第93話 そんな約束したっけ?
放課後になると、咲茉の様子が更におかしくなった。
授業が終われば、当然だが生徒達は帰宅する。また世間を騒がせている暴行事件の所為で部活動も禁止され、学校から帰宅を促されてしまえば、生徒達も帰るしか選択肢がない。
その生徒達に紛れて悠也達が校舎を出ると、咲茉の顔色がより一層悪くなっていた。
おそらく極度のストレスを感じているのだろう。青白くなっていた彼女の表情が、更に血の気が引いたように白くなっていた。
僅かに冷や汗も搔いている。今も不安で仕方ないと歩いている悠也の右腕にしがみついている彼女に、悠也達が心配にならないはずがなかった。
「……おい、大丈夫か?」
「大丈夫、心配しないで……本当に大丈夫だから」
やはり悠也が心配しても、咲茉が答える言葉は同じだった。
昼休みから一貫して頑なに大丈夫と言い続ける顔色の悪い彼女を見て、その言葉を信じられるはずもない。
「……咲茉」
「大丈夫だから、本当に心配しなくても大丈夫だから」
「……言えないのか?」
もう我慢できないと悠也が問い掛けると、ほんの少しだけ咲茉の目が大きくなった。
その変化を見逃すわけもない。その反応で、悠也達は自分達の予想が間違いではなかったと確信してしまった。
「悠也、それ以上はマズイ」
悠也の発言に、思わず乃亜が指摘する。
まだ周りに生徒達が歩いている。誰が自分達を監視しているか分からない状況で、不用意な発言をすれば都合が悪くなる。
その指摘に悠也が表情を歪めていると、
「今だけは何も訊かないで……お願いだから」
彼の右腕にしがみついている咲茉が、俯きながらそう呟いていた。
そして周囲の生徒達に怯えている様子を見てしまえば、もう悠也に言えることはなかった。
それは乃亜達も同じだった。今の咲茉に何も訊くことができないもどかしさに、自然と彼女達の表情が強張ってしまう。
そんな悠也達が校舎を出て、校門を抜けた時だった。
「おせぇなぁ、どんだけ待たせんだよ。どんくさい女だな」
前触れもなく聞こえたその声に、悠也達は反応できなかった。
校門を出た先で、まるで何事もなかったようにあの拓真が路上駐車している大型の車を背もたれにして悠也達を待ち受けていた。
「…………は?」
その姿に、理解が追い付かない悠也が声を失う。
見間違いではと疑いたかったが、少し遅れて彼の脳が告げていた。
間違いない。この男を、悠也が見間違えるはずがなかった。
派手な銀髪。黒一色の服装と無駄に付けているとしか思えないアクセサリーの数々。
そして無駄に整った顔立ち。だが以前と違って、顔中に傷跡が残っていた。
おそらく、以前に悠也が殴り続けたことで生まれた傷跡だろう。傷が治っても、消えない傷跡が目つきの悪い彼の人相を更に悪くしていた。
「……なんでコイツが」
絶句していた悠也の後ろで、困惑していた凛子が声を漏らす。
そして乃亜と雪菜が目を吊り上げて目の前にいる拓真を見つめていたのだが、彼の視線が彼女達に向けられることはなかった。
まるで悠也達など眼中にないと、彼の視線は咲茉を見つめていた。
「ほら、わざわざ迎えに来たんだからさっさと来い」
「……ひっ」
気怠そうに手招きした拓真に、震える咲茉が悠也に寄り添う。
その反応を見るなり、拓真は面倒そうに頭を乱雑に掻いていた。
「うぜぇなぁ。良いから早く来いっての。それとも、コイツがどうなっても良いのか?」
拓真がそう言うと、彼の背後に止まっていた大型の車のドアが開かれる。
そしてそこから出て来た人間に、悠也達は絶句してしまった。
その車から現れたのは、ガラの悪い男達と手足を縛られている小さな女の子だった。
「や、やっぱり……ほ、本当に」
唐突に現れた女の子に絶句していた咲茉が、ポツリと呟く。
その呟きに理解の追いつかない悠也達が困惑していると――
「――莉乃ッ!?」
突然、悠也達の前に一人の女子生徒が飛び出していた。
その生徒は、悠也達も知る人間だった。
決して深い関係ではない。だが昼休みに会った人間を数時間で彼等が忘れるはずがなかった。
「……山内さん?」
唐突に叫びながら現れた女子を見た乃亜が、怪訝に眉を顰める。
