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常闇の王 サイラス  作者: 礎衣 織姫
第一章 怒れる者たち
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エピソードⅠ

 かつて、この世の闇を喰らいつくしたという男がいた。口から闇を取り込み、暗黒の力をほしいままにしたというかの者は、常闇の王と呼ばれた。常闇の王は強大な力をもって世界に君臨し、人々に恐怖と悲しみをもたらしたが、やがて天より差した神の光によって滅せられ、世を去った。しかしこれで完全に恐怖と悲しみが消えたわけではない。今もなお、闇の世界で暗躍し、支配を目論む者たちがいる。その者たちがいる限り、聖なる者の戦いもまた、終わることはない。


 東にフェンネル帝国、西にサウル、レナス、ブロイストの三国からなるマローネ共和国、南にハスローン王国を抱く大地は、数千年の時、平穏であった。殊に神皇帝ヴァローア・キャスリオンが治めるフェンネル帝国は、都市ラマスにある聖剣の加護により邪気から守られ、自然豊かで清らかな水に恵まれている。

 この聖剣は、常闇の王が滅せられた時に天より授けられたとされるものだが、台座に横たわったままで、振るったことのある者はいない。というのも、もはや台座と一体のものではないかというほどビクともしないからだ。言い伝えによれば、相応しき者の手によらなければ剣は台座より離れることはないという。ありきたりではあるが、信仰心あつい人々は「神から授かった剣であるならば、悪しき者の手に渡らぬよう、そのような仕様なのは当然であろう」と少しも疑うことなく信じている。

 ゆえにいつの日か相応しき者が現れることを願っており、騎士を志す者が集まる季節には、入団式の一環として剣を手に取るということが行われている。前述のとおり台座に固く張り付いて動かすことは不可能なので、柄を握るだけではあるが、もしかしたらその中に掴み上げる者がいるかもしれないという一縷の望みがかけられているのだ。

 代々、騎士として神皇帝に仕えてきたイーグル家の長男とて同じである。伝統にのっとり七歳で小姓、十四歳で従騎士、二十歳で正式に騎士となる道を歩んで来た彼も、その恒例儀式を通過した。彼の名はカイル・ロイス・イーグル。金髪に青い目の、いかにも騎士たる騎士という風体、六・一フィート一八七ポンドと大柄で筋肉質だが、育ちの良さが印象に残る青年である。

 もしや彼こそが、と思った者も少なくない。素直な性格で人当たりが良く、見目はやや地味だが婦人受けは良い。しかし当人は「聖剣とはああいうもので、きっと誰の手にも収まらないだろう」と思っていた。実際、神皇帝にも聖女にも反応することはなく、カイルの手にも収まらなかった。それはそこにあるべきもので、座して動くことはない――人々はそのように、悟らざるを得なかった。

 一方、騎士の家の生まれではないが入団を望む者たちのために開かれた門がある。それなりの修行歴や実績のある者、ただ腕に覚えのある者、あるいは職を求めてやってくる者のために用意された登竜門である。これはトーナメント方式の試合で、勝ち抜いた上位二十名が晴れて入団という栄誉を預かるわけだが、彼らは正規の騎士とは違い、一般騎士という名称で呼ばれる。正規の騎士となるには、これから実績を積んでいかなければならない。

 とはいえ、入団式への参加や恒例儀式においては正規の騎士同様、分け隔てなく行われる。カイルが正式な騎士となったその日も、トーナメントを勝ち抜いた一般騎士が恒例儀式をこなしていた。それも数名を残すのみとなった時、緩くウェーブがかかった肩に届く長さの亜麻色の髪と、銀色の目をした見目麗しき男が祭壇に立った。スラリとしていて背が高く、威風堂々としている。神皇帝や聖女を前にしながら、あまりにも臆せぬ態度であるので、どこかの物好きな貴族が一般騎士に紛れて来たのかと疑いたくなるほどだ。

 しかし貴族が大半を占めるこの会場で、誰も見覚えのない男である。一度でも目にしたことがあるなら、記憶に残らないわけがない容姿だ。にもかかわらず界隈で噂にすらなっていないところをみると、貴族でもなく、郊外でもない地方から最近やって来た余所者だろう。が、それにしても目を引く外見をしているので、誰もが無意識に注目した。

 男はそんな周囲の視線など意に介さず、不敵な笑みを浮かべて聖剣の柄を手に取った。そしていとも簡単に掲げた。会場にいたすべての者は驚きのあまり口を開けて固まった。内心、「いつか現れるのでは」という思いは淡く、「永遠に現れないのでは」という思いの方が強かった。それゆえ現実に一部始終を目撃しても、すぐには信じられなかったのだ。

