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第35話 少し意外でした


 何度も畳に身体を叩きつけられれば、嫌でも身体が覚える。


 人間を痛めつけるのに筋力は必要ない。決して筋力のない人間でも、直接的な殴打など必要とせず、他人を容易く痛めつけられる。


 手首を少し捻られるだけで、簡単に人間の身体は痛みで動けなくなる。


 向けてはならない方へ関節を曲げられれば、為す術もなく身体が動かなくなる。


 少し過剰に関節を曲げられるだけで、身体が耐えられないと痛みを脳に訴える。


 知識では悠也も知っていたが、こうして直に体験すれば否応なしに理解させられた。


 少し加減を間違えるだけで、人間の身体は簡単に壊せると。


「良いですね。ここまで私に打ちのめされても元気に立ち上がれる根性は見てるだけで気持ちが良いです」

「舐めやがってこんのッ――!」


 もう畳に何度叩きつけられたか覚えてない。


 叫ぶ悠也が起き上がると、余裕の笑みを浮かべる雪菜に迫り、手に持った竹刀を振り下ろしていた。


 本来なら悠也も女の子に向かって竹刀など振り下ろさない。もし当たれば確実に大怪我に繋がる一撃となるだろう。


 しかしこれも、雪菜の指示で行われている練習だった。


 素手から始まり、武器を所持していた場合まで、様々な状況の相手に対する対応を彼に見せるためだけに行われている。


 最初は悠也も躊躇っていたが、もう今では遠慮なしに竹刀を振っていた。


 なぜ彼が全力で雪菜に竹刀を振っているのか。


 それは、とても単純なことだった。


 どうあがいても自分は彼女に一撃すら叩き込めない。


 それを悠也は嫌というほど、思い知らされていた。


「回数を重ねるにつれて受け身も取れるようになってます。覚えも良いですね」

「……こんだけやられたら嫌でも覚えるっての」


 気づけば、また悠也は天井を見上げていた。


 畳に叩きつけられる回数が増えるにつれて、悠也も自然と受け身を取るようになっていた。


 雪菜が加減しているお陰で痛みは最小限に抑えられているが、それでも痛みはある。倒れる度に苦悶する悠也に、雪菜は悟らせるように教えていた。


『極力痛くないように加減してますが、その痛みはこれから悠也さんが相手に与えるものです。しっかりと味わってください。もし少しでも痛みを和らげたいのなら、それに応じた対処をすることをおすすめします。上手く衝撃を逃がしてください』


 そう言われれば、悠也も倒れながら察していた。


 受け身のやり方は見様見真似だったが、回数を重ねればコツも掴む。


「これも私の誤算でした。失礼なことを言いますが悠也さんはこの手のことは覚えが悪いかもと思ってましたので……これは良い誤算です」

「マジで失礼なこと言うじゃん」

「申し訳ありません。こういう時の私、ちょっと言葉が強くなってしまって」

「別に気にしていない……こういう時はハッキリ言ってくれた方が良い」


 見下ろしてくる雪菜に、悠也が苦笑してしまう。


 正直に言えば、彼女の指摘は正解だった。悠也も、決して覚えが良い方ではなかった。


 子供の頃は勉強も大してできず、なにか覚えるだけでも人一倍時間が掛かった。


 運動ならば多少できたが、それもその分だけ練習しなければ覚えられなかった。


 物事を覚えるにあたっての理解ができなかった。それは子供ならではの壁だった。


 理屈を理解せず、結果だけを考えてしまえば、理解できることも理解できない。


 そんな簡単なことすら子供の自分は理解できていなかった。


「今の悠也さんを見ていると、少し妙な感じがします」

「なんか変なことでもあったか?」


 苦笑する雪菜に悠也が訊くと、彼女は意外そうに答えていた。


「先程から全く弱音も吐かずに、ただがむしゃらで私に向かって来てるように見えますが……その中で私の動きを必死に目で追って理解しようとしてますね?」

「……それがなんだよ?」

「私は痛みで無理矢理にでも身体に覚えさせようとしました。ですが、意外にも悠也さんは自分がどうやって倒れたか頭で手順を理解しようとしてます。正直に言うと、少し意外でした」