彼女と同様に悠也達も困惑していると、現れた山内理沙に拓真が深い溜息を吐いていた。
「呼んでもないテメェが出てくんじゃねぇよ。うぜぇな、邪魔だから失せろ」
「アンタの言った通りにしたじゃない! 早く私の妹を返してッ! アンタの言われた通り咲茉に電話を繋げれば返してくれるって約束でしょッ‼」
呆れている拓真にそう叫んだ理沙の話に、ようやく悠也達が状況を理解した。
「冗談じゃない……ここまで馬鹿ことするなんて」
今起こっているあり得ない現状に、乃亜が小さな声で呟く。
そして悠也達が動揺していると、理沙の行動に拓真が舌打ちを鳴らしていた。
「はぁ……マジでねぇわ。ここでバラすとかマジで馬鹿な女だな。おい、適当に一発殴っとけ」
拓真がそう言うと、彼の仲間の一人が縛られている莉乃の腹に拳を叩き込んでいた。
「――ッ‼」
身体をくの字に曲げて、莉乃が叫ぶ。しかし口をガムテープで塞がれている所為で、呻き声のようなものしか聞こえない。
痛みに悶えて目から涙を流す彼女の顔を見ると、頬が赤く腫れていた。それを見れば、今以外にも彼女が痛めつけられていたのだろう。
「私の大事な妹になにするのよッ‼」
「お前が勝手なことするからだよ。邪魔だからどけ。それとも、もう一発殴らないと分からないのか?」
拓真の仲間が拳を振り上げて見せると、理沙の表情が強張る。
更に泣きながら呻き声を漏らす妹の姿を見てしまえば、彼女も拓真に従うしかなかった。
「くっ……!」
渋々と、後退って悠也達の後ろに理沙が移動する。
その光景を悠也が見つめていると、ふと理沙と目が合った。
「……アンタ達の所為で私の妹に何かあったら、絶対に許さないから」
すれ違う時、理沙の小さな声が悠也達に向けられた。
悠也達を睨みながら、ゆっくりと彼等の背後に移動した理沙の鋭い視線が、今も彼等の背中に突き刺さる。
その視線を感じながら、反射的に悠也は拓真を睨んでいた。
「お前……これだけ人の多いことろで、こんなことして大丈夫だと思ってるのかよ」
悠也が少し視線を動かすだけでも、自分達の周りには帰宅途中の生徒達が大勢いる。
当然、彼等の視線は、拓真と悠也達に向けられていた。
「なにこれ、ヤバくない?」
「早く先生呼んだ方がいいんじゃ……」
「いや、普通に警察だろ……?」
彼等の反応は、至極当然の反応だった。
このまま時間が経てば、いずれこの騒ぎを聞きつけた大人達が来てしまう。
それを理解できないほど、拓真達が考えなしとでもいうのだろうか?
「別にそんなことどうでも良いだよ。良いから咲茉寄越せ」
「なに言って……渡すわけないだろうが!」
その要求に、思わず悠也が叫んでしまう。
「ふーん? じゃあこのガキがどうなっても良いんだな?」
拓真が目配せすると、彼の仲間が縛られている莉乃の頬にビンタを打つ。
「莉乃ッ!」
「ッ――!」
そうすれば、また聞こえてしまった莉乃の悲痛な呻き声に理沙が叫び。悠也達は言葉を失ってしまった。
「咲茉を寄越せば、このガキ返してやるよ。てかコイツ居ても邪魔なんだよ、貧相な女で遊んでも楽しくねぇし」
「……あれは人間じゃない。ゴミくずです」
そう呟いた雪菜の小声に、悠也達は頷くしかなかった。
この状況の主導権は、拓真達に握られている。
彼等に従わなければ、理沙の妹がどうなるか考えるだけでも恐ろしい。
「時間掛けるなよ、馬鹿共が。あと10秒で咲茉をこっちに寄越せ。別に嫌ならそれでも良いけどよ。代わりにこのガキを好きにするからな」
人質を取られて、更に人質がどうなるか分かってしまえば、従うしかない。
彼に従わなければ、間違いなく理沙の妹は殺された方が良かったと思えるような目に遭ってしまう。
だがそれは、彼等の要求する咲茉も同じだった。
この状況を変える方法が、なにも思いつかない。
拓真の車には、人質以外にも複数人の仲間達が乗っている。
一体どんな手を使って彼等が車を用意したのかも疑問だが、ともかく人質がいる以上は手出しができない。
悠也達が少しでも拓真達に近づけば、人質が危険に晒されてしまう。
今の状況で、自分はどうすれば良い?
