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第51話 着ないとダメ?


「服も見るけど、まずは下着からだよ~」

「……だから、なんで下着なの?」


 意味が分からないと咲茉えまが怪訝に眉を寄せる。


 そんな彼女に、乃亜は苦笑交じりに肩を竦めていた。


「女の子のおしゃれは下着から始まってるんだよ~? 咲茉っち、そんなことも忘れちゃったの~?」

「それは聞いたことあるけど……」


 確かに咲茉も随分と昔のことだったが、そんな話をどこかで聞いたことはあった。


 きっと乃亜の話もタイムリープする前の、もっと昔の自分なら……その意味も分かったのかもしれない。


 しかし10年近くも部屋に閉じ籠り、世間から離れた生活を続けてきた彼女にとって、その感覚はもう消え失せていた。


 服で着飾るファッションには、まだ理解がある。しかし他人に見せるわけでもない下着まで着飾る必要があるのかと思ってしまう自分がいた。


「でも私は下着は要らないかなぁ、誰かに見せるわけでもないし……」


 おそらく、間違っているのは自分だろう。その自覚もある咲茉だったが、それでも頷く気にはなれなかった。


「別に誰かに見せるために着るんじゃないよ~。可愛くておしゃれな下着は、自分の為に着るんだよ~」

「……自分のため?」

「もぉ~! 咲茉っちもそれぐらい分かってたでしょ~! ちょっと前までは可愛い下着とか着てたじゃん!」


 不思議そうに首を傾ける咲茉に、乃亜が呆れたと深い溜息を吐き出してしまう。


 乃亜の語る昔とは、おそらく中学生時代のことだろう。


 しかし乃亜にとって数か月前のことでも、今の咲茉にとっては10年も前の話だ。当時の自分がどんな下着を付けていたのかなど、彼女は鮮明に思い出せるはずもなかった。


「……そう?」

「そうだよ~! いつもフリフリの可愛いやつ着てたじゃん!」


 そう言われれば、咲茉がタイムリープしてから数回開けた洋服ダンスの中に、色々な下着が入っていたような気がした。


 確かに、その中には可愛らしい下着も多くあった。しかし手に取ってデザインを確認した途端、絶対に着ることはないと確信して洋服タンスの奥底に戻してしまった。


 そのデザインも、もう思い出せない。なるべく地味な服だけを取り出して、その他の派手な服や下着は全てタンスの中で眠っている。


 昔の自分がどんなファッションをしていたのかすら、もう咲茉には思い出せなかった。


「どうせ今も地味な下着付けてるんでしょ~?」

「……どうだろ?」


 自分では地味と思っているが、もしかしたら派手かもしれない。


 そう思った咲茉が訊き返してみると、ムッと乃亜の頬が膨れていた。


「無地のブラレットしか着てないの知ってるんだからね~?」

「え……? なんで知ってるの?」


 まさか的確に言い当てられるとは夢にも思わず、咲茉が目を大きくする。


 驚く彼女に、深い溜息と共に乃亜が肩を落としていた。


「体育の授業とかで着替えるでしょ? そういう時、一緒に居るから見えちゃうんだよ。咲茉っちだけかなり地味だったから目立つし」


 体育の授業なら、当然だが着替えがある。乃亜に素肌を見せる時があるとすれば、その時だけだろう。


 しかし困ったことに、咲茉は自分が目立っている自覚が全くなかった。自分の下着と周囲のクラスメイトが着ている下着など気にしたこともない。


「そんなに見られてるなんて思わなかったな……ちょっと恥ずかしいかも」


 改めて自分の下着姿が見られていたと思うと、妙な恥ずかしさがこみ上げてくる。


 咲茉が頬を赤く染めていると、乃亜が怒っていると言いたげに口を尖らせた。


「そーいう問題じゃなくて! そんな地味な下着ばっかり付けてると自分にも自信持てなくなっちゃうって言いたいのー!」

「……それって必要?」

「必要に決まってるでしょー! そんな羨まボディしてるのにもったいない!」

「も、もったいない?」


 唐突に乃亜から人差し指を向けられて、咲茉が困惑してしまう。


 乃亜の指が差している場所は、なぜか咲茉の胸に向けられていた。


「咲茉っちは自覚しないとダメ! その身体はちゃんとお手入れしないともったいないの!」

「……ん? 肌のお手入れはしてるよ?」


 タイムリープしてから肌の手入れは毎日怠っていない。化粧水も乳液も、安価ではあるかしっかりと使っている。


 タイムリープする前は両親に促されて一切しなくなったことだが、こうして悠也の恋人となった今は咲茉も最低限の手入れをしている。大好きな彼に少しでも可愛いと思われたい気持ちは、少なくともあるのだから。


