第58話 邪魔するの?
「どうしちゃったのかな? もしかして二人とも、派手に転んじゃったのかな? あ、きっとそうかも? だって私の大切なお友達が喧嘩なんてするはずないよ?」
呆然と咲茉達を見つめていた雪菜の真顔が、いつもと違う幼い子供ような口調で呟く冷たい声色が、悠也の沸騰していた頭を一瞬で冷やした。
「ゆ、ゆきな……?」
「うん。きっとそうに決まってる。だって、そうじゃないとダメだよ。たとえ二人の怪我がどう見ても誰かに殴られたようにしか見えなくても、転んだに決まってるよ……ふふっ、二人ともお茶目なんだから」
恐る恐る悠也が声を掛けても全く聞こえていないのか、二人を見つめていた雪菜が可笑しいと微笑む。
口元に右手を添えて、お淑やかに笑う彼女の仕草が、とても穏やかな印象を周囲に与える。
「……」
だが悠也は雪菜の笑顔を見た瞬間、無意識に後退っていた。
その笑顔は――あまりにも異質だった。
本来なら笑っているはずなのに、なぜか彼女の口元以外が、全く笑ってなかった。
「転んだ。絶対に転んだんだよ。そう、絶対にそう。そうじゃないとダメ、もしそうじゃなかったら……きっと私、おかしくなっちゃうもん」
まるで瞬きすら忘れたように、視線も一切逸らすこともなく二人を見つめる雪菜の瞳が、彼女の心境を物語っていた。
それはハッキリと確信できる、怒りでしかなかった。
「あ、こんなところに偶然にも悠也さんが居ます。ちょうど良かったぁ……ちょっとお話良いですか?」
そう言うと、いつの間にか悠也の目の前に雪菜が立っていた。
いつ移動したか、全く認識できなかった。気づいたら眼前に雪菜の笑顔があることに、悠也が言葉を失ってしまう。
しかし雪菜は、そんな彼のことなど気にも留めずに問い質した。
「ねぇ、悠也さん? 私の大好きな二人が怪我をしちゃったんですけど、その理由って知ってますかぁ?」
微笑む雪菜に、悠也の背筋が凍る。
目の前にある彼女の瞳が、告げていた。
お前は余計なことを言わずに知ってることを吐け、と。
答えなければどうなるか、考えたくもなかった悠也が震える喉を動かそうとした時だった。
「はぁ……うぜぇ野郎が来たかと思ったら、今度は変な女かよ。マジで邪魔くせぇ」
雪菜を見た拓真が、舌打ちを鳴らしていた。
「……変な女? もしかして、それって私のことですか?」
「そんなことも言わねぇと分かんねぇの? やっぱり女って馬鹿ばっかりしかいねぇな? その板みてぇな胸と一緒で脳みそも空っぽなのか?」
顔を向けた雪菜に、拓真が小馬鹿にした表情で失笑する。
そんな彼に、なぜか雪菜は笑っていた。
「……ははっ、とっても面白いこと言うんですね」
顔だけを向けた雪菜から聞こえた声は、とてもではないが微塵も笑っていなかった。
その声に悠也が震える。しかし彼女の怖さを知りもしない拓真は、心底面倒そうに深い溜息を吐き出していた。
「さっさと咲茉連れて行きたいからさぁ、お前達邪魔だからどっか行ってくんね? あぁ……折角なら咲茉と一緒にいた女も一緒に連れてくから置いてけよ?」
「咲茉? 呼び捨てにするほど、あなたは咲茉ちゃんと親しい方でしたか?」
そう訊き返す雪菜だったが、すでに何度も似たような質問に答えていた拓真に、もう答える気などなかった。
もう興味もないと言いたげに、拓真の視線が悠也達から外れる。そして彼の目が離れている咲茉を見つけると、背後に控えていた男達に命じていた。
「おい、テメェら。さっさとあそこにいる二人連れてくぞ」
「拓真さん……流石にそろそろ逃げた方が良いんじゃ。これだけの騒ぎだと、そろそろ警察とか」
「あ? なに? 俺に指図する気?」
「い、いえ……なんでもないです」
しかし命じられた男達の一人がそう提案するが、拓真が睨みつけると怯えたように大人しくなる。
「うぜぇなぁ……警察なんて来ねぇよ。そういうのは全部俺の都合が良いようになるって決まってんだよ。良いから余計なこと考えないで連れて来い」
その反応に拓真が舌打ちを鳴らすと、顎で控えていた男達に催促させる。
そして8人の男達が咲茉と凛子の元に向かおうとするが、
「私の話、ちゃんと聞いてました?」
彼等の前に、いつの間にか雪菜が立っていた。
仲間の行く先を邪魔をする彼女に、拓真の眉間に皺が寄る。
「うぜぇのは黙らせとけ」
それが手段は選ぶなという意味であることは、拓真に命令された彼等も熟知していた。
揃って彼等が拓真に頷くと、小馬鹿にした笑みで全員が雪菜を見つめていた。
「お前さぁ、拓真さんに邪魔って言われてんだよ? 痛い思いしないと分かんねぇの?」
「顔は可愛いのに貧乳だからなぁ、これじゃ拓真さんも相手する気にはならねぇよ」
「そりゃそうだ。さっき拓真さんに喧嘩売ってきた強気な女みたいに、どっちが上か分からせるのが気持ち良い身体してないとなぁ」
「間違いない。あそこの女達は良い身体してんのに、この女は胸も貧相だからなぁ。痛めつけても楽しくなさそうだし」
目の前で下品に笑う彼等の話に、雪菜の表情が固まる。