そう悠也が考えている時だった。
「……ごめんね、みんな」
突然、今まで俯いていた咲茉がゆっくりと歩き出していた。
「お、おい……咲茉、待て、行くな」
「私が行かないと、理沙ちゃんの妹さんが助からないよ」
制止する悠也に背を向けて歩く咲茉が、そう答える。
その返事に、悠也は返す言葉がなく、乃亜達も表情を歪めるしかなく。
「私は大丈夫だから、もう何があっても……みんなのお陰で、大丈夫だって思えるようになったから」
悠也達に少しだけ振り向いた咲茉が、微笑んで見せる。
だがその表情を見た悠也達は、決して彼女が大丈夫だと思わなかった。
笑って見せている咲茉の頬が、引き攣っている。手も震えている。歩いている足取りすら、おぼつかない。
「だから、みんなのこと。信じてるから」
そう言って、おもむろに咲茉の左手が右腕に付けていた花柄のシリコンバンドを握り締めていた。
そのまま彼女が待ってる拓真の元に歩いていく。
そして咲茉が目の前に来るなり、拓真は嬉しそうに笑っていた。
「ふぅ~! やっと俺のところに来てくれたじゃん! お前の身体に触るの、ずっと楽しみにしてたんだからなぁ~?」
「……ッ!」
拓真の手が肩に触れた途端、咲茉の身体がビクッと震える。
怖くて、身体が思うように動かない。
しかしそれでも、咲茉は震える喉から声を振り絞っていた。
「私が来たんだから、その子……約束通り、放してあげて」
「あ? そんな約束したっけ?」
「……え?」
この男は、一体なにを言っているのか?
「俺って物忘れ酷いから覚えてねぇなぁ?」
そう思う咲茉が呆けていると、わざとらしく拓真が首を傾げていた。
その発言に咲茉を始めとした悠也達全員が唖然としていると、唐突に拓真が大きな声で笑っていた。
「ははっ、マジで真に受けてるとかウケる。おい、さっさと車にこの女入れろ」
「りょうかいで~す!」
拓真に指示された仲間達が、咲茉を車に連れ込もうとする。
「や、約束と違う!」
「あ? なにお前? 俺に文句言ってんの?」
反射的に暴れてしまった咲茉に、不快だと眉を寄せた拓真がその場で彼女にビンタを放つ。
「ッ――!?」
「良いからさっさと乗れよ、うぜぇから」
暴れる咲茉が仲間達によって強引に車の中に入れられる光景を眺めながら、拓真が舌打ちを鳴らす。
その時、僅かに拓真達の視線が咲茉に向いていたのを乃亜は見逃さなかった。
「雪菜ッ!」
「――はいっ‼」
瞬間、突然聞こえた乃亜の叫びに脊髄反射で雪菜が飛び出していた。僅かに遅れて、悠也と凛子も飛び出す。
目視で彼等との距離は10メートルもない。雪菜の脚力なら、瞬く間に接近できる。
そう思っていたのだが――
「そこまで返してほしいなら返してやるよ。ほら」
雪菜が動いていたことを察知した拓真が、前触れもなく縛られていた莉乃を投げ捨てた。
悠也達に向けてでなく、なぜか止めていた車の前方に。
そしてそのまま拓真が運転席に乗ると、エンジンを掛けるなり、思い切りアクセルを踏んでいた。
全開で動くエンジンに応じて、車のタイヤが回転する。
動き出す車の前に、縛られて動けない人間。
車を動かす人間は、一向にハンドルを動かす素振りも見せない。
その姿に、悠也達を含めた周囲全員の背筋が凍った。
「いやぁぁぁぁ! 莉乃ッ!」
理沙の叫びが響く。
その声に紛れて、雪菜は全力で走っていた。
拓真の運転する車が動く。
同時に雪菜が倒れている莉乃を掴むと、走っていた勢いに身を任せて、そのまま前に転がり込んでいた。
「車の前に居たらあぶねぇって知らないのかぁ! 馬鹿共が!」
つい先程まで莉乃が倒れていた場所を、笑いながら叫んで運転する拓真の車が通り過ぎる。
そしてそのまま彼の車が法定速度を守っているとは思えない速度で走り去っていく。
「くっ……待てッ!」
「待てと言われて待つ馬鹿がいるかよ!」
悠也と凛子が追い掛けても、到底追いつけるわけがなかった。
消えていく拓真の車を、悠也と凛子は悔しそうに見つめるしかなかった。
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