第74話 話すとは限らない
語ると言っても、悠也が乃亜達に話せることは、実のところ大してなかった。
高校一年生の夏に、前触れもなく咲茉が転校してしまったこと。
唐突に姿を消した咲茉と連絡することもできず、悠也を含めた乃亜達が彼女と会うことすらできなかったこと。
その後、10年の月日が流れ、社会人になった悠也がクリスマスイブの夜に咲茉と街中で偶然再会したこと。
そこで咲茉が誰にも言えない秘密を抱えていたと知り、互いの想いを伝え合った矢先に、突然見知らぬ男に襲われて殺されてしまったこと。
そして気付いたら、10年前に悠也達はタイムリープしてしまった。
タイムリープした理由は、今でも分からない。だが、こうして過去に戻って来れたのなら、二人で人生をやり直そうとした。
互いに後悔しかなかった人生を、もう一度やり直そうと。
かいつまんで言えば、悠也の話せることはこれだけだった。
その詳細として語れることも、すでに乃亜が語ってしまった。
それを咲茉の秘密を除いて認めてしまえば、悠也が同じことを語る必要もなかった。
あと語るべきことも、今回起きたデパートの事件で咲茉と凛子を襲った拓真という男も悠也達と同じくタイムリープしていることを伝えるだけだった。
あの男が、咲茉の人生を壊し、殺した。そしてタイムリープした今でも彼女のことを狙っていると。
咲茉の過去について触れずに悠也が話を終えると、乃亜達の反応は沈黙だった。
予想通りだったことに泣きながら何も言葉にすることなく下唇を噛み締める乃亜と、話していた悠也を黙って見つめたまま正座していた雪菜が膝の上で拳を強く握り締める。
「これは10年後の俺と咲茉の話だ。今のお前達には関係もない話で、お前達が知るはずもなかった未来で起きた話だ。ここまで話しておいて言うことじゃないが、お前達は関わらない方が良い」
そんな反応を見せる二人に、悠也は淡々と伝えていた。
悠也の話に、乃亜と雪菜の目が鋭くなる。
「お前達が咲茉を心配する気持ちも、分からなくもない。乃亜の予想はどうあれ……俺の口から内容は絶対言えないが、咲茉が辛い思いをしてきたのも本当のことだ」
しかし二人から睨まれても、悠也は目を伏せがちに続けていた。
「俺だって逆の立場ならお前達と同じ反応をするだろうさ。でも、お前達が関わる必要もないだろ。これから起きるかもしれなかった未来の話に、お前達は関係ないだろ」
「……それ、本気で言ってるの?」
鼻をすすりながら、乃亜の表情が怒りで歪む。
だが彼女が怒っている理由を理解しても、悠也は頷いていた。
「言ってるさ。だって今のお前達には関係ないだろ。俺と同じようにタイムリープした側の人間じゃない」
それは拒絶の言葉として受け取れる言葉だった。
悠也の拒絶に、乃亜達が怒るのも無理もない。
しかし悠也も、ここまで話してしまって言える台詞ではないと分かっていても伝えるしかなかった。
「高一の夏に咲茉が消えたことも、お前達は知らないんだ。咲茉が居なくなって、あの時の俺達がどんな気持ちだったのかも……知ってるわけがないんだ。そんなお前達に関われなんて言う方が間違ってるだろ」
悠也と咲茉の抱えている問題は、本来なら今の時間に起きるはずのないことだ。
今の乃亜達は、極端に言ってしまえば悠也の知る彼女達とは別人なのだ。
当時、咲茉が居なくなった時の悲しんだ気持ちも、彼女に相談すらされなかった怒りも、なにも知ることすらできなかった悔しさも、目の前の彼女達は知らない。
悠也の知る本当の乃亜達は、きっと今も彼が死んでしまった未来の時間を生きているだろう。
こうして目の前にいる彼女達と悠也の知る彼女達は、同じ人間であっても違う人間でしかない。
「それにお前達がこの先に関わろうとすれば、きっと二人は咲茉の秘密を知ることになるかもしれない。本当なら今のお前達が知ることもなかった時間に起きたことを……お前達が知って何になる?」
だから今の彼女達に、この問題に関わらせること自体が間違っているのではないかと悠也が考えるのも仕方のないことだった。
知る必要もなかったこと。関わる必要もない問題の解決に協力する理由は、彼女達にはない。
「これは未来の俺達の問題なんだ。だから、この話に関われるのは今のお前達じゃない。関われるのは、俺と咲茉が死んだ時間を生きてるお前達だけだ」
もし協力する資格というモノがあるとすれば、それはタイムリープしている悠也と同じ気持ちを経験した人間だけだった。
それは決して、今の彼女達などではない。
「だから協力したいって気持ちも分かるが、この先のことは黙って――」
だからこそ、悠也が関わるべきではないと言いかけた時だった。
突然――乃亜の両拳が、テーブルに振り下ろされた。
渾身の力で叩きつけたテーブルから凄まじい音が響く。テーブルに置かれていたコップがひっくり返る。
その音に悠也が驚くのも束の間、勢いよく乃亜がテーブルに身を乗り出すと、そのまま彼の胸倉を両手で掴んでいた。
「……服、汚れるぞ」
突然の出来事に驚く悠也だったが、それでも気にする素振りも見せずに淡々と指摘していた。
テーブルに身を乗り出した所為で、乃亜の制服が濡れている。それでも関係ないと、眼前にある彼女の表情は――とてつもないほどの怒りで歪んでいた。
「――るさい」