 そのような人々を置き去りに、男は不遜な態度でこう言った。

「聖剣に選ばれるべくして選ばれた。これは揺るぎない真実である。よって私はこれから聖剣騎士として、お前たちの長を務める。異議は認めん」

「なっ! いきなり現れて何を」

 何を言い出すんだと、ようやく正気を取り戻した者の中の数名が声を上げた。対する男は口の端を上げてこう言い放った。

「明々白々な事実を述べているだけだ。私ほど相応しい者はいない。それは聖剣が証明した。それとも貴様らは自分の目で見たことを信じない阿呆なのか?」

「なんだと!」

「聖剣に選ばれた騎士が指揮してやろうと言うのだ。神の慈悲と思ってありがたく受け取れ」

 高慢とはこの男のためにある言葉だろう。聖剣が掲げられた瞬間は神の奇跡を見たように驚いていた神皇帝や聖女も、沈痛な面持ちで深いため息をついた。そこへ、

「経年劣化で偶然、台座から離れたに相違ない、貸してみよ」

 と進み出た者がいた。現騎士団長ミハイル・ロイス・イーグルである。名の示す通り、カイル・ロイス・イーグルの父で、口髭の良く似合うたくましい男だ。周囲に子息を褒められれば「まだまだです」と謙遜してはいたが、本心は聖剣を握るのは息子だろうと信じて疑ってはいなかった。それが突然現れたどこの馬の骨とも知れぬ者にかっさらわれるのは納得いかないところである。

 不遜な男は「では受け取ってみろ」と両手を使って聖剣を水平に掲げ差し出した。ミハイルはもう台座にないそれを手に取るは容易かろうと柄に手をかけたが、聖剣が男の手を離れることはなかった。ただ手に乗せてあるだけの剣は、寸分も持ち上がらなかったのである。

 ミハイルは唸り、男を睨んだ。

「そなたは長になると申したな。だが現騎士団長はこの私、ミハイル・ロイス・イーグルだ。次期を決めるのは神皇帝と聖女様、そしてこの私だ。勝手に名乗ることは許さぬ」

 すると男は嘲笑いながら剣を握り直し、その先をカイル・ロイス・イーグルへ向けた。

「貴様の父親の齢はいくつだ」

 自分に矛先が向くと思っていなかったカイルは驚き、焦りつつ答えた。

「四十五だ」

 不遜な男は片眉を上げた。

「なるほど。まだ戦えはするが若くはない。引退しろ」

「はあ? 貴様、何を言っておるのだ。先ほどの話を聞いておらんかったのか」

 ミハイルは憤ったが、不遜な男は無視して尚もカイルを指して言った。

「この中では神皇帝と聖女に次いで、神に祝福されているのはお前のようだ。お前を副団長に任命する」

 不遜な男はそう告げてから、聖剣を腰の鞘に納めつつ、神皇帝と聖女を振り返った。聖女はその鞘に注目した。聖女エリ・フォルゴールはまだ十七と若く、腰まである真っ直ぐなプラチナブロンドの髪に緑色の瞳をした美しい娘である。並び立つ神皇帝もそう歳は変わらない。つまりこの国の双頭は他国から見ても歴史的に見ても珍しく若いのだが、全身からにじみ出る神聖さが年齢による不利を充分に補っていた。

「その鞘は」

 とエリが尋ねると、不遜な男は初めてうやうやしく会釈した。

「これはお目が高い。さすが聖女様。この鞘は私が神より直々に賜ったものにございます。何やら聖なる力に満ちておりましたので、これと対となる剣は聖剣より他にはないだろうと、馳せ参じました次第。選ばれるべくして選ばれたと申しましたのは、授かるべきものを授かったからでございます」

「そうですか。見たところ、聖剣も素直に鞘に収まったとみえます。確かに貴方は、神に導かれてここへ来られたのでしょう」

「はい。私は生まれてこのかた神に背いたことはございません。ゆくゆくは光明の王となり、この地に永遠の光と平穏をもたらしましょう」

 光明の王とは、その名の通り常闇の王と相反する存在であり、至上の光を世にもたらすとされている。あまりの大言に驚きと戸惑いが会場を満たす中、聖女は言った。

「その言葉に偽りのないことを願います。決して神に背かず、聖剣の騎士として、国と大地をお守りください――」

「お待ちください!」

 このままでは騎士団長の地位を得体のしれない男に奪われると思ったミハイルは、焦って声を上げ、聖女の前に片膝ついた。

「この者がいかに聖剣に選ばれたとはいえ、長年帝国に仕えた我がイーグル家の功績を無下に扱われてはかないませぬ」

 聖女は静かにミハイルを見下ろして言った。

「無下には致しませんわ。退職後の保証は従来通り手厚いものです。不安に思うことも、不満に思うこともないと思います」

「そのようなことを言っているのではありませぬ!」

「体面のことをおっしゃっているのですか? お気持ちはお察ししますわ。でも、数千年かけてようやく聖剣の持ち主が現れたのです。これは神のご意思です。何か大きなことに備えよという警告ならば、従うのが確かでしょう」

「しかし!」

「しかし、何だと言うのです? 貴方も、イーグル家の者なら分かるはず。聖剣を授かるということが、どれほどのことかは。聖剣を持つ者の言葉は天啓に等しいのです」

「……っ!」

 聖女のもっともすぎる意見に、ミハイルは声にならない声で呻いた。そんなミハイルを見て聖女は小さくため息つき、視線を聖剣騎士に移した。そしていっとき黙し、その顔をしばし眺めたあと聞いた。

「お名前を、お伺いしましたか?」

 男は口の端を軽く上げた。

「いいえ、まだ名乗ってはおりません」

「そう。ではお名前を」

「アレイス・テュダメイア。以後お見知りおきを」


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