第33話 教えてくれ
先日起こったラブレターの一件で、咲茉が極度の男性恐怖症を持っていることが1年生の間に広まってしまった。
おそらくあの一件の後、放課後の教室で怯えた咲茉を一部のクラスメイト達に見られたのが原因だろう。数日も経てば、いつの間にか噂が広まり、学年内の周知の事実となっていた。
別段、知られたからと言って困ることではない。咲茉自身も知られてしまったのならと、その後日に自身が男性恐怖症になってしまった理由を周囲に伝えていた。
当然、その本当の理由を決して語ることはなく、彼女が一貫して伝えるのは以前から凛子達に話していた内容だった。
高校に入学する少し前に、恐ろしく怖い夢を見た。それこそ、悪夢と呼ぶに相応しい夢を連日見てしまい、気づけば男性が怖くなったと。
その話も、当然だが信じる人間は少なかった。
それもそうだろう。男性が怖いと言っている彼女自身に恋人がいるのだから、その矛盾している話を信じる方がおかしい。
しかし実際、あのラブレターの騒動を見てしまった凛子達は信じるしかなかった。赤城という男子生徒に言い寄られ、異常と思えるほど怯えた咲茉が悠也の胸の中で安堵して眠った姿を見れば……信じざるを得なかった。
とても演技ではない。もしあの様子が演技だとすれば、彼女は女優になれる。
間違いなく嘘ではない。そう思わせるほどの迫力が、その時の咲茉にはあった。
その怯えは、その場に居合わせた凛子達だけでなく、その時の彼女を見たクラスメイト達すらも信じさせた。
そのクラスメイト達のおかげが、広まった噂はその信憑性を増し、本当に咲茉が男性恐怖症を持っていることが他の生徒達に信じられていった。
しかし、それでも彼等の共通する疑問はあった。
なぜ咲茉の恋人である高瀬悠也だけが彼女の男性恐怖症から除外されているのか、その疑問だけは決して消えることはなかった。
その結果、奇妙な噂が学年内で広まっていた。
高瀬悠也が涼風咲茉を恋人にできたのは、悠也が運良く彼女の男性恐怖症の対象外だっただけだと。
唯一、怖くないと感じた唯一の男子を咲茉が特別な人間だと思っているだけなのだと。
更に困ったことに……噂というモノは、意図しない形で広まっていく。
その噂を耳にした悠也達は、全員が揃って頭を抱える内容だった。
もし高瀬悠也が涼風咲茉を恋人にできた理由がそれだけならば、自分にも可能性があるかもしれない。そんな妙な話が男子達の間に広まっていた。
もしかすれば、自分も悠也と同じく咲茉の男性恐怖症の対象外かもしれない。そうすれば悠也から咲茉を奪えるかもしれないと。
その結果――自分に自信のある男子達が、咲茉に言い寄り始まるなど悠也達は想像すらしていなかった。
「……またラブレター来たのかよ」
その日の昼休み。啓介が呆れたと悠也の持つラブレターを見つめていた。
もう入学してしばらく経てば、昼休みに悠也達が集まって昼食を摂ることは彼等の日常となっていた。
「これで何通目だっけ?」
「……もう数えるのも面倒になったわ」
嫌悪の視線でラブレターを見つめる凛子に、悠也が失笑する。
彼の失笑に、凛子が舌打ちを鳴らしていた。
「ったく、まじでキモイな。咲茉だって迷惑してるってのに信じられねぇ」
その不満をぶつけるように彼女は弁当を食べ進めていた。
「それな。このラブレター見るだけで死ぬほど腹立ってくるわ」
それは悠也も同じで、不満をぶつけるように箸で掴んだからあげを勢いよく口に放り込んだ。
日に日に美味さが増していく咲茉の弁当に、悠也の苛立ちも少しだけ薄れていくような気がした。
ムッと顔を顰める悠也の表情が和らいでいく。
そんな彼の隣で、咲茉は小さな弁当箱を箸で突きながら申し訳なさそうに目を伏せていた。
「ごめんね……ゆーや」
「別に咲茉が謝ることじゃないだろ」
今回の件について、咲茉が謝罪することなど何もなかった。
むしろ怒るべきことだろう。馬鹿げた噂が広まった所為で、恐怖の対象である男子達から言い寄られることが増えたのだから。
「どうにかならないものですかね……困りました」
「彼氏の悠也っちから咲茉っちを奪おうとしてるって相当おバカな話なのにねぇ~」
雪菜と乃亜の話に、俯く咲茉以外が頷いた。
実際のところ、その噂を鵜呑みにしているのは咲茉のことを高校から知った生徒達だけだった。
悠也と咲茉の関係を中学から知っている生徒達は、当然だが二人のことを祝福している。むしろ広まった今回の噂を消そうとしているほどだ。
しかし、ようやく付き合い始めた二人を祝う彼等でも、噂を消すことはできなかった。全体で見れば、彼等の数は割合としては少ない。どれだけ噂を否定しても信じる人間が多ければ、少数の声はあってないようなものになる。
