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第56話 大好きな彼の背中


「ははっ……」


 突然聞こえた笑い声が、呆然としていた咲茉の意識を呼び戻した。


 この場に響く笑い声に、拓真の眉が怪訝に歪む。


 それと同時に、ゆっくりと咲茉が視線を動かすと――なぜか彼女の腕の中で、凛子が腹を抱えて笑っていた。


「凛子ちゃん……?」

「ガキじゃあるまいし……じ、自分のこと主人公とか。ふふっ、頭悪過ぎだろ」


 冷ややかに、乾いた声でひたすら笑う彼女の声には、楽しいという感情など一切感じなかった。


 明らかに相手を馬鹿にした笑い。それは紛れもなく、心の底から相手を蔑んだ嘲笑だった。


「このアマ、また殴られてぇのか?」

「や、やめてくれ……その反応もガキ臭くて笑えるから」


 不快だと拓真が拳を掲げて見せるが、それでも変わらず凛子は笑っていた。


 聞いているだけで耳障りになっていく彼女の笑い声に、自然と拓真の目が鋭くなる。


 そして遂に我慢の限界だと、彼が怒りのままに動き出そうとした時だった。


「はぁ……笑い死ぬかと思った」

「だ、大丈夫?」

「悪かったな、咲茉。手間掛けさせて、もう大丈夫だから」


 心配する咲茉にそう答えると、抱えられていた凛子が立ち上がっていた。


「痛……ったく、本気で殴りやがって」


 まだ腕の痛みが引かないのか、その場で凛子が両腕を軽く振るう。


 そして問題なく腕が動くことを確認すると、凛子の鋭くなった目が拓真を睨みつけていた。


「おい、てめぇ。一発は一発だからな?」

「あ? それが――」


 なんだ、と拓真が言い切るよりも先に凛子が動いていた。


 身体を屈めて前に跳び出す。そしてその勢いを乗せたまま彼女が飛び上がると、


「おらっ――‼︎」


 空中で渾身の力を込めた右足を、拓真の頭に向けて振り抜いていた。


「なッ――⁉︎」


 咄嗟の反応で、拓真が頭を守る。腕から駆け抜ける鈍痛に苦悶してしまうが、それよりも遥かに勝る怒りの感情が彼の表情を歪めた。


 だが予想外の攻撃により、不意を突かれた拓真の体制が崩れる。そこで更に追撃するべく、すかさず凛子が彼に体当たりしていた。


「女舐めてんじゃねぇぞッ! このクソ野郎ッ‼」


 これまでの拓真という男の行動と発言で、凛子は察していた。


 今まで女を暴力で言いなりにしてきたと言わんばかりに、平然と女を殴れる精神。


 そして女を性のはけ口にしているとしか思えない言動。


 それだけあれば、嫌でも分かってしまう。


 この拓真という男は、女という存在を極めて下に見ていると。


 それならば、凛子にも手はあった。


 相手が女だと油断していれば、不意打ちができる。更に馬鹿にして冷静さを失わせれば、更に効果的だろう。まさか女から足技が飛んでくるとは夢にも思わなかったに違いない。


 たとえ筋力の劣る女でも、足を使えばどうにでもなる。それを過去に雪菜から教わっていた凛子は、咄嗟の判断で渾身の蹴りを放っていた。そして体制を崩し、体当たりで倒すことができれば、僅かでも隙ができる。


 周りにいる男達も、このリーダー格の拓真が倒れれば動揺するに違いない。


 この場で凛子が単独で彼等と喧嘩したところで勝てるわけがない。それは凛子自身も理解していた。


 しかしどの道、このままでは結果は変わらない。なぜか咲茉に執着している拓真の様子を見る限り、もし彼等に連れていかれれば、彼女がどんな目に合うか想像するのも吐き気がする。


