第68話 待ち続けた言葉
今回の話は、全話の中で最も文字数の長い話でした。
分けるより全て公開するべきだと判断して投稿してます。
長くて申し訳ないです。
その始まりは――とてもありふれた、偶然の出会いからだった。
「ゆーやは覚えてないかもしれないけど……私ね、高1の時、喫茶店でアルバルトしてたの。そこでね、あの人と会ったの」
そこまでは悠也も予想していた。咲茉が拓真と呼ばれる男と出会ったのは、そこしかないと。
あの銀髪の男が咲茉を捕まえる為に、彼女が働いているはずの喫茶店を襲ったのが何よりの証拠だった。
「……知ってるよ。一昨日、ニュース見て思い出した。咲茉が喫茶店でバイトしてたって。アイツ……お前が働いてた店襲って、お前のこと探してた」
「……え?」
「ニュースで襲われた店の従業員が言ってたんだ。働いてない従業員を出せって何度も……えまを出せって叫んでたって」
呆然と声を漏らした咲茉に、悠也が包み隠さずニュースの一件を伝える。
本来なら伝えるべきではなかったのかもしれない。だが、今の咲茉は知るべきだと悠也は判断していた。
今の彼女の置かれている状況が、どれだけ危険だったかを。一昨日起きた拓真との再会は、いずれ訪れる未来だったと。
あの拓真は、自分達と同じくタイムリープしている。その持ち込んだ記憶を利用して、咲茉を捕まえる為に働いていた喫茶店を襲撃するような男だ。
一人の人間を捕まえる為に、平然と犯罪に手を染めている。そんな男が咲茉に向けている執着心は――明らかに異常だった。
「あんなニュース見たら、居ても立っても居られなかったんだ」
「だから……あの時、来てくれたんだね」
拓真が自分を探していたことに、咲茉の身体が小刻みに震える。
そんな彼女を落ち着かせるように、悠也は胸の中にいる彼女の頭を優しく撫でていた。
「来たって言っても、間に合わなかったけどな……怪我させてごめん」
「謝らないで。来てくれた時、すっごく嬉しかったんだよ。それに……ゆーやが来なかったら、私と凛子ちゃんがどうなってたか考えるのも嫌だから」
その可能性を想像したのか、更に咲茉が悠也に擦り寄る。
そして全身を悠也に密着させたまま、彼女は震えた声を漏らしていた。
「……あの人ね。初めて私が働いてた店に来た日から、何度も店に来ると私に言い寄ってきてたの。俺の女になれとか、連絡先寄越せとか言ってきて……断ってもしつこくて、いつも周りのみんなが助けてくれてたんだ」
可愛い従業員に言い寄る客がいるというのは、よく聞く話だ。
接客業なら、そんな迷惑行為も経験するだろう。特に容姿の整っている咲茉ならあり得ない話ではない。
そんな怖い思いをしていたのなら、相談のひとつもしてほしかった。
「そこまでなんで……俺達に相談してくれなかったんだよ」
それすらもされなかったことに、思わず悠也が声を漏らしてしまう。
「だって、言ったら辞めさせられるって思ったんだもん。あのお店可愛かったし、制服も可愛くて、一緒に働いてる人達も良い人ばっかりだったから」
確かに、もし咲茉がバイト先で怖い思いをしていたと知れば、彼女の両親は辞めさせたに違いない。
自分の娘が見知らぬ男に言い寄られている。そんなことを親が容認できるわけがなった。
「辞めたくなかったの……折角の、初めてのアルバイトで働くの楽しかったから。言い寄ってくる男の人も多かったけど、それぐらいしか辛くなかったの」
そうハッキリと言えるということは、本当に良い職場だったのだろう。初めてのアルバイト先で、そこまで恵まれた環境に出会えることは滅多にない。
だが、たとえ働いている店が可愛くて好きでも、制服が好きだろうと、周囲の従業員に恵まれたとしても、その不安要素は――あまりにも重過ぎた。
「でも、言い寄られて怖かったんだろ? なら他のところで働いても良かっただろ?」
