第54話 ぞわりとした寒気
咲茉達が街中のデパート内にある3件目のランジェリーショップを出ると、もう時刻は昼頃だった。
咲茉の下着選びから始まり、そして他の店でも各々の新しい下着を選んでいるうちに――気づくと時間が溶けるように過ぎてしまった。
色々と街中をを歩き回っていた所為で、足が疲れたと感じてしまう。だが、不思議と咲茉の気分は清々しかった。
やはり友達と買い物するのは疲れても楽しい。たとえ買う物が少なくても、店の商品を友達と見回るのはとてつもなく楽しかった。
「すいません。ちょっとお手洗いに行っても良いでしょうか?」
咲茉達がランジェリーショップを出ると、恐る恐ると雪菜が恥ずかしそうに尋ねていた。
別段、彼女を止める理由もない。考えることもなく咲茉と凛子が頷くと、それと同時に乃亜が手を大きく上げていた。
「じゃあ私も行く~!」
「咲茉はどうする? 私は行かないけど?」
「私も凛子ちゃんと待ってるよ」
凛子に訊かれて、咲茉が即答する。
その返答に凛子が頷くと、トイレに行く組の二人に向けて彼女は雑に手を払っていた。
「さっさと行ってこい。私達はそこのベンチにでも座ってるわ」
「はい。すぐ戻ってきますので少しだけ待っててください」
「勝手にどこか行かないで待ってるんだぞ~?」
「その身長で親面してんじゃねーよ。ちびっこ」
鬱陶しいと凛子が舌打ちを鳴らすが、どこ吹く風と乃亜が微笑む。
そしてそっと乃亜が雪菜に目配せすると、二人はゆっくりとした足取りでトイレに向かって行った。
二人が戻ってくるまで、少し時間は掛かるだろう。それまで立っているのも疲れる。そう思った凛子と咲茉は顔を見合わせるなり、揃って近くのベンチに腰を下ろしていた。
「飲み物いるか?」
「ううん。大丈夫、ありがと」
相変わらず咲茉と一緒に居る時だけは気配りを欠かさない凛子に、咲茉が微笑む。
その笑顔に凛子が満足そうに頷くと、疲れたと言いたげにベンチに背中を預けていた。
「それにしても疲れたわ……てか私達、何時間歩き回ったんだ?」
「多分、2時間くらい?」
街に到着した時間から逆算した咲茉がそう答えた途端、凛子の表情が引き攣った。
「我ながら女の買い物ってなげーわ」
「もしかして……退屈だった?」
「全然、私も新しい下着買えたし満足」
不安そうに尋ねた咲茉に、凛子が手に持った紙袋を見ながら笑みを浮かべる。
その表情に咲茉がほっと胸を撫で下ろすと、凛子の持っている紙袋を見つめていた。
それはつい先程まで咲茉達が滞在していたランジェリーショップの物だった。
「可愛かったよ、その下着」
「恥ずいからやめろって」
恥ずかしそうに笑う凛子だったが、その表情は満更でもなさそうだった。
それもそうだろう。咲茉はしっかりと見ていた。
何着も試着し、そして悩み抜いた末に購入を決めた黒の下着を買う時の彼女の表情は、とても嬉しそうだったと。
「そういう咲茉だって可愛いの買ったじゃん」
「……そ、そう?」
「めっちゃ可愛かった」
どこか揶揄うような笑みを見せる凛子に、咲茉が恥ずかしそうに頬を赤らめてしまう。
そして咲茉が膝の上に置いていた紙袋に視線を向けると、自然と彼女の頬が緩んでいた。
「……えへへ、本当に買っちゃった」
「やっぱり新しい下着買うとテンション上がるよなぁ~」
咲茉の喜んでいる姿に共感した凛子が何度も頷く。
選び抜いた可愛い下着を買うだけで、まるで心が踊るように嬉しくなるのはどうしてだろうか?