 ならば、もう賭けに出るしかなかった。この不意打ちで、この場から咲茉と逃げ、周囲の大人達に助けを求めれば良い。


 だから後は、この体当たりでこの男を突き飛ばせば良いだけだったのだが――


「ぐっ――!」


 突然、腹部を突きつける鈍痛が凛子の動きを止めてしまった。


 痛みに苦悶する凛子が咄嗟に見ると、体制を崩しているのにも関わらず、拓真の膝が彼女の腹にめり込んでいた。


「舐めたことしてんじゃねぇぞ‼︎ クソ女ッ‼︎」

「いっ――⁉︎」


 失敗したと凛子の思考が思うよりも早く、拓真が彼女の髪を強引に掴む。


 そして痛みで顔が歪んだ凛子の腹部に続けて膝蹴りを叩き込むと、そのまま拓真は思い切り彼女の身体を蹴り飛ばしていた。


 ふわりと凛子の身体が浮き、地面に叩きつけられる。


 その衝撃に凛子の顔が歪むが、それよりも湧き上がる嘔吐感に彼女は苦悶していた。


「おえっ……!」


 全身に感じる激痛と、2度に及ぶ腹部への衝撃による吐き気で凛子の目に涙が浮かぶ。


 だが動けなくなったからと言って、拓真の怒りが収まるはずがなかった。


「このクソ女がッ! 少し良い顔してるからって調子に乗りやがってッ‼︎」


 倒れた凛子に近づくと、そのまま拓真が彼女を何度も踏みつけていた。


「俺のこと馬鹿にした挙句ッ! 俺のこと蹴りやがってッ‼︎ どっちが上か分からせないとダメかっ⁉︎ あぁ⁉︎ さっきまでの威勢はどうしたんだよッ⁉︎」

「ッ――!」


 必死に身体を守ろうと凛子が身体を丸くする。しかしそれでも、拓真は踏みつけるのをやめなかった。


「――凛子ちゃんッ!」


 凛子が踏まれる姿を見て、咄嗟に守ろうと咲茉が彼女の身体に覆い被さる。


 しかし咲茉が庇っても、拓真は決して踏みつけるのをやめなかった。


「拓真さんッ‼︎ それ以上はここじゃマズイですってッ‼︎ 警察呼ばれますってッ⁉︎」

「うるせぇッ‼︎ 俺は主人公なんだッ‼︎ こんなことで捕まるわけねぇだろうがッ‼︎」


 凛子と咲茉を何度も踏みながら、拓真が叫ぶ。


「や、やめて……誰か助けてッ!」


 凛子を守る咲茉が必死に叫ぶ。


 しかし周囲の人間達は、関わりたくないと遠目に見るだけだった。


 その光景に、咲茉が言葉を失う。そして彼女が叫んだことで、拓真は更に怒りを露わにしていた。


「なに人呼ぼうとしてんだよッ!」


 先程まで踏みつけるだけだった拓真の足が、思い切り咲茉達を蹴り飛ばした。


 その姿に周囲の人間達から悲鳴のような声が漏れても、一切気にせず、彼はひたすら足を動かしていた。


「俺はッ! 主人公なんだよッ! 時間を遡ってきた主人公なんだッ! 主人公なら何しても許されるに決まってんだろーがッ!」


 感情をむき出しにした拓真が、感情のままに叫ぶ。


 踏まれ続ける咲茉だったが、彼の言葉を聞いた途端――ぞっとした寒気が全身を駆け抜けた。


 決して、今も踏まれている彼に恐怖で感じたのではない。


 この悪寒は、たった今告げた彼の言葉だった。


 時間を、遡る?


 その言葉が咲茉の脳裏を駆け巡った。


「これは神様が俺にくれた力なんだよッ! 間違って殺しちまった咲茉と再会させてくれる為にッ! 神様が俺を過去に戻して主人公にしてくれたんだよッ! こんな力、主人公じゃないと貰えるわけないもんなぁ! それなのにッ‼︎ やっと咲茉と会えたって言うのにイラつかせやがってッ‼︎」

「え…………?」


 そして続けて叫んでいた彼の言葉に、咲茉は痛みすら忘れるほどの寒気を感じていた。


 間違えて、殺した?


 過去に、戻って?


 もし、彼の言葉が本当のことだとすれば、それはつまり――


「ぁ……」


 気づくと、咲茉の口から吐息が漏れた。


 そして少しずつ、咲茉の身体が震えていく。


 そんなことがあるわけがない。


 そんな非情なことが、あって良いわけがない。


 これから自分は悠也と二人で人生をやり直して、幸せになっていくはずなのだ。


 ずっと辛い思いをしてきた二人で、やり直すと誓い合ったのだから。


「ぁ、ぁ……!」


 もうこの男と会うわけがない。そう確信していた。


 タイムリープの利点は、過去の改竄である。


 起きた出来事を改竄することができる。それを可能とする未来の知識が、それを実現できるはずだった。


 彼と出会うことになった隣町にあった喫茶店のアルバイトも避けた。


 1人で出かけることも避け、街に行くことも極力避けてきた。


 拭えない不満に駆られて、必ず誰かと一緒に居るようにもしてきた。


 彼と出会う可能性を考えられる限り潰してきたというのに――



「あぁぁぁぁぁぁぁッ‼︎」



 喉の奥から絶叫とも言えるほどの叫びを、咲茉は吐き出していた。


 あの時、自分と悠也を殺した男が“彼”だった事実が受け入れなれなくて。


 自分の初めてを。そして人生の全てを奪った“彼”が、なによりも許せなくて。


 そしてこれから始まるはずだった愛している人との時間すら奪おうとしている“彼”が憎くて。



――なぜ、私を犯した男を過去に戻したの?



 神様という存在がいるのなら、これはあまりにも酷い仕打ちだった。


 これではまた彼が、自分を求めてくる。


 そうならないように逃げてきたのに。


「いやだッ! もう私に関わらないでッ! 私から大切なもの奪わないでッ!」


 そして泣きながら、咲茉がそう叫んだ瞬間だった。


「もう……?」


 ピタリと、足を止めた拓真が怪訝に眉を寄せていた。


「は……お前、まさか」


 何かに気づいた拓真がハッと目を大きくする。


 しかしその瞬間――


「がっ――!」


 突然、拓真の身体が吹き飛んだ。


 目の前から拓真が消えて、不思議に思った咲茉が顔を上げる。


 そしてそこに居た彼を見た途端、咲茉は溢れる涙を止められなかった。


「てめぇぇっッ‼︎ 俺の女と友達に何してくれんだよッ‼︎」

「ゆーやぁ……!」


 見上げた咲茉の瞳には、世界で一番大好きな彼の背中が映っていた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] トラウマ元凶男の主人公発言は自称の妄言か? それとも、第三者(転生させた邪神?)みたいなヤツの発言か? 何れも碌な奴じゃないのは確か・・・・ [一言] 路地裏とか人気のないところならわ…
[良い点] ヒロインサイドに被害が出てからの主人公登場という「完全に間に合うパターン」ではありませんでしたが、さぁここから主人公のターンなのか、それとも……、とにかく続きが楽しみでなりません。
[良い点] とりあえず歴史が修正されるだろう点 [一言] 最後に刺した男が強姦魔だったのか。ということは前の世界では人をやって初めて捕まった感じですかね。
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