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第79話 ほんの少しの勇気


「いやぁぁぁぁぁぁっ‼︎」

咲茉えまっ! 落ち着けッ⁉︎


 暴れる咲茉の腕を悠也が咄嗟に掴んでも、彼女は止まらなかった。


 どうにかして悠也の手を振り解こうと暴れながら、泣き喚く咲茉が手当たり次第に自身の肌を掻きむしる。


 頬から首、そして鎖骨に至るまで、とにかく触れられる肌に爪を立てていく。


 力加減もなく引っ掻いてしまった所為で、彼女の肌が真っ赤になり、気づくとじんわりと血が滲み出ていた。


「咲茉ッ⁉︎」


 その光景に息を呑んだ悠也が叫んでも、やはり彼女には届いていなかったのだろう。


 全く周囲の声が聞こえないと言わんばかりに、暴れる咲茉は泣き叫んでいた。


「咲茉っ! 頼むから落ち着いてくれっ!」

「――――ッ⁉︎」


 もう何を言っているのかすら分からなかった。嗚咽交じりに泣き叫びながら、衝動のままに咲茉の爪が自身の皮膚を傷つけていく。


 その姿に背筋が凍る思いで、悠也は焦りながらも、彼女を抑え込むのに必死だった。


 腕を掴んでも、全力で暴れている所為で抑えきれない。錯乱している彼女を本気で抑え込むなら、力加減などしてる場合ではない。


 だがそう思っても、それだけは決して悠也はできなかった。


 咲茉の腕力なら、たとえ暴れても力づくで抑え込むことは容易い。


 しかし、それを今の彼女にしてしまえば――間違いなく彼女の心が壊れると、悠也は直感していた。


 ただでさえ極度の男性恐怖症を抱えている彼女が錯乱している状態で男に無理矢理抑え込まれたら、どうなってしまうか。


 間違いなく、彼女のトラウマを呼び覚ましてしまう。その相手が最も心を許している悠也ともなれば、その衝撃は想像もできない。


 もしかすれば、悠也すら恐怖の対象と認識されてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない。


 その可能性を考えれば、悠也の抑え方も限られていた。


 しかし身体中を掻きむしろうとする咲茉の動きを邪魔するにしても、ある程度の力を使う必要がある。邪魔をすれば、当然のように彼女の抵抗する力も強くなっていく。


 それを何度も繰り返していくと、遂に力加減ができなくなると焦った悠也が、咄嗟に暴れる彼女の手を握り締めていた。


 もう掻き毟ることができないように、指を絡めた繋ぎ方で彼女の手の動きを制限する。


「――ッ⁉︎」


 しかしそれでも暴れようとする咲茉の手が、握る悠也の手を強く握り締めていた。


 爪を立てている所為で、彼女の爪が悠也の肌を抉る。そして怪我をしている右手も強く握り締められてしまい、悠也の顔が激痛のあまり苦悶に歪んでしまう。


「咲茉、落ち着け」


 だがそれでも、痛みを堪えた悠也は手を握ったまま咲茉を背後から抱き締めると、そっと優しく声を掛けていた。


 身動きができないように、両手を掴んだまま抱き寄せる。


「落ち着け。大丈夫だから、乃亜達は何も知らない。それはお前の勘違いだ」


 そして耳元で何度も囁き続けていくと、次第に咲茉の様子が変わっていった。


 泣きじゃくる咲茉の荒かった呼吸が、少しずつ穏やかな形に戻っていく。


 そしてどこを見ているかも分からなかった彼女の瞳が、ゆっくりと真横にある悠也の顔を見ると、ふと呆けた表情を浮かべていた。


「……ゆーや?」

「大丈夫、大丈夫だから……乃亜達は咲茉の秘密は何も知らない。だがら怖がらなくて良いから。ゆっくり、ゆっくりで良いから、乃亜達の気持ちを聞いてやってくれ」


 おそらく先程まで自分が何をしていたのかすら覚えていなかったのだろう。


 懇願して目を涙を浮かべている悠也を呆然と見つめた後、やっと咲茉は自分が泣いていたことに気づいた。


「あれ、私……なんで泣いて……」


 泣いてしまった理由が分からず、咲茉が思い出そうとする。


 しかしそれよりも先に、悠也が口を開いていた。


「なにも考えなくて良い。さっき話してた乃亜の話も、なにも勘繰らなくて良い。ただ今から乃亜達が話す気持ちを……聞いてあげてくれ」

「……ゆーや?」

「絶対に俺は咲茉の傍にいるから……何があっても、どんなことがあっても、ずっと傍にいるから」


 ただひたすらに、咲茉を抱き締めながら、悠也が囁く。


 ようやく彼女が落ち着いたところで、やっと彼女の暴れ出した理由に、悠也も見当がついていた。


 間違いなく、咲茉は勘づいたのだろう。乃亜達に隠している秘密がバレたと。


 特に頭の良い乃亜なら、情報があれば答えに辿り着く。その可能性を確信してしまったのだと。


 自分が犯された過去を、知られる覚悟もできてないのに知られてしまった。


 乃亜達に知られると嫌われてしまうと思い続けて、伝えても大丈夫だと信頼することができなかった咲茉の後悔は、悠也も知っている。


 たった今見せた彼女の反応で、その思いがどれほど強かったか、改めて思い知らされた。


 絶対に嫌われたくないと暴れてしまうほど、知られたくなかった。知られると嫌われてしまうから。


 絶対に嫌われたくないと暴れて泣き喚くほど、乃亜達のことが大好きだったから。


 大好きだから、嫌われなくない。嫌われたくないから、話せない。話しても大丈夫だと思えるほどの信頼ができなかったから。


 嫌われた時のことを考えてしまうと、怖くて信じることができなかった。絶対の確信を持てなかった。その後悔と不安を長年抱えてきた彼女の気持ちが、嫌というほど分かってしまった。


