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第34話 覚えてください


 5月になれば、あのゴールデンウィークが遂に訪れる。


 それは学生は勿論のこと、社会人にも等しく与えられる夢のような大型連休である。


 学業や仕事の縛りから解放され、至福の5日間を全力で楽しむべく世間は活気に満ち溢れるはずなのだが――


 一部の人間だけには地獄の日々となってしまうのも、このゴールデンウィークが待つ悲しき側面でもあった。


 この大型連休を楽しむ人間達が大勢いる一方で、その分だけ悲しみを背負う人間達もいる。


 学業や部活動など学校が休みだからこそ努力する生徒達も当然いる。休みの時間を一秒さえ無駄にしたくないと必死に努力する彼等だが、それでも休みを満喫する人間を見れば羨ましいと思うのも当然のことだ。


 また土日休みなど固定休のない一部の社会人にとっては、仕事が特に忙しくなると悲しみに暮れ、休みを満喫する世間を妬み羨む。


 亡くなる前は社会人だった悠也も、その社会人の一人だった。


 世間がゴールデンウィークだろうと全く関係なく始発から終電までパソコンのキーボードを叩き続けるデスクワークと会議の日々を彼は送っていた。


 むしろ当時社会人だった悠也は、世の中がゴールデンウィークになっても気づいていなかった。


 と言うよりも、気づかないようにしていたと言うのが正しい。気づけば最後、どうにか保っている自我が崩壊すると彼の無意識が分かっていただけの話だった。


 そんな休みのない仕事漬けの日々を過ごしてきた悠也に5連休も与えれば、それは本当に休んでも良いのかと思ってしまうのも当然のことで――


 ゴールデンウィークが近づいた4月下旬のとある夜。咲茉からゴールデンウィークは休みだと告げられた途端、悠也は本人の意思すら関係なく泣いていた。


 毎週訪れる土日の休みすら感謝しているくらいなのに、ゴールデンウィークも休んで良いのかと。そう思うだけで悠也の目からはポロポロと涙が出ていた。


 それを咲茉から慰められ、頭を撫でられながら膝枕された出来事は決してこの先、誰にも悠也が語ることはないだろう。


 今思い返せば恥ずかしくて仕方のない出来事だったが、咲茉の膝枕だけは今度またしてもらおうと悠也は密かに考えていた。


 あの柔らかかった膝枕を、また堪能したい。下から見上げる咲茉の優しい顔が、堪らなく可愛かった。


 そう密かに思う悠也だったのだが……まさかゴールデンウィーク初日に彼女から膝枕をされることになるとは、その時の彼は思いもしなかった。


「あ、やっと起きた」


 悠也が目覚ますと、なぜかジャージ姿の咲茉から見下ろされていた。


 頭には柔らかい感触と、額に冷たい感触。


 何が起きたか理解できず悠也が困惑していると、咲茉が心配そうにしながら彼を見つめていた。


「ゆーや? 大丈夫?」


 学校の授業で何度も見ているが、改めて見てもジャージ姿の咲茉は相変わらず可愛かった。


 まだ高校1年生だというのに発育が良く、ジャージ姿でも分かる平均以上に育った咲茉の胸が意図せず悠也の視界に入ってしまう。


 その時だった。悠也の頭にとある会話が呼び起こされた。


 それは以前、高校に入学する前に咲茉が可愛いと言われたくて悠也に制服を見せつけに来た時のことだった。


『やっぱり大人だった時より身体が小さくなったから動きやすいね』

『……そんなに変わるもんか?』

『うん。身長とか小さいと全然違うよ。身体だって私が大人だった時はFだったけど今はDになってたし、軽いと結構楽ちんだよ〜』


 あの時に彼女から告げられた何気ない一言が、咲茉を見上げる悠也の脳裏を駆け抜けた。


 果たして、そのサイズが一体どの部分を指しているのかについては流石の悠也も聞けなかった。


 男性恐怖症の咲茉に対しては、その手の話題は悠也も一切触れていない。


 興味がないと言えば嘘になるが、悠也も彼女には何があろうとも誠実であろうと心に決めている。


 下手なことをして彼女に嫌われるなど決してあってはならない。たとえ男なら誰も持っている下心があっても、それを悟られない努力を悠也は日々怠っていなかった。


 咲茉の胸へと引き摺り込まれそうになる視線を悠也が咄嗟に堪え、彼女の顔をじっと見つめる。


 不安そうに見つめてくる彼女と目を合わせながら、彼は今だに理解できない現状を彼女に訊いていた。


「てか……なんで俺、咲茉に膝枕されてるんだ?」