目を真っ赤に腫らして、涙で濡れた頬を拭うことも放棄して、乃亜から小さな声が漏れる。
そして乃亜が非力な力で悠也の胸倉を引き寄せると、勢いのままに叫んでいた。
「うるさいんだよっ! どうでも良いことぐちゃぐちゃ言ってッ! そんなこと関係ないことくらいお前だって分かってるだろッ!」
「……関係ある。だって本当に関係ないだろ」
淡々と答える悠也に、乃亜の表情が更に歪む。
そして彼に顔を近づけると、鼻すら触れそうな距離で彼女は叫んでいた。
「前に私言ったよなぁ! どんなに変わっても咲茉は咲茉なんだよっ! 元気な咲茉でもっ! 大人しくなった咲茉もっ! 私にとって咲茉は咲茉なんだよっ! 時間なんて関係ねぇんだよっ! 可愛くて素直でどうしようもないくらい大好きで大好きでしかたないくらい大好きな親友が辛かったら助けてあげたいって思うだろっ! 傍に居てあげたいって思うだろっ! そんなこと言わなくても分かるだろッ!」
そう思う彼女の気持ちも、悠也は察せた。
タイムリープする前の彼女もまた、咲茉が消えて落ち込んでいた一人だった。
彼女がどれだけ咲茉のことが好きだったか。そんなことは分かりきっていた。
「でも――」
「悠也さん。これ以上は私も我慢できません」
それでも悠也が拒絶しようとした時、ふと雪菜の淡々とした声が響いてた。
悠也が視線を僅かに向けると、今まで静観していた雪菜が静かに泣いていた。
「これ以上、あなたが私達を拒絶すると……もう私も我慢できなくなります。私達を関わらせなくない、そんな戯言を口にするのが……本当に許せなくなります」
よく見ると、雪菜の膝の上で拳が小刻みに震えていた。
「悠也さん……知らなくても、知っていても、そんなことはどうでも良いことだと分からないんですか? 私達にとって咲茉ちゃんは咲茉ちゃんなんですよ? 咲茉ちゃんは……私達の大好きなお友達、たくさんお話しして、一緒にご飯を食べて、一緒に遊んで、たとえ私達と生きてきた時間が違っても、どんなに変わっても……咲茉ちゃんは私の大好きなお友達なんですよ? それをあなたは分かってくれないんですか?」
そう語る雪菜の思いも、悠也は察せた。
悠也自身も、似たようなことを咲茉に語ったことがある。
どれだけ汚れても、彼女は変わらない。涼風咲茉という人間は消えない。
一緒にいる彼女が、誰よりも愛おしい女の子であることは、決して変わらないと。
「だから……お願いします。私達にも、手伝わせてください。お願いだから……この私も、咲茉ちゃんの傍に居させてください」
そしてゆっくりと頭を下げて、雪菜は懇願していた。
「私も、雪菜と同じだから。何度だって言ってやる。私だって咲茉のことが大好きなんだ。あんな可愛くて、素直で良い子と親友になれて本当に良かったって心の底から思ってる。だから、私も……あの子の傍に居るから。未来の私ができなかったことを、今の私が叶えないでどうするんだよ」
また乃亜も、悠也の至近距離で自身の思いを告げていた。
「…………」
やはりこれだけ言っても、二人の意思は変わらないらしい。
眼前に居る乃亜と、頭を下げて震えている雪菜を交互に見ながら、悠也の肩が力なく落ちた。
この二人なら、そう言うだろうと思っていた。
咲茉のことが大好きな二人がここまで知ってしまえば、こうなるのも察していた。
確かに、この二人の力があれば心強い。
頭の良い乃亜なら、咲茉を守る為に色々な手を一緒に考えてくれるかもしれない。
武術に長けた雪菜も、咲茉を守る人材として心強い。それはこの場にいない凛子だって、そうだ。
彼女が居れば、荒事になっても大丈夫という確信がある。
だからこそ、今の咲茉を守る為に彼女達の助けが必要と言うべきなのも理解できる。
だが、仮に悠也が彼女達に手助けを求めたとしても――
「……咲茉が話すとは限らないんだ」
それが悠也にとって、唯一の気がかりだった。
「咲茉の抱えてることは、俺でも最近知ったことなんだ。それだけ誰にも言いたくなかった、辛いことなんだ。俺達に嫌われるって思い続けて、きっと今でもそう思ってる。それが言えなかったことを……ずっと長い間、今でも後悔してる。それを協力するから言っても、咲茉がお前達に話してもらえる保証なんてないんだぞ?」
悠也がそう言うと、乃亜と雪菜の二人が彼をまっすぐ見つめていた。
「もしそうなったら、諦めるよ。私の気持ちを伝えても話してくれなかったら……私も素直に諦める」
「私も……もし咲茉ちゃんが話してくれなかったら、この件に関わることもしません。咲茉ちゃんに、私の気持ちを全部伝えます」
はたして、この選択が良いのか。悠也も分からなかった。
だが、彼の脳裏に過ぎる咲茉の後悔している姿を思い出せば、もう断れなかった。
話せば嫌われると思ってしまった後悔も、信じたくても信じれなかった後悔も、今も彼女を苦しめている。
その苦しみから彼女を救えるのなら……きっとこの選択も、間違いではないかもしれない。
「……わかった。お前達の気持ち、咲茉に伝えてみれば良い。それでアイツが話してくれたら、もうお前達の好きにしろ」
そう思って、悠也は二人に告げていた。
それが正解の選択だったのか、それは今の悠也に分かるはずもないことだった。
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