士団に入ればあの腕前だ。大いに役立つ。私を救出しに大軍で来るか、お前一人で来るか、賭けをして勝ったので貰えることになった。お前の手柄だ。喜べ」
「人を賭けの対象にしないでください」
「ああ、お前に足りないのは遊び心だ。真面目過ぎるのは欠点だぞ?」
カイルは大きく深いため息をついた。そして本当に連れ帰っていいものかと迷った。しかし約束した以上、連れて帰らねばならない。聖剣騎士ということは最も明らかな事実だから尚更だ。
一日も要さず、カイルがアレイスとファズールを連れ立って帰って来たので、ヘレノスとアルフレッドは驚きと喜びをもって迎えた。
「よくご無事で」
「一体どうして――いや、とりあえず良かった」
カイルは引きつった笑顔で受け答えつつも、ふとアレイスを見た。聖も邪もない顔をしている。視線を追うと、白い花が咲いている一本の木があった。アレイスは一人のただの人間のように、その木を眺めていた。
帰路の途中、シェルストンへ寄った。聖剣を回収するためだ。泣いて喜ぶ人々に取り囲まれるアレイスを横目に、カイルは村長と話をした。ボルという名の五十代の男だ。
「彼、ここへ来る前はどこにいたんですか?」
というカイルの質問に、ボルは答えた。
「サンパール地方のプラタナスという街だ。敵城へ行ったのなら、もう分かっているだろう。詳しく話してあげるから、こちらへ来なさい」
ボルの唐突な誘いにカイルは焦りつつ、促されるままついて行った。行った先は村の備蓄倉庫の地下で、明り取りの窓から入る日差しが奥の壁を照らしている。
カイルは目を見開いた。そこには長い黒髪と金色の目をした美しい面差しの男が描かれていた。
「……アレイス?」
カイルは思わず呟いた。それほどよく似ていた。するとボルが言った。
「アレイス様と言えばアレイス様だが、これはサイラス様だ」
「あ……」
「かつての大災厄の折、この地下へ身を隠した我々の祖先が描いたと云われている。小さい頃から見て育ったおかげで、プラタナスでアレイス様をお見掛けした時、すぐにサイラス様だと分かった」
それからボルは紙切れを一枚、カイルに渡した。
「プラタナスへ行って、ここを訪ねるといい」
カイルは紙に書かれた文字を見た。住所と建物の名前だった。
「酒場ですか」
「ああ。ロウザ・リリーという娘が父親と一緒に切り盛りしている。アレイス様のことは彼女が一番詳しい」
カイルは戸惑い、ボルの目をじっと見た。
「なぜ僕に」
「知りたいのだろう」
「ええ、でも」
「貴方は神皇帝や聖女様に次いで加護を受けていると、アレイス様がおっしゃっていた。そしてデルスターへ赴いたアレイス様を連れ戻した。貴方は神に選ばれた人だ。知る権利がある――いや、知る必要がある。行って来るといい。そうすればこの村のことも、アレイス様のことも、分かるはずだ」