働ける場所はいくらでもある。アルバイトなら、少し調べるだけで求人は山のように存在している。
それを知っていれば、彼女も辞めるべきだった。
「……だって、お金欲しかったんだもん」
それは当時、まだ15歳だった子供ならば自然の考えだったかもしれない。
働く場所を変えようと思えば、当然だが時間は掛かる。面接から入社まで、すぐにとはいかない。それは大人でなくとも分かることだ。
「……そんなに金欲しかったのかよ」
だが、その言葉に悠也は心底呆れてしまった。
金が欲しかった、そんな理由で辞めようとしなかったのかと。
「だって、辞めちゃうと8月に間に合わなかったから」
「……8月?」
意味深なことを口にした咲茉に、悠也が怪訝に訊き返す。
そして悠也が眉を寄せて胸の中にいる咲茉を見つめていると、彼の胸に顔を埋めたまま、彼女は口を開いていた。
「7月にお給料貰えないと……ゆーやの誕生日に、間に合わなかったんだもん」
「は……?」
予想もしていなかった言葉に、悠也が呆気に取られる。
そして声を失っている彼の胸で、咲茉は言葉を続けていた。
「高校生なったら自分でお金稼げるって聞いてたから……お小遣いで貰ったお金じゃなくて。自分のお金で、ゆーやにも、お母さん達にも、凛子ちゃん達にも、私の大好きな人達にプレゼントあげたかったの」
それは悠也が絶句するのに、十分だった。
「お前、その金……自分の為に欲しくて使うんじゃないのかよ」
そんな理由で働いていたなど、夢にも思うわけがなかった。
「欲しい物だってあっただろ。服とかアクセサリーとか、咲茉が欲しい物……たくさんあっただろ」
「確かにあったけど、そんなのどうでも良かったの。私が欲しい物より私が大好きな人達に喜んで欲しかったんだ。8月はゆーやで、9月が凛子ちゃん。10月は悠奈お母さん。11月はお母さんと雪菜ちゃんで……12月はお父さん。それで2月は乃亜ちゃんなの。だから毎月ね、私の大好きな人が喜ぶ顔が見れるって楽しみだったんだぁ」
少し恥ずかしいと咲茉が唸る。
「あ、でもね。ちゃんと余った分は自分で使おうと思ってたよ。でも結局……すぐ辞めちゃったけど」
そして恥ずかしさを誤魔化すように続けた彼女だったが、その最後の言葉は酷く悲しい声色だった。
本当なら辞めたくなかった。しかし、そうするしかなかったのだと悲しむ彼女が、あまりにも見ていられなくて。
大好きな人達に喜んで欲しいからと誕生日プレゼントを贈る為に働こうとしたのに、そんな彼女が受けた仕打ちを考えるだけで……悠也の胸の奥が痛くなって。
「ちゃんとプレゼント、あげたかったな。みんなが喜んでくれる顔、見たかったなぁ」
後悔を呟く彼女の弱々しい声を聞くだけで、喉奥が震えるような気がして。
「でも、もう会えなかったの。だってね、だって私ね……あの日に、バイトの帰りにね……いきなり襲われて、知らない場所に連れてかれてね。服も全部取られて――」
続きを告げようとした咲茉が言葉を詰まらせる。
その時のことを思い出したのか、彼女の身体が震えている。
胸に押し付けられる彼女の顔からシャツを通じて、濡れた感触が悠也を襲う。
そして嗚咽混じりに、彼女は強引に言葉を紡いでいた。
「汚いベッドの上で、色んな人が私のごど犯したの。あの銀髪の人、私が処女だったっで興奮してるのが気持ち悪くで……気持ち良いだろって何回も腰振って、痛がっだのにやめてくれなくで」
「もう良いから、分かったから言わなくて良い」
身の毛もよだつような経験を語る咲茉を、これ以上見ていられなかった。
咲茉の頭を撫でながら、悠也がやめろと伝えるが、それでも彼女は言葉を止めなかった。