その表情を、彼女が怯えていると判断した男達は、揃って大声で笑っていた。
「ビビってるのウケる。その貧相な身体でもオッサンとかなら相手してくれるかもよ〜?」
「顔は可愛いのになぁ、マジでもったいねぇ〜」
「いや、意外とヤったら良いかもしれなくね?」
「はぁ? お前貧乳好きかよ?」
雪菜を見た男達が、汚い笑い声を出しながら雪菜の横を通り過ぎようとする。
しかし先頭の一人が雪菜の横を過ぎた瞬間、
「……あ、ゴミ」
「あがっ――!」
突然、鈍い音と共に、その場で倒れていた。
「は……?」
唐突に倒れた仲間に、理解できない男達が呆然とする。
その中の一人に音もなく雪菜が迫ると、その男の顔面を掴んでいた。
「大変。ここにもゴミが落ちてます。拾って捨てないと」
「いだだだっ!」
男の顔を掴む手に力を込めた後、一歩前に進んだ雪菜が男の足を払う。
そしてバランスを失った男を押し出すと、そのまま地面に叩きつけていた。
「あ、そう言えば……このゴミ、私のこと貧乳って言った。気にしてるのに、酷いこというゴミは分からせないと」
床で痛みに悶える男に向けて、雪菜の拳が迷いもなく撃ち抜かれる。
頬に2発。鈍い音と男の呻き声が鳴る。
「私に、何か言うことは?」
「な、何言って……」
「違う」
鈍い音が鳴る。
「もう一度、なにか言うことは?」
「へっ……?」
「違う」
また、鈍い音が鳴る。
周囲から、悲鳴のような声が響いた。
「ゴミは言わないと分からないの? 他人に酷いことを言ったら、なにを言うの?」
「…………」
「あ、気絶しちゃった」
もう意識を失った男に、そう呟いた雪菜が当然のように拳を振り下ろす。
あまりにも衝撃的な光景に、雪菜の前にいた男達を始め、雪菜を知らない周囲の人間達が絶句する。
しかし、そんなことを雪菜が気にすることもなく、まるでゴミを捨てるように彼の頭から手を離すと、残る6人に視線を向けていた。
「答えて? 私の大切な友達を好き放題に殴ったの、誰?」
真顔で問う雪菜を見た男達が、揃って拓真に視線を向ける。
その視線に雪菜が顔を向けると、拓真もまた起きていることが理解できないと唖然としていた。
「あぁ、あの銀蝿が殴ったんだ」
そう言いながら、雪菜が近くにいた男を床に叩きつける。
激しい音を立てて倒れた男は、悶えた後、その場で気を失っていた。
「このゴミは私のこと貧乳って言わなかったし、あと可愛いって言ってたからこれくらいで良いや」
「マジで姉さん、可愛いです! 本当に可愛いですからっ!」
「このゴミは貧乳って言った」
必死に叫んでいた男を雪菜が数回殴ると、床に叩きつけて昏倒させる。
8人も居た男達が、短い時間で4人も倒れた。
そのあり得ない光景に、先程まで余裕を見せていた男達が、一斉に雪菜から離れる。
彼等を追うべきかと思う雪菜だったが、それよりも先に処理するべきモノがあると視線を動かす。
そして銀髪の男に向き合った彼女が動き出そうとした時だった。
「雪菜、アイツは俺がやる」
そっと、悠也の手が雪菜の肩を掴んでいた。
「……いえ、あの銀蝿は私が」
「それだけは譲れない。アレは俺が相手する」
震えた悠也の手が、必死に前に出ようとする雪菜を止める。
彼に動きを止められて、無意識に雪菜は目を吊り上げていた。
「私の、邪魔するの?」
「アイツは、俺がやる。やらないといけない」
強い声色で、悠也がそう告げると、怪訝に雪菜が眉を寄せる。
そして真顔で彼女が悠也を見つめると、不満そうに視線を逸らしていた。
「……先に、私が他のゴミを相手します。その時間だけ、あげます」
頷く悠也に、雪菜が不満だと言いたげに小さな溜息を漏らす。
「それだけあれば良い」
そう言って悠也が歩いていく背中を、雪菜が冷たい目で見つめるが、渋々と彼女は離れている男達に向き合っていた。
雪菜と目が合った男達が、揃って後退る。
震える男達に、雪菜が慈悲を与えるはずもなかった。
「逃げようとしても、無駄だから。逃げられるなんて思ってるの?」
その瞬間、雪菜は動いていた。
「なんだよ……なんだ、あの女。ゴリラかよ」
雪菜を見つめていた拓真が、唖然と声を漏らす。
「ゴリラより怖い女だから安心しろ」
「悠也さん。後で覚えてなさい」
5人目を倒した雪菜の言葉を、悠也は聞かなかったことにした。
軽はずみに口にした命の危険よりも、今は優先することがある。
「……逃げれると思うなよ」
「このガキが……ッ!」
構える悠也に、顔を歪めた拓真が叫ぶ。
そして今後こそ、悠也が諸悪の根源を叩きのめせると思った時――
「あそこでーす! けーびいん達さーん! あそこにいる怖そうな銀髪の人が〜! 私の友達を痛めつけてましたぁ〜!」
遠くから聞こえた大声と一緒に、慌しく走る数多くの足音が、悠也達の耳に届いていた。
そしてどこか遠くから、サイレンの音が聞こえたような気がした。
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