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第60話 泣き続ける2人


 この場から逃げ去ってしまった拓真を追い掛ける警備員達の怒声と足音が、遠のいていく。


「あんな奴がっ……! あんなゴミぐずが、えまをっ……!」


 その音を聞きながら、気づくと悠也は何度も床に拳を叩きつけていた。


 床に額を擦りつけて、溢れる涙を拭うこともせず、やり場のない怒りを地面に叩きつける。


 血だらけの右拳を悠也が振り下ろすと、当然のごとく血が飛び散った。あの憎き男を殴り続けた所為で、すでに彼の右手は壊れる寸前だった。


「悠也さん、それ以上は――」

「ッ――!」


 優しく右手に添えられた雪菜の手を無意識に振り払って、悠也が地面を殴る。


 素人が拳を使い続ければ、簡単に壊れる。もう動かすだけで激痛が伴うはずなのに、それでも関係ないと彼の拳が地面を殴っていた。


 痛みなど、とうの昔から消えていた。もう手を動かしている感覚すらない。そんな些細なことよりも、悠也は今にも狂いそうな感情を抑えるのに必死だった。


 拓真を逃したことに、この場で彼を殺せなかったことに、後悔が募る。


 しかしそれよりも、咲茉のことを考えるだけで悠也の心は壊れそうだった。


「怖がっだんだよなぁ……辛がっだんだろうなぁッ……!」


 あの男が宣った事実に、もう悠也は正気すら保てなくなっていた。


 今まで、決して咲茉が明かさなかった秘密を信じたくなくて。


 その事実を隠すしかなかった咲茉を思うと、やり場のない怒りが溢れてきて。


 そんな経験をしてしまった彼女が今の姿に立ち直るまで……一体、どれだけの苦悩を積み重ねてきたのだろうか?


「信じだぐながっだんだ……ぞんな気は、してだんだ……ぞれなのに、俺はッ――」


 そう呟いた悠也の口から、自然と嗚咽が漏れていた。


 ずっと前から、そんな予感はしていた。


 咲茉の異常としか思えない男に対する恐怖心。


 ただ男に触れられるだけで恐ろしいと感じてしまう心的外傷を受けることなど、普通に生きていれば受けるわけがない。


 そこまでのトラウマを植え付けられる恐怖など限られる。


 そして咲茉の持つ癖が、更に限られる可能性を絞り込んだ。


 異様に腕や手首を気にする彼女の癖は、本来あるはずだった傷を見ていたのだと。


 身体に残る傷。それが手首となれば、ひとつしかなかった。


 自殺したくなるほどの辛い経験。そして外の世界と、男に対する強烈な恐怖心。


 更にキスなどの性に関する行為に奇妙なほど怯えている様子を見れば、悠也も予想することは容易かった。


 しかし、それだけはあり得ない。そんなことがあって良いはずがないと、自分に言い聞かせていた。


 たとえそれが最も可能性が高いことだとしても、彼女から明かされるその時まで、悠也は目を逸らし続けていたのだから。


「ごめん、えまぁ……ずっど1人で抱え込まぜで、ごめんっ」


 その秘密を隠し続けていた咲茉の苦悩を考えて、ひらすらに悠也が咽び泣く。


 そんな異様な姿の悠也を、雪菜が困惑した表情で見つめていると――




「ゆーやぁ……」




 ゆっくりとした足取りで、離れていた咲茉が悠也の側に寄り添っていた。


 悠也に寄り添う彼女の手が、雪菜と同じように彼の背中を撫でる。


「……ごめんね。今まで言えなぐで、本当にごめんね」

「……えま?」

「ぢゃんど自分で言いだがったのに……! 私の言葉で、伝えだがったのにっ……!」


 悠也の背中に頭を擦り付けた咲茉の目から、涙が溢れる。


 今まで隠し続けていた秘密を、一番知られたくない人間の口から告げられたことが悲しくて。


 いつか必ず伝えると決めていた秘密を、自分の口から伝えられなかったことが悔しくて。


 愛されている確信が持てないからと。ほんの少しの勇気すら出すことができなかった自分が、何よりも許せなくて。


「ごんな形で、ゆーやに知られだくながった……ごうなるっで知ってだら、もっど早く言っでたのにっ……!」


 嗚咽混じりに告げた咲茉が、両手で悠也の背中に縋っていた。


「ごめんなざい……ごめんなざいっ……!」


 何度も謝罪の言葉を告げて、咲茉はひたすら泣いていた。


「ゆーやに、みんなに嫌われだぐながったの……きっど知られだら嫌われるっで、ずっど思ってだからっ」


 悠也の背中で震える咲茉が、消えそうな声で呟く。


 その声に唖然とする悠也だったが……気づくと、両手の拳を渾身の力で握り締めていた。


 痛みも、感覚もない彼の右拳から血が吹き出す。


 床に滴る血を悠也が見つめていると、そっと咲茉の手が彼の右拳に添えられていた。


 彼の血で手が汚れることも気にせずに。


「怒らないで……私が悪がっだから、怒らないでっ……血が、こんなにいっぱい出てるから。私のごど嫌いになっでも良いから、たくさん血出たら死んじゃう。私、もうゆーやに死んでほしぐないの」


 悠也の中で湧き上がる怒りは、間違いなく咲茉に対するモノだった。


 たとえそれが彼女にとって辛かったことだとしても、そんな些細なことで嫌われると思われていた。


 それはあまりにも、馬鹿にされているとしか思えなかった。


「俺がっ……えまのこと、嫌いになるわげないだろうがっ……!」


 右手に添えられた咲茉の手を、悠也が掴む。


 離したくないと言わんばかりに、強い力で彼女の手を握り締める。


 力加減すら忘れてしまった彼の手に握られて、思わず咲茉の表情が歪んでしまう。


「絶対に離じでやるもんかっ……お前のごと、絶対に離しでやるもんかっ」


 潰れそうになるほど握り締められる。絶対に離さないと告げた彼の想いを表すように。


 これが彼の本心の証明だと咲茉が気づくと、途端に手から感じる痛みすら愛おしくなった。


「ごめんなざい……本当に、ごめんなざいっ……!」


 それが何よりも嬉しくて、嗚咽を漏らす咲茉が悠也の背中で声を殺して泣いてしまう。


 また悠也も咲茉の手を握り締めながら、ただ泣き続けていた。



「これは一体……」



 その2人の光景に、呆然として雪菜は困惑していた。


 何が起こっているのか、なぜ2人が泣いているのか見当もつかなくて。


 先程、悠也が拓真に叫んでいたことも、この2人の会話も、理解すらできなくて。


 まるで一度死んだことがあるような2人の口ぶりが、意味不明過ぎて。


 ただ今の雪菜に分かることは、2人にしかない秘密があるということだけだった。



「雪菜っち、今はそっとしておこ」

「……乃亜ちゃん?」



 呆然としていた雪菜が、いつの間にか現れた乃亜に驚く。


「……」


 しかし驚く雪菜に振り向くこともなく、静かに乃亜の瞳が今も寄り添って泣き続ける2人を見つめていた。



「……まさか、ね」



 そう呟いた乃亜の声は、泣き喚く悠也達の声に消されてしまう。


 そして通報を受けた警察達が到着するまで、乃亜達は泣き続ける悠也と咲茉を静かに見守っていた。

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