第82話 ちゃんと知るべき
夏の季節が訪れ始めた6月の中旬。
気温の暑さが煩わしいと感じ始める日曜日の昼下がり。悠也達は雪菜の家に集まっていた。
その敷地内に建てられた別館で、今日も日課となった凛子と雪菜の組み手が始まった。
「シッ――!」
凛子の振り抜いた右足が雪菜の胴を狙う。
しかし雪菜が一歩下がって回避したと分かると、即座に凛子が続けて左足で回し蹴りを放つ。
頭を狙った彼女の一撃。手加減など微塵もない渾身の蹴りを、雪菜は焦る様子もなく、首を逸らすだけで躱していた。
「これ躱わすとかズルだろっ!」
「ですから、その大振りは厳禁ですよ」
凛子の回し蹴りを苦もなく対処した雪菜が一歩に進みながら、彼女の身体を押し出す。
それと同時に凛子の足に雪菜が足を引っ掛ければ、あっという間にバランスを崩した凛子の身体が畳の上に叩きつけられた。
「いっ……!」
背中に走る衝撃に苦悶する凛子が受け身をとって即座に立ち上がろうとするが――
「はい。これで私が顔面に拳を叩き込めば終わりです」
いつの間にか、雪菜の拳が凛子の眼前で寸止めされていた。
もし寸止めされてなければ、確実に殴られた。
その確信を問答無用に理解させられた凛子の表情が悔しさに歪む。
だが雪菜が寸止めした時点で、勝敗は決まっていた。
「……参った」
「はい。素直でよろしい」
降参と凛子が両手を広げると、頷いた雪菜が手を差し出す。
「今度は私が攻めますので、返してください」
「……はいよ」
雪菜の手を掴んで立ち上がった凛子がそう答えると、また2人が向き合うなり、すぐに組み手が始まる。
この攻めと守りを交互に繰り返す組み手を、凛子は雪菜と10本を1セットとして行っていた。
その間に、休憩を挟みながら武術の構えや技の確認と指導を受ける。
その流れを5セットが終わるまで必ず行うというのが、少し前から雪菜によって決められた凛子の鍛錬だった。
とにかく武術の基礎習得と実践経験を積むことを目的とした練習。
この練習をどんなに辛くても、泣いたとしても、たとえ吐いたとしても、絶対に続けること。
それが雪菜の課した凛子の課題だった。
この大の大人でも泣いて逃げるレベルの練習を、凛子は泣き言も言わずに続けていた。
何度吐いても、体力の限界で泣きそうになっても、辞めるとは絶対に言わずに。
その辛さも、全て咲茉を守る為ならば凛子にとって些細なことだった。
少し前に咲茉から聞かされた“秘密”を知ってから、心の底から強くなりたいと決意して、凛子が雪菜に土下座した時から覚悟を決めていた。
どんなに辛くても、絶対に辞めないと。
その覚悟が、どんなに辛くても凛子の身体を動かしていた。
「しっかり見て! 拳を受け流す!」
「……わかってるッ‼︎」
何度も放たれる雪菜の拳を受け流しながら、凛子が叫ぶ。
「……頑張るねぇ〜」
その光景を眺めながら、タブレット端末を弄っていた乃亜が気怠そうに呟いていた。
「……凛子ちゃん」
そして乃亜をぬいぐるみのように抱き締めていた咲茉が、心配そうに凛子を見つめる。
「やっぱり、凛子ちゃんに話さない方が良かったのかな」
「それはないよ。凛子っちも、咲茉っちの為にしたいからしてるんだよ。私達と一緒で、咲茉っちを守りたいから」
「でも……」
ぎゅっと乃亜を抱き寄せながら、咲茉の表情が歪んでいく。
自分で決めたことだが、自分の隠していた秘密を明かして良かったのかと。
先日――乃亜と雪菜に隠していた秘密を明かして、一緒に泣いて受け入れてくれたことで、咲茉も自身の過去と少しずつだが向き合えるようになっていた。
こんな汚れた自分の過去を受け入れてくれる。乃亜と雪菜が受け入れてくれたなら、きっと凛子も受け入れてくれると信じて、話してしまった。
凛子もまた、先日のデパートで起きた事件のことを知っている。ならば当然、彼女も咲茉の隠していた疑問について思うことはあっただろう。
タイムリープのこと。