「廊下歩いても知らない男子から声掛けられるくらいだし……噂が消えるまで咲茉っちを一人にしておけなくなっちゃったねぇ~」
乃亜の言う通り、その噂が広まって以来、咲茉はラブレター以外にも男子から声を掛けられることが増えた。
それは悠也達の知るところではないが、もう男子生徒達の度胸試しのようなものとなっていた。
馬鹿げた子供の発想。声を掛けて嫌がられないか確認する度胸試し。それは相手のことを何も考えない配慮のない子供の行動だった。
「もうべったりだねぇ~」
サンドイッチを頬張る乃亜が咲茉を見ると、にんまりと笑みを浮かべていた。
乃亜の視線の先では、咲茉は悠也に肩を寄せて座っていた。
身動きするだけで肩がぶつかるほどの距離。もうこの至近距離で二人が一緒に居ることにも乃亜達は慣れてしまった。
「だって……やっぱり悠也の隣が一番落ち着くんだもん」
乃亜に指摘されると、そう言って咲茉は恥ずかしそうに弁当を摘まんでいた。
配慮のかけらもない一部の男子達の所為で、咲茉も少し変わってしまった。
もう人目も気にすることもなく、咲茉は悠也に甘えるようになっていた。
こうして悠也と肩を寄せ合って座るのも、咲茉が望んでしていることだ。できることなら常に一緒に居る彼に触れていたいと思う彼女だったが、それだけは学校であるからと極力控えるようにしている。
昼休みになると悠也に寄り添う咲茉の姿も、今では見慣れた光景となっていた。
人目も憚らず二人でイチャつく光景に、凛子は不満げに鼻を鳴らしていた。
「ふんっ! 昼休みくらいは譲ってやるから悠也も感謝しろよ!」
「いや、俺の彼女だからお前の許可なんて要らなんだけど……?」
「学校なら咲茉は私のだから、それだけは譲らねぇし」
そっぽ向く凛子に、悠也は呆れたと苦笑していた。
落ち着いた場所ならば、咲茉は悠也に甘えてしまう。しかし校内の移動などでは、そうはいかない。
事あるごとに悠也に甘えてしまうのは周りへの体裁が悪い。そう思った彼女なりに、そういう時だけは彼女は凛子達と行動を共にしていた。
「私の腕に抱きつく咲茉は可愛いんだぞ~?」
「そんなこと最初から知ってるっての」
自慢げに語る凛子に、悠也が失笑する。
自分以外にも咲茉が多少でも安心できる場所があることに彼も感謝しているが、それを凛子に言えば間違いなく調子に乗るだろう。
その光景を想像するだけで無性に腹の立つ悠也は、それだけは決して感謝しないでおこうと心に決めていた。
「凛子ちゃんやみんなと一緒でも安心できるけど、やっぱり悠也の隣が一番好き」
凛子を一瞥した咲茉が、悠也に視線を向ける。
彼女が悠也を見つめる姿を見るだけで、心から彼を信頼しているのだと分かってしまう。
その姿に、啓介が乾いた笑みを浮かべていた。
「……なんで普段からコレを見せつけてるのに、噂が消えないんだ?」
「男子はみんな馬鹿なんだよ~」
「それ、俺と悠也にも刺さるからな?」
乃亜に苦笑いする啓介だったが、悠也は黙って納得していた。
高校生男子。それも1年生の思春期男子なら、馬鹿げたことを考えても仕方ないと納得できてしまう。
もう少し大人になれと悠也は思いたくなるが、子供相手にそれを強要したところで無意味なことも悟っていた。
「……ともかくまぁ、ラブレターの件は無視するわけにもいかないから俺が咲茉と一緒に行くよ」
今回の噂が落ち着くまでは悠也も咲茉に付きそうしかない。
「当然、私も一緒に行きますからね?」
悠也が言うと、おもむろに雪菜がそう提案していた。
彼氏の悠也だけではなく、腕っぷしが強い雪菜が居れば咲茉の安心感も増す。
そこで、ふと悠也は、彼女にある提案をしていた。
「雪菜……頼みがある」
「突然ですね? なんですか?」
唐突な悠也の話に、雪菜が首を傾げる。
そんな彼女に、悠也は少し悩む素振りを見せながら口を開いた。
「近いうちテストとかで忙しくなるかもしれないけど。もしお前に時間があれば……俺に武術、教えてくれ」
「まぁ……!?」
意外だと雪菜が口に手を添えて、驚いていた。
それは凛子達も同じく、揃って驚いた表情を見せていた。
「それは良い案ですね! 勿論良いですよ! ビシッと教えてあげますっ!」
嬉しそうに笑う雪菜に、凛子達は引き攣った笑み浮かべていた。
もうこれも凛子達の周知の事実だが、教えることに対して雪菜は特別厳しい。
特に、武術となれば、その厳しさは極めて酷いことを悠也は当然のこと凛子達も嫌というほど知っていた。
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