「避妊もじでぐれなかっだの。好き勝手に私のこど、みんなで犯しだの。嫌がっだら何回も殴られて……身体にカッターで気持ち良ぐなった回数書かれて、痕がたくさん残るぐらいタバコ押し付げられてね。辛くで気絶しでも、殴られて起こされだの」
「……もう良い。言わなくて」
しかし悠也がそう言っても、咲茉は必死に首を振って続けていた。
「いづ終わっだが覚えでないけど、気づいだらね。私ね、朝方のゴミ捨て場に捨てらでだの。私のごど、ゴミだって言われてるのが辛ぐで……悲しぐでね。たまだまゴミの中にあった服着で、誰にも見づがないように帰るのが情けなくで」
話し続ける咲茉の話を聞いていると、もう悠也は何も言えなかった。
ただ震えながら、彼女の話を聞くことしかできなかった。
泣きながら、必死に伝えようとしている彼女の覚悟に、彼の喉から声が出てこなくなった。
「帰っだら、お母ざん達に隠せながっだの。お母さん達を泣かぜちゃっだの。写真もだぐさん撮られだがら、警察にも行ぐのも怖ぐで……外に出るのが怖ぐなっで……こんなに汚ぐなっだ私のこど、ゆーや達に知られだら、嫌われるっで、大好ぎなみんなに嫌われるっで、思っだら外に出れなくで――」
言葉に詰まらせながら、話し過ぎて息が続かなかったのだろう。
もう過呼吸気味になりながらも、それでも咲茉は言葉を出し続けた。
「身体何回洗っでも、綺麗にならないの。たくさん傷跡が残っでね。腕にも、たくさん傷跡が残っだの。消そうどしで、自分で傷づげでも、痛かっだだけで……お父ざんの知り合いの病院に言っだら妊娠してるっで、身体もぼろぼろで、心も病んでるっで言われで」
そこからは、以前に彼女が話していたことだった。
外の世界が怖いと思うようになり、身近な人間達と会うことすら恐れるようになり、閉じ籠ってしまった。
彼等に襲われた時、スマホを自宅を忘れたのが唯一の救いだった。
その後、彼等が咲茉に連絡を取る手段はなかった。その時の持ち物も、バイト先の制服と定期入れだけだったのが彼女にとっての幸運だったかもしれない。
他人との接触を恐れ、この街に留まることを恐れた両親が全てを捨てて、誰にも知らせずに遠くの場所へ引っ越した。
もし痕跡を残せば、また彼等が来るかもしれない。彼女を使い捨てた彼等が、もう来ないという保証もなければ、その不安も当然だった。
警察に相談すれば、起きたことを全て説明しなくてはならない。それは当時15歳だった少女に、できるはずがなかった。
当然、彼女の両親が説明できるわけもなく、そのことを他言したくないと思う娘を責めれるはずもない。
仮に、もし警察に相談してニュースにでもなれば、周囲から娘がどう思われるのか。間違いなく忌避の目で見られてしまう。
更に彼等が警察に漏らしたと報復を受ける可能性もある。もうこれ以上、娘に辛い思いをさせるわけにもいなかった。
だから選んだ決断は、姿を消すことだったのだろう。
そうしなければ、自分達の娘は心を保てない。そう思われるほどの状態だったのだと、悠也が察するのは容易だった。
その決断をした彼女の両親に、悠也は尊敬するしかなかった。
一人の娘の為に、全てを捨てることができたのだから。
そうして……長い時間を掛けて、やっとの思いで、彼女は立ち直ったのだろう。
「……今まで、言えなぐで、ごめんなざい」
ずっと隠していたことを後悔しているように、泣いている咲茉が謝罪する。
「ごめんなざい。みんなに、汚くなっだ私を知られたぐなぐて、嫌われたぐながっだの」
そう思ってしまった彼女の気持ちも、察せる。
「だがら、みんなと離れるしがなかっだの。それで嫌われる方が、ずっど良いど思っだがら」
本当のことで嫌われるよりも、それなら我慢できた。
それがどちらにしても辛い選択になろうとも、それが最善だと信じるしかなかったのだろう。
「……ごめんなざい。隠しで、言えなくで、みんなのごと、信じれなくで……ごめんなざい」