「覚えてないの?」


 目を大きくする咲茉に、悠也が頷く。


「頭打っちゃったのかな……濡らしたタオルぎゅーってしてあげるね?」


 そうすると、咲茉は泣きそうな表情を浮かべながら悠也の額に手を添えていた。


 押し付けられる冷たいタオルの感触が、どうしようもなく心地良かった。


 そう思った悠也が目を瞑って癒されていると、


「悠也ね。雪菜ちゃんから教わってる時、畳に叩きつけられたんだよ」

「……あぁ、思い出した」


 咲茉の話を聞いて、ようやく悠也は思い出した。


 ゴールデンウィーク期間中、雪菜の空いてある日に悠也は武術を教わりに雪菜の家を訪れていた。


 雪菜の家は極めて大きく。武道や茶道をするための別館があるほどだ。練習するならと雪菜から悠也と付き添いの咲茉の二人は招かれた。


 そして早朝から昼まで、みっちりと教わるはずが練習が始まった途端、悠也は雪菜に叩きのめされていた。


「ちなみに俺、どれぐらい寝てた?」

「10分くらいだよ。雪菜ちゃんがすぐ起きるって」

「……マジで容赦ないのな」


 咲茉の膝枕が名残惜しいと思いつつ、ジャージ姿の悠也が不満を呟きながら身体を起き上がらせる。


「あ、起きました?」


 その時、悠也達のいる別館に席を外していたジャージ姿の雪菜が戻ってきた。


 なぜか、その両手に竹刀や刃を潰した短刀を持った姿で。


 雪菜が持つ物騒な武器を見た瞬間、悠也の頬が引き攣っていた。


「……それ、なんだよ」

「ふふっ、折角なので色々と準備してきたんです」

「頼むから物騒なことしないでくれよ」

「それは難しそうですので先に謝っておきます」


 雪菜が持っていた武器を部屋の隅に置くと、心なしか軽快な足取りで雪菜が悠也達の元まで向かう。


 そして倒れている悠也に手を差し伸ばしながら、彼女は満面な笑みを浮かべていた。


「さて。悠也さんも起きたことですし、続きをしましょう」

「俺のこと気絶させた奴の言うセリフじゃないな」


 差し出された雪菜の手を呆れた悠也が掴むと、彼女に引き寄せられるように立ち上がる。


 そして心配する咲茉を横目に、悠也は身体の不調を確かめていた。


 畳に叩きつけられたはずなのに首や肩を回しても痛くない。


 予想以上に身体が痛くないことに悠也が驚いていると、雪菜はクスクスと笑っていた。


「大丈夫ですよ。身体を痛めないようにしましたから」


 身体が痛くないのは、どうやら雪菜のお陰らしい。


 気絶させた彼女に感謝する気も起きなかった悠也は、怪訝に眉を寄せながら口を開いていた。


「なんで教わってるはずの俺がお前にボコボコにされないといけないんだよ」

「あら? それは先程伝えましたよ?」


 そう言われて悠也が思い返しても、気絶した直前の記憶がなかった。


「気絶した所為で全く覚えてないっての」

「なるほど。では改めて伝えておきますね」


 悠也の返事に、雪菜が納得したと頷く。


 そしておもむろに雪菜が悠也の腕を掴むと、苦笑混じりに話していた。


「この類の技術を教えるにあたって、まず先に悠也さんには覚えて頂きたいんです」

「なにをだよ?」


 思わず悠也が聞き返した瞬間だった。


 いつの間にか、悠也の視界が天井を見上げていた。


「は……?」


 背中に走り抜けた痛みで、遅れて悠也は自分が倒れていることを自覚する。


 なにが起きたか理解できない彼が困惑していると、


「一度経験させておこうと思いまして、今から覚える技術の危うさを」


 気づけば、雪菜が悠也を見下ろしていた。


「これからあなたが身に付ける力となる技術は、咲茉ちゃんの為だけに使うものです。それを不用意に振るってはならないことを悠也さんは自覚しないといけません」

「……つまり?」

「決まってますよ。これから悠也さんが覚える技の痛みを身体で覚えてください」


 そう言って、雪菜が微笑む。


「マジ……?」

「まじです。気絶しても安心してください。二回目からは水を掛けて叩き起こしますので」


 その笑みに、文字通り悠也の背筋が凍った。


 その背後で、咲茉は泣きそうな顔で悠也を見つめていた。

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[良い点] 彼女のために頑張る姿はよいですね。
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