「お願いだから……聞いてあげてくれ。お前のことがどうしようもなく大好きな人達の気持ちを」


 その気持ちを察するだけで、どうしようもなく悠也は泣きたくなった。


 あんな姿になるほど、咲茉が大好きな人達に嫌われたくなかったのだと。


 辛い思いをして、不安で大好きな人達から離れることしか選べなくて、そして他人を信じれなかった後悔を今日までずっと抱えてきた彼女が一体なにをしたというのか。


 なにも悪いこともしていない。誰にも言えなかった気持ちも分かる。話せなかった後悔も理解できる。


 だから、もう救われても良いだろう。


 その救いだけは、悠也だけではできない。


 たとえ最愛の人が傍に居たとしても、その後悔は決して拭えない。それは全てを知った乃亜達が彼女の傍を離れなかった時、初めて解放される。


「お前がどう思うか、選ぶのはお前だ。その選択を俺は絶対に責めない。だから、聞いてあげてくれ」


 その機会を彼女が捨てるなら、もう良い。その選択を悠也も受け入れる覚悟はしている。


 だから、彼女が本当の意味で救われる最後の機会だけは決して逃さないでほしい。


 その思いで、悠也は何度も咲茉に懇願していた。


「……ゆーや?」


 気づけば声を殺して泣いていた悠也を、咲茉が怪訝に見つめる。


 その時だった。


「えまっ……ごめん、本当にごめん」

「ごめんなさい……えまちゃん。ほんとうに、ごめんなさい」


 咲茉の前で、乃亜と雪菜が泣いていた。


「なんで2人とも……泣いてるの?」


 二人が泣いていることに、思わず咲茉が呆然としてしまう。


 そんな彼女に、乃亜達は声を詰まらせながら、答えていた。


「わだし、えまが苦しんでるっで、ずっど知らなかっだ。タイムリープして、知らなぐで当然のこどでも、えまがなんで苦じんでるか知りたかっだの……大好きな親友だから」

「こんなになるまで苦しんでたんですね……抱え込んでたんですね……私達に話せなかったぐらい、辛い思いをしてきたんですね」


 泣きながら、二人が吐き出す言葉に咲茉が目を大きくする。


 二人の話が隠していた秘密を指していると察した途端、彼女の呼吸が荒くなっていく。


 そしてまた咲茉が錯乱しそうになった瞬間、二人の手が咲茉の手に優しく添えられていた。


「えまっ、話だくないなら、話さなくで良い。でも私は、なにがあっでも、えまの傍に居だいの。だから……何があったが話しで。えまの苦しみ、私にも分けて……私にも、一緒に泣かせでよ……」

「私も、のあちゃんと同じ気持ちです。私にも、えまちゃんと同じとは言わなくても、一緒に泣かせてください。同じじゃなくても一緒に悩ませてください。苦しませてください……私からの、一生のお願いです。えまちゃん、あなたの過去に、10年前に何があったか教えてください」


 二人ながら嗚咽混じりに告げられた言葉に、咲茉の身体が震え出す。


 ゆっくりと首を横に振って、違うと言いたかった。


 しかし、なぜか彼女から出てきたのは、声にならない嗚咽と溢れ出てくる涙だった。


「ずっど、いえながっだの……だっで、みんなに、ぎらわれるっでおもっで。こわぐで」

「私達がえまちゃんのこと、嫌いになるわけないじゃないですか」


 泣いて上手く笑顔作れず、雪菜が引き攣った笑顔を見せる。


「わだしは、えまのごど……だいすぎだから」


 嗚咽を漏らしながら、乃亜が詰まる声を無理矢理吐き出す。


「だっでね、わだしね。よごれてるの。からだが、こころがね、よごれでるんだよ」

「どんなことがあっても、えまちゃんは私達の大好きな親友なんですよ。なにがあっても、あなたがえまちゃんであることは変わりません」


 その雪菜の言葉は、以前に咲茉も言われたことがあった。


 それは悠也から告げられた言葉だった。


「どんなことがあっても、私達はえまちゃんの親友です。だって私達、えまちゃんのことが大好きなんです。一生の、私の大切な友達って自慢できますから」

「つらいなら、言えば良がったんだ。私達に、辛いっで、言うだけで良かっだんだよ。えまぁ」


 それも、悠也から告げられた言葉だった。


 辛い時、ただ言えば良かっただけだと。


 その気持ちを、ほんの少しの勇気さえあれば、良かっただけだと。


 もしそれが当時できていれば、悠也達が助けてくれたかもしれない。心細くなかったかもしれない。


 そんなことすらできなかった自分が、どうしようもなく情けなくて――



「……ご、ごめん……なさい」



 ポツリと、咲茉の喉奥から声が漏れた。



「……言えなぐで、ごめんなさい」



 もうタイムリープする前の乃亜達に伝えることができないと分かっていても、その言葉を告げていた。


 この後悔も、またタイムリープでやり直せるなら。


 もう伝えることは、決まっていた。


 あとはほんの少しの勇気だけを、振り絞るだけで前に進めるのだから。



「辛がっだこどがね、だっぐさんあっだの……だがら、聞いてぐれる?」



 振り絞った咲茉の勇気が、その言葉を吐き出させた。


 その言葉に、泣きながら乃亜達が頷く。


 そして2人に抱き締められながら、咲茉は大声で泣いていた。


 今までの後悔を晴らすように、やっと救われたと安堵するように、ひたすら泣き続けた。

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