 そう思って答えた咲茉だったが――


「そーじゃなくて! おっぱいのこと!」

「おっ……!」


 予想外の言葉を店内で叫ばれて、思わず咲茉は動揺してしまった。


 店内にいた周囲の女性達から一斉に視線を受ける。恥ずかしさのあまり、咲茉は顔を真っ赤して乃亜に目を吊り上げていた。


「ちょっと! お店の中で変なこと言わないでよ……!」

「下着のお店なんだから変なことでもないでしょー!」

「そういう問題じゃ――」


 そして反射的に咲茉が反論しようとした時だった。


「おい、乃亜。店の中で変なこと叫ぶなよ」

「乃亜ちゃーん? お店の中で騒いだら駄目ですよ~?」


 いつの間にか、二人の元に店内を見回っていた凛子と雪菜が戻ってきた。


「別に下着のお店なんだし気にする必要ないでしょー」

「そういう問題じゃねーよ。店の中で恥ずかしげもなく叫ぶな、私達が恥ずかしいっての」


 凛子に注意されて、不満そうに乃亜が頬を膨らませる。


 その時、ふと咲茉が戻ってきた二人の両手に何気なく視線を向けると――


「ふ、二人とも……そんなにたくさん買うの?」


 なぜか二人の両手に、たくさんの下着が抱えられていた。


 あまりにも多い下着の数に、思わず咲茉の目が大きくなった。


「え? これ全部、咲茉が試着するやつだけど?」

「へっ……?」


 当然のように答えた凛子に、咲茉が呆然と声を漏らした。


 ぱっと見ただけで、二人の手にはそれぞれ10個ほどの下着があった。


「それ、凛子ちゃん達が試着するんじゃないの?」

「それは後で見ようと思ってます。なので今持ってる商品は全部咲茉ちゃんに選んだものですよ?」

「……?」


 意味が分からないと、素直に咲茉が困惑していまう。


 呆気に取られている彼女に、凛子が持っている下着を押し付けていた。


「乃亜の話はともかく……最近、咲茉って地味な下着ばっかり着てたからな。もしかしたらサイズが合わなくなったのかなって思ってたけど、違ったか?」

「そ、それは……」


 それすらも言い当てられて、渡された大量の下着を前に、反射的に咲茉が言い淀んでしまう。


 なぜかここ最近で、着ている下着が伸縮性が良いにも関わらず、キツイと感じてしまうことがあった。まだそこまで気にする程度ではなかったが、近いうち新調しなくてはと密かに咲茉も思っていた。


「なんで分かったの?」

「ちょっと前から咲茉ってブラトップ付けてたから、なんとなく? 私も最近、サイズがきつくなってきたんだよな。デカくても良いことないってのに」


 咲茉の反応に、凛子は苦笑しながら肩を竦めていた。


「それ以上は私と雪菜っちに効くからやめてほしーな?」

「乃亜ちゃん? 勝手に私が気にしてるって話にしないでもらえません?」

「雪菜っち。私には分かるよ。体育の着替えの時、咲茉っち達の身体見て――」

「乃亜ちゃん?」

「……あっ、ちょっと」


 おもむろに雪菜に頭を鷲掴まれた乃亜が、身体を震わせる。


 そしてすぐに乃亜が謝ると、渋々と雪菜は彼女の頭から手を放していた。


「……命拾いした」

「次はないですよ?」

「……はい。ごめんなさい」


 胸を撫で下ろす乃亜に、雪菜が眉を寄せる。


 そして気を取り直して、乃亜が再度咲茉の胸に人差し指を向けていた。


「ともかく! ブラトップ着るのは良いけど、ちゃんとブラしないとダメだよ!」

「あ、話戻しちゃうんだ」


 なんとか話を逸らせたと思っていたのに、乃亜に話を戻された咲茉が、つい顔を顰めてしまう。


 しかしそんなことは関係ないと、乃亜は目を吊り上げていた。


「とーぜん! だってそんなに大きいとブラしないとダメだよ! そんなことしてたら将来垂れちゃう!」

「た、垂れって……」

「ちゃんと今のうちからブラしておかないと大人になったら垂れるって私のおかーさんも言ってたの! ネットにも書いてたし……私は必要ないけど、咲茉っちは絶対やらないとダメ!」


 自分の貧相な子供体型を見て、一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべた乃亜が怒りを露わにする。


 そこまで彼女が怒る理由が全く理解できない咲茉だったが、


「だらしない身体を悠也っちに見せても良いーの!」

「……」


 その言葉を言われてしまえば、咲茉も反応するしかなかった。


「べ、別に私とゆーやは……そ、そーゆーことする予定もないし、そもそも私達まだ学生だし」

「咲茉っちが男の人に耐性ないのも分かってるけどー! 大人になった時に困るよ! 悠也っちにずっと綺麗で可愛いって思われたいでしょー!」

「そ、それは――」


 乃亜の言う通り、いつかの将来、悠也とすることはあるだろう。


 その時、果たして彼が自分に満足してくれるか。その疑問の答えは、その時にならないと分からない。


「だから今から気につけておくのー! おしゃれは下着から、良い下着を着ると自分に自信持てるって言うんだから! 男が苦手な咲茉っちでも、少しは自分に自信持てる努力しないとダメ! それに身体のお手入れも下着から始まってるの!」

「……うぅ!」


 言い返せないと、咲茉が表情を歪めてしまう。


 そしてトドメと、乃亜は続けた。


「別に普段の学校とかで着なくても、悠也の前くらいは可愛い自分を見せたいでしょー!」


 悠也には、可愛いと思われたい。他の人間にはどう思われようと気にもしないが、彼だけにはずっと思ってもらいたい。


 その想いが、咲茉の視線を自身の持っている大量の下着に向けさせた。


「これ……全部、着ないとダメ?」

「私達が選ぶんだからとーぜん! 今の咲茉っち、センス壊滅的だし!」


 乃亜の話に、凛子達が頷く。


「えぇ……」

「はい! 早く試着室にゴー!」

「わ、わかったよぉ」


 三人の反応に、咲茉は渋々と両手に抱えている下着を見つめながら苦笑するしかなかった。

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