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第62話 学校に行きなさい


 昨日の深夜、咲茉が病院に運ばれた。


 そのことを母親の悠奈から悠也が聞かされたのは、デパートの一件が起きた翌日の朝だった。


 どうやら悠也が起きるよりも前に、咲茉の母親から悠奈に連絡が入っていたらしい。


 深夜の自宅のトイレで、咲茉が吐いて倒れていたと。


 これは悠奈も咲茉の母親から聞いた話になるが、その時の咲茉の様子は明らかにおかしかったらしい。


 一目で分かるほどの真っ青な顔色で、吐いて震えていた娘の姿は……どう見ても異常だったと。


 そんな娘の常軌を逸した姿に、そう判断せざるを得なかった咲茉の両親が慌てて救急車を呼んでしまった、というのが悠也が悠奈から聞いた事の顛末てんまつだった。


「それで……咲茉の容態は?」

「今は落ち着いてるみたいよ。軽い検査も受けたみたいだけど、身体には特に異常もないって」

「そっか、それなら良かった」


 悠奈から聞いた話に、思わず安堵した悠也が胸を撫で下ろしてしまう。


 そして安心した悠也が詳しく悠奈から話を聞くと、緊急搬送された直後の咲茉には激しい嘔吐によって軽度の脱水症状が出ていたらしい。


 おそらく彼女が倒れた主な原因も、その嘔吐が主な原因だと診断されているようだった。


「なら入院するってほどでもないのか……」

「えぇ、今日中には咲茉も帰れるらしいわ。でも念のために、今日は学校休んで精密検査受けるみたいよ」

「……精密検査だって? どこのだよ?」

「脳よ」


 日常生活で聞くことの少ない脳の検査と聞いて、悠也が言葉を失ってしまう。


 そんな彼に、悠奈は力なく肩を落としながら話を続けていた。


「昨日の事件で咲茉が蹴られたって警察の人達が話してたわ。もしかしたら咲茉が吐いたのも、その所為かもしれないじゃない。もし頭を強く打ったなら検査も受けておいて損はないわ」


 そう言われてしまえば、悠也も頷くしかなかった。


 今回デパートで起きた事件の概要は、悠奈も悠也本人の説明に加えて、警察から一通り聞かされていた。


 事件の当事者となった悠也達への事情聴取。そしてその場に居合わせた人間達からの聞き取り調査によってまとめられた事件の顛末を知っていれば、彼女がそう思うのも当然だった。


 拓真と呼ばれる男に所構わず蹴られ続けた所為で、咲茉と凛子の身体は痣だらけになっている。ならば当然、頭も蹴られてしまったかもしれない。


 頭に強い衝撃を受ければ、脳に異常が現れる可能性はとても高い。もしかすれば、その所為で娘の脳に異変が起きたのかもしれないと咲茉の両親が考えるのも当然だろう。


 そう思えば、安心していた悠也が不安になるのも自然の流れだった。


「休む、か……何もないと良いけど」


 そう呟いてしまった悠也の脳裏に、昨日の咲茉の姿が過ぎる。


 あの銀髪の男に肌が真っ赤になるまで蹴られていた彼女の姿を思い出すだけで、頭の血が沸騰しそうになる。


 その腹の奥から湧き上がる怒りに、無意識に作っていた拳に悠也が力を込めた時だった。


「いっ……!」


 包帯が巻かれた右手から走る激痛に、思わず悠也が苦悶していた。


「……その右手、あまり動かしたらダメよ。病院の先生も言ってたでしょ?」

「ごめん。なんか気づいたら動かしてた」


 悠奈の小言に謝罪しつつ、自然と悠也が自身の右手に視線を向ける。


 包帯に包まれた右手。昨日の一件で誰かに呼ばれた救急車で病院に連れて行かれて、手当てされた右手が昨日の出来事の激しさを物語っていた。


 骨には異常はなかった。だが皮膚がボロボロになった怪我を医者が見る限り、壊れる寸前だったらしい。


 もしあのまま使い続けていれば、肉が削げ、骨が剥き出しになり、その骨すらも折れていたかもしれないと医者に怒られたくらいだ。


 この傷も治るまでしばらく掛かる。それまでは絶対に安静にし、必ずガーゼを毎日交換して薬を塗らなければならない。


 たった一度の喧嘩で右手が使えなくなるのは手痛い代償だったが……これで咲茉を守れたと思えば、安い代償かもしれない。


 もしあの場で拓真と呼ばれた男を殴っていなければ、どうなっていたのだろうか?


 女を欲望の捌け口としか思ってないような男が、連れ去った咲茉に何をするか?


