第32話 きっと傷だった
慌ただしく教室に戻ってきた三人に悠也達が駆け寄ると、咲茉の様子を見るなり揃って驚いた。
凛子と雪菜に介抱されていた咲茉が尋常ではない震え方で身を縮こまらせていた。
少し冷や汗も掻いているのか、カタカタと歯が鳴っている。
あまりにも変わり果てた彼女の姿に、悠也は訊かずにはいられなかった。
「……どうしたんだよ、これ」
「最初は赤城に告白されても、咲茉は彼氏いるからって断ってたんだ。それで断られた途端、アイツが強引に自分の方が良いって咲茉に迫ろうとして」
話を聞いていたのか、咲茉がしゃがみ込むとその場で丸くなっていた。
その姿を呆然と悠也が見つめていると、小声で凛子は話を続けていた。
「私と雪菜もやめろって言ったんだ。でも彼氏がいても咲茉と付き合いたいって言って聞かなくて」
「それで凛子ちゃんを振り払って咲茉ちゃんに触ったんです。思い切り肩を掴んで告白してました。俺の方が涼風さんを幸せにするって」
告白してる方にとってはドラマチックな展開だと燃え上がるかもしれないが、咲茉からすれば迷惑極まりない行為でしかなかった。
「あの人に触られた瞬間、咲茉ちゃんがこうなってしまって……あ、告白してきた方は私の方で制裁しておきましたので安心してください」
「まさか……病院送りにした?」
「いえ、地面に怪我のないよう叩きつけて気絶させておきました」
「……マジで雪菜と喧嘩しないようにするわ」
震えた声を漏らす啓介だったが、すぐに咲茉を見ると表情を変えていた。
「とりあえず咲茉ちゃん、どうする? 保健室に連れてった方が良いんじゃないか?」
「いや、悠也の元に連れて行ってくれって」
凛子が啓介にそう答えると、話を聞いていた悠也がそっと咲茉に寄り添った。
「ぅぅっ……!」
「咲茉?」
悠也が優しく声を掛けて、咲茉の肩に触れる。
「ひっ……!」
その瞬間、彼女の身体がビクッと震えた。
しかし相手が悠也だと分かると、その場で咲茉は彼に抱きついていた。
抱きつかれた勢いで、悠也が地面に尻餅をつくが痛がってる場合ではなかった。
胸に顔を埋めて震えている咲茉が強い力で悠也を抱きしめていた。
「こ、怖かったよぉ……ゆーやぁ」
「ほら、もう大丈夫だ。よしよし」
そして子供のように泣きじゃくる咲茉の頭を、悠也は何度も撫でていた。
「やっぱ悠也だけは大丈夫なんだな」
あっという間に震えが収まっていく咲茉に凛子が驚く。
悠也が頭を撫でれば、ゆっくりと彼女の身体から震えが消えていた。
「知らないけどそうみたいなんだ」
「これを見せられると、やっぱり