自分が犯されてしまったことを。
咲茉が乃亜達から聞いたところによると、事件直後は凛子も落ち込んでいたらしい。
そんな彼女を咲茉が放っておくことなどできるわけがなく、勇気を振り絞って秘密を明かしてしまった。
秘密を話した時の凛子は、最初は意味不明だと困惑していたが、それでも納得できるところがあったのだろう。
咲茉の話を信じると、その場で泣きながら雪菜に土下座して鍛えてくれと懇願していた。
その日以降、凛子は毎日鍛錬に励んでいる。
はたして、これで本当に良かったのだろうか。
辛そうな凛子を見ていると、自身の行動が正しかったのかと咲茉は悩むばかりだった。
「咲茉が話したいって思ったなら、それで良いだろ」
落ち込んである咲茉に、悠也が声を掛ける。
咲茉と乃亜の近くで、ずっと1人で合気道の構えの練習をしながら。
右手の怪我が完治するまで、激しい運動ができない彼も、今できる練習を続けていた。
これも、全て咲茉の為に。
「咲茉っちは悪いことしてないよ。むしろ話してくれたことが嬉しくて堪らないんだよ。私達も、悠也と同じで信頼されてるって思えたから」
「……乃亜ちゃん」
「親友の為なら、どんな協力だってするよ。それが大好きな友達なら、尚更ね」
淡々と話しながら、乃亜がタブレット端末を弄る。
心なしか彼女の頬が赤くなっているのは、おそらく気のせいではないだろう。
遠目で眺めていた悠也が苦笑していると、恥ずかしがっている乃亜を咲茉が更に強く抱き締めていた。
「ありがと……ほんと、ありがと」
「辛かったら、いつでも呼んで。悠也っちには負けるけど、心細くなったら抱き枕くらいにはなってあげれるから」
「うん……だからぎゅーってする」
乃亜の頬に顔を擦り寄せながら、咲茉の表情が今にも泣きそうだと歪む。
その時、ふと咲茉が乃亜の見ているタブレット端末を見ると、怪訝に眉を寄せていた。
「乃亜ちゃん……? なに見てるの?」
「ん? ちょっと調べ物だよ」
別に隠すことでもないと、乃亜が咲茉にタブレット端末の画面を見せる。
その内容を見た咲茉の表情が引き攣った途端、慌てて悠也が彼女に駆け寄っていた。
「……どうした?」
「いや、これ」
乃亜のタブレット端末を凝視する咲茉に釣られて、悠也も視線を向けてしまう。
そして彼も、その内容を見た途端、怪訝に眉を顰めていた。
「お前、なに見てんだよ」
「……ここ最近で起きてる暴行事件の記事だよ」
乃亜が見ていたのは、世間を騒がせている女性を狙った暴行事件のニュース記事だった。
何個も似たような記事を開いていて、そのどれもが暴行事件に関する内容が書かれていた。
「咲茉っちは良い気分にならない記事かもしれないけど、私達はちゃんと知るべきなんだよ」
「……なにをだよ?」
咲茉の様子を心配した悠也が目を吊り上げて乃亜に問い質す。
そんな彼に、乃亜は淡々とした口調で答えていた。
「これから戦う敵がどういう相手か、私達は知るべきだよ。そうしないと、確実に後手に回るからね。私達、っていうより咲茉が襲われてから動くなんて馬鹿のすることだよ」
襲われて、という単語に咲茉の表情が凍りついた。
その瞬間、悠也が彼女の頭を撫でると、心なしか表情が僅かに緩んでいく。
その様子に安堵しながら、自然と悠也は乃亜を睨んでいた。
「お前なぁ……咲茉の前でこんなの見るなよ」
「悠也っちの言いたいことは分かるけど、それでもだよ。それに私も、このタイミングで2人に聞きたいこともあったし」
唐突に意味深なことを口にした乃亜に、咲茉と悠也が怪訝に顔を見合わせる。
そんな2人に、乃亜はどこか困惑した表情を浮かべながら、その疑問を口にしていた。
「悠也達はさ、タイムリープって一回しかしてないの?」
その疑問に、悠也と咲茉は意味が分からないと首を傾げていた。
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