 あの男の言動から少し想像するだけで、悠也の背筋は凍りそうだった。


「……いっ!」


 また湧き上がる怒りで拳を握り締めた悠也が、痛みで顔を歪めてしまう。


「だから動かさないの。悠也が怒る気持ちも分かるけど、その怪我は別よ。動かしたら治りも遅くなるんだから」


 ムッと眉を吊り上げた悠奈が、テーブルに置いていた救急箱を手に取る。


 そして悠也を手招きすると、ソファに座る彼女の手が彼の右手を優しく掴んでいた。


「……危ないこと、あんまりするんじゃないの」


 息子の右手を見つめながら、悠奈がゆっくりと包帯を解いていく。


 そして包帯の下にあるガーゼを取ると、傷だらけで肉が剥き出しになった悠也の右手に、悠奈は救急箱から取り出していた消毒液を容赦なく振り掛けた。


 その瞬間――まるで肌が焼かれるような激痛が悠也の脳を貫いた。


「痛ってぇッ!」

「こんなになるまで喧嘩するからよ、馬鹿息子」


 激痛で暴れそうになる悠也の右手首を強引に掴んで、悠奈が消毒した右手に軟膏を塗っていく。


 触れられるだけで痛いと悠也が言っても、全く気にもせず悠奈は淡々と手を動かしていた。


「警察から連絡来た時、私がどんな気持ちだったか少しは考えなさい」

「……だって」

「だって、じゃないの。たとえ悠也が咲茉と友達の為に正しいことをしたとしても、こんな怪我して褒める親がどこにいるって言うのよ」


 そう言った悠奈が悠也の右手に新品のガーゼを当てて、続けて新しい包帯に巻いていく。


 そして無事手当てを終えると、悠奈は満足そうに小さく頷いていた。


「これで良し。もう危ないことするじゃないわよ」

「……約束できるわけないだろ」


 処置の終わった右手の具合を確かめながら、口を尖らせた悠也が呟く。


 その言葉に、悠奈の口から深い溜息が漏れていた。


「きっと悠也なら咲茉の為だったら火の中でも突っ込んで行きそうだわ。本当に達也さんとそっくり」

「しれっと惚気るなよ」

「褒めなくないけど褒めてるのよ。親子揃って惚れた女の為なら何でもするって分かるが、どうしようもなく嫌だわ」


 肩を落とした悠奈に、つい悠也が怪訝に眉を寄せてしまった。


「どう言う意味だよ?」

「言葉通りよ。その気持ちは嬉しいけど、今の悠也の怪我を見て、咲茉が喜んでくれるって本当に思ってる?」

「それは……」


 自身の怪我を見ながら、悠也が言葉に詰まる。


 昨日、咲茉は怪我した右手を見るなり泣いていた。


 あの涙が決して喜んでいる涙でないことは、悠也も分かっていた。


「でも、ならどうすれば良かったんだよ」

「ここまでならないように無茶をしない。そうならないように立ち回りなさい。咲茉を守るって啖呵張っても、それで悠也が怪我したら意味ないのよ。はぁ……私ったら親なのに、息子になに言ってるだか」


 自身に呆れているのか、悠奈が深い溜息をつく。


 そして肩を落とす彼女に、悠也は溜息混じりに答えていた。


「分かってるよ。これじゃあ意味ないってことくらい」


 右手の怪我を見て、泣いてしまった咲茉を見てしまえば、悠也も改めようと思っていた。


 怒りで我を忘れて、力の限り殴り続けた時の記憶が曖昧で思い出せない。そこまでなるほど怒り狂っていたのは、反省するべきことだった。


 咲茉を守るという最優先事項があるというのに、我を忘れてしまったのだから。


 もし自分に何かあれば、咲茉が悲しんでしまう。それでは彼女の身体は守れても、心を守ることができない。


 もう心が数えきれないほど傷ついている咲茉の心を、これ以上傷つけるつもりなど悠也もなかった。


「これからは気をつけるよ」

「そうしなさい。親と惚れた女を悲しませる男なんてカッコ悪いわよ」

「はいはい、分かってるって」


 確かに、それは格好悪い。


 そう思った悠也が頷く。


 そしておもむろに彼がリビングを出ようとすると、


「ちょっと待ちなさい、どこ行くのよ?」

「え? 咲茉のところだけど?」

「……別に入院するわけじゃないんだから今日は学校に行きなさい。夕方までには帰ってくるって言ってたわ」

「いや、普通に病院行くけど」


 咲茉より優先するものなど、悠也にあるはずがなかった。


 そう言いたげに断言する彼に、呆れたと悠奈は頭を抱えていた。


「病院には私が行くから、とにかく悠也は学校行きなさい。お小遣い減らすわよ」

「……ずる」


 不満そうに悠也が顔を顰める。


 その態度に悠奈が半目で息子を見つめると、


「先に言っておくけど、後で学校サボってこっそり病院に来たら覚悟しなさい? 半年はお小遣い無しにするわよ?」

「……冗談だろ?」

「本気だから、だから黙って夕方まで学校行きなさい。もし咲茉の検査が終わるのが遅くなったら、後で連絡するわ。学校が終われば、別に来ても構わないわよ」


 半年間も小遣いが無くなる。それは収入源が限られている悠也にとって死活問題だった。


 金がなければ、行動も限られる。咲茉とデートするにも、少なくとも金は必要なのだ。


 それを人質に取られれば、悠也も渋々と従うしかなかった。


「遅くなる時、ちゃんと連絡しろよ?」

「忘れずにするわよ。悠也が咲茉が心配だってことくらい、私だって分かってるわ」


 苦笑しながら、悠奈が肩を竦める。


 その反応を横目に、悠也は渋々と学校に行く準備を始めていた。

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