別に誰かに見せるわけでもない。それなのに下着ひとつで心が躍ってしまうだから……きっとこれも女に生まれた宿命とでも言えるのだろう。
男も新しい下着でテンションが上がるのだろうか。
そんな疑問が凛子の脳裏を過ったが……心底どうでも良いと、即座に彼女はその疑問を切り捨てた。
「うん。私、高いの買うの久しぶりだったから……ちょっとドキドキしてる」
そんな凛子の無駄な取捨選択を知ることもなく、咲茉が気恥ずかしそうに笑いながら膝に置かれた紙袋を撫でていた。
結局のところ、咲茉は最初に足を運んだランジェリーショップで試着した青い下着を購入していた。
やはり、あの胸元にフリルで花を模ったワンポイントが可愛かった。予定外の購入にあたって予算が減ってしまったが、微塵も後悔はしていなかった。
「……でも残りのお金で服買えるか心配かも」
「もしかして財布、結構やばい?」
「まだあるよ。お年玉使ってなかったし、お母さんに友達と服買いに行くって話したらお小遣い貰えたから」
これは咲茉も予想外だったが、思わぬ臨時収入があった。
年末年始に家族や親族から貰うお年玉を過去の自分はしっかりと貯金していた。その為、思っていた以上に使える金額は多かった。
それに加えて今日の為にと母親が別途でお小遣いを貰えれば、咲茉の使える金額はそれなりにあった。
だが使えるからと言えど、咲茉も無駄遣いする気など微塵もなかった。長い引きこもり生活によって物欲が少なくなった彼女には、服一着ですら高価な買い物になる。
「服って高いよね? お金、足りるかな?」
はたして、あらかじめ決めていた予算内で収まるのだろうか。
そう思った咲茉が訊くと、凛子は苦笑交じりに答えた。
「コスパ良い服屋なんて街中なら腐るほどあるって、色々見れ回れば良い。時間もあるし」
「凛子ちゃんはお金大丈夫なの? さっきの下着も高かったよね?」
何気なく咲茉が思い返すと、先程凛子が購入した下着も高価な物だった。
額にして約5,000円程度だったが、それでも高校生の財布には痛手になる。
「ふっふ、咲茉よ。私には前のテスト結果があるのだよ」
誇らしそうに胸を張る凛子の言葉で、咲茉は察せた。
「あ、もしかしてそれで?」
「私のパ……お父さんが滅茶苦茶褒めてくれて服買うお小遣いも多く貰えたんだよ」
今まで下から数えた方が早かった子供のテスト結果が上位17位まで伸びれば、親が喜ぶのも当然だろう。
馬鹿だと思っていた子供の底力を親が褒め、その喜びのあまり報酬を与える気持ちも分からなくもなかった。
「だから夏服買う金もまだある。私も別に高いの欲しいわけじゃないし、どっちかって言うとデザイン重視だから咲茉と同じ店で買うのもアリ」
「ほんと!」
友達と一緒に服を買う店を選ぶ。それは咲茉にとって、実に惹かれるものだった。
そして折角同じ店で服を買うなら友達とお揃いの服を買うというのも、実に仲良しらしさがあり、心惹かれるものがあった。
「じゃあ、一緒の服とか買っちゃったりする?」
「ふぁ……?」
そう思った咲茉が訊くと、突如凛子の表情が固まっていた。
「あ……もしかして嫌だった?」
突然の反応に、咲茉が不安になってしまう。
しかし彼女の問いに、ハッと凛子が意識を取り戻すと慌てて首を激しく振っていた。
「全然! むしろ着たいです! はい!」
「……なんか口調、変だよ?」
「そんなことないですよ! 咲茉さんと同じ服着れるなんて幸せです! ほんとに!」
「そ、そうなら良いんだけど……なら後で一緒に選ぼ?」
「……マジで今日、遊びに来て良かった」
拳を握り締め、大袈裟にガッツポーズを見せている凛子の姿を見る限り、おそらく喜んでいるのだろう。
そう判断して、咲茉は凛子の手を握ると微笑んでいた。
「じゃあ、後で一緒に探そーね?」
「……くぅぅ、絶対良い店探してやるからな!」
満面な笑みを返してくれる凛子に、堪らず咲茉も嬉しくて頬が緩んでしまう。
こんな変哲もない、誰もが当たり前のように過ごしているこの時間が楽しくて仕方ない。
記憶の奥底で大切にしていた、もう二度と過ごすことはないと思い続けていた大好きな友達と過ごしている時間が愛おしくて堪らなくなる。
本当に、過去に戻って来て良かった。そう心の底から思えるくらい、咲茉は幸せだった。
世界の誰よりも愛している彼と大好きな人達と過ごしている時間が悲しかったことも、辛かったことも、全部忘れさせてくれる。
こんな幸せな時間がこれからもずっと続くと思うだけで、咲茉は嬉しくて仕方なかった。
そう思っていた時だった。
「は? マジ⁉︎ こんなところで見つけるとか運命じゃん⁉︎」
唐突にどこからか聞こえた男の大声に、何故か咲茉の身体が動かなくなった。
そこに本人の意思すら関係なく、問答無用に身体を縛りつけるような、聞き覚えのある声。
あり得ない。こんな場所で、聞こえるわけがない。
そう何度も咲茉が自身に言い聞かせていたのだが、
「咲茉ちゃん、みーっけた」
「……ぁ」
その声を聞いた途端――ぞわりとした寒気が、咲茉の身体を駆け抜けた。
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