 指摘されれば、悠也も頷くしかなった。


 これから覚えていく武術の危なさを痛みで理解するのは、悠也も納得している。


 たとえ咲茉えまの為だけに教わる武術でも、時と場合にとっては自分勝手な理由で使うことがあるかもしれない。


 頭では危ないと理解できても、その痛みを少しでも知らなければ使い方を間違える。それを自制させるために痛みで理解させる雪菜の考えも、悠也は理解している。


 それは雪菜からの信頼とも受け取れた。与える痛みを知れば悠也なら決して使い方を間違えないという彼女からの信頼だと、彼は受け取っていた。


 しかし単に痛みを経験するだけでは、もったいない。こうして彼女が直に技を見せてくれているのなら、その技術を見て少しでも悠也は理解しようとしていた。


 これから先、彼女から教わっていく武術を無知ながらでも知ろうとして。


「その理解の仕方は積み重ねた経験で物事を覚えていくはずの子供というより、なぜそうなったかを合理的に考えて理解する大人に近い考え方な気がしました」

「そんなことないって、ここまでやられたら嫌でも見るようになっただけだ」


 確信を突く雪菜の言葉に、悠也は動揺しながらも咄嗟にそう答える。


 しかし雪菜は、それでも納得できないと眉を顰めていた。


「なんと言いますか、たまに私も大人の方と武術の練習をすることがあるんですけど……その時の感覚に近いんですよね」

「気の所為だって、テレビゲームで勝てないから上手くなろうって上手い人のプレイ見て覚える感覚と一緒だ」

「むっ、少し困りました。私はテレビゲームにはあまり詳しくないので、男の子はそういうものですか?」

「そんなもんだ」

「なるほど……勉強になります」


 咄嗟に誤魔化した悠也の話に、渋々と雪菜は納得していた。


 実際のところ、彼の話も間違った話ではない。好きなことに関しては子供も大人同様に合理的な考え方をする。


 なぜそうなったのか。どうしてできないのか。


 その疑問を解消するために考える手順や過程を好きなことだけにしか向けられない子供が多く、大人はその応用ができる。それだけのことだった。


「やられて思い知らされるけど、お前も合気道とか柔道とか色々とよくもまぁ覚えられるもんだよ」

「最初は父や母から無理強いさせられただけで嫌でしたが、できないことができるようになるのは好きでしたから今思えば良かったです。抗う力がないと困ることも世の中は多いので」

「それもそうだ」


 特に家柄の良い雪菜なら、武術のひとつでも覚えていた方が良いだろう。


 それを娘に教え込んだ彼女の両親の心情も悠也は理解できた。


「少し話し過ぎたな。続き、頼むわ」


 もうこれ以上は雪菜から余計な詮索をされるわけにはいかない。


 ふとした会話で、もしかすれば余計なことを言ってしまうかもしれない。


 すでに背中の痛みも消えた。そう思った悠也が立ち上がると、いつの間にか手に持っていた竹刀が消えていた。


「あれ? 竹刀どこに飛んでった?」

「それでしたらここにありますよ」


 雪菜から竹刀を差し出されると、思わず悠也の頬が引き攣った。


「……いつ取ったんだよ」

「あら? 私が取るのは見えてなかったんですか?」

「それは全然見えなかったって」

「では見えるようになるまで、何度だって見せてあげます」


 竹刀を受け取った悠也が苦笑すれば、雪菜がクスクスと笑う。


 その笑顔が堪らなく怖いと感じた悠也の口から、無意識に乾いた笑いが漏れていた。


「それに一通り技を掛け終わったら、ちゃんと後で教えますよ」

「……お手柔らかに頼むよ」

「それはできませんね。私、危ないことを教える時は厳しくするので」


 微笑んでいた雪菜の表情が真剣なものに変わると、その場で彼女は構えていた。


 普段のおっとりとした雰囲気からは到底考えられない彼女の力強い目つきに、つい悠也が怖気づく。


「さぁ、来てくださいな」


 しかし真剣な表情で彼女からそう言われれば、悠也も応じるしかなかった。


 真面目に教えてもらう相手に、失礼なことはできない。


「押忍」


 普段なら決して言わない返事をしながら悠也が雪菜に迫ると、そのまま竹刀を全力で振り下ろした。


 その後の結果は、言うまでもない。


「……ゆーやぁ」


 そんな二人の練習風景を、咲茉は顔を青白くしながら見つめていた。

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