その謝罪は、ずっと彼女が抱えていた後悔だった。
たとえ話しても、悠也達に嫌われない。その確信を、信じ切ることができなかった。
疑ってしまえば、その疑心は拭えなくなった。
だからこそ、彼女は一人でいることを選ぶしかなかった。
「ごめん……ほんとうに、ごめんなざい」
何度も謝りながら、咲茉が声を殺して泣き続ける。
胸の中で、顔をぐしゃぐしゃにしながら。
そんな彼女の頭をずっと撫でながら、悠也は震える喉から声を振り絞った。
「……馬鹿なこと言いやがって」
撫でていた手を、悠也が咲茉の背中に回す。
そして少しずつ彼女を強く抱き締めると、今にも出そうな涙を堪えながら、言葉を続けた。
「何度も言ってるだろうが、お前は……そんな心配なんてしなくで良かったんだ。勇気を出して、言えば良かったんだ。俺達が、咲茉のこと嫌いになるわけないだろ」
「……ゆーやぁ、ごめんなざい」
「お前は汚くない。咲茉は咲茉なんだ。お前は、ちゃんとここに居る。どんな目にあっても、それは変わらないんだ」
偽りのない本心を、悠也が伝える。
結局、どんな経験としたところで涼風咲茉という人間は消えない。
こうして抱き締める彼女が、悠也にとって好きで堪らない女の子であることは変わらないのだから。
「言っただろ。俺はお前のことがどうしようもないくらい好きなんだよ。咲茉から何を聞いても、そんな理由で嫌いにならないよ」
「……ほんと?」
ゆっくりと顔を上げた咲茉の歪んだ顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
そんな顔でも、悠也には可愛くてしかなかった。
「どんな咲茉でも、可愛いよ」
そっと両手で咲茉の両頬を包むと、彼女の額に悠也が自分の額をくっつける。
互いの吐息が掛かる距離で、数センチもない距離で見つめないながら、悠也は微笑んでみせた。
「……俺は、咲茉のことが好きで堪らないんだ。好きなところなんて言い切れないくらい、好きで好きで堪らないんだ」
「ほんとっ……?」
悠也がなにを言っても、不安だと咲茉が呟く。
彼女の抱えている不安は、悠也も知っていた。
それは自身の母である悠奈によって、知ることができたことだ。
どれだけ自分が好きでも、相手から好かれているか分からない。
その不安を拭うには、疑えないくらいの愛情を示すしかない。
彼女に対する行動が限られるなら、言葉で伝えるしかない。
ならば、悠也の伝える言葉は、決まっていた。
「咲茉、愛してる。心の底から、お前のことを愛してる。一生、絶対にお前と死ぬまで一緒にいるからな」
それは咲茉にとって、待ち続けた言葉だった。
その言葉を、ずっと待っていた。
その一言で、勇気が出せると信じていた。
「あぁ……」
枯れ果てたと思えるほど泣いたというのに、また勝手に涙が出てきてしまう。
「わ、私も……ゆーやのこと、愛してる」
震えた声でも、その言葉だけは澱みなく言えた。
それは胸の奥でずっと温め続けてきた、大事な言葉だったのだから。
「愛してる。ゆーや、愛してる」
「うん。俺も愛してるよ」
「ずっと、私と一緒に居て欲しい」
「言わなくても一緒にいるよ。離してやるもんか」
そう言って微笑む悠也の顔を見れば、限界だった。
もう前が見えないほど、涙が出てくる。
胸の奥に突き刺さっていた何かが、少し取れるような気がした。
内側からじんわりとした温かさが溢れてくる。
「ゆーやぁ……愛してる。ずっとずっと、愛してるから」
自然と出ていく言葉を咲茉が止めることはなく。
何度もそう呟きながら、彼女は枯れるまで泣き続けていた。
「俺も、愛してるよ」
そんな咲茉が泣き疲れて寝るまで、悠也は何度も彼女に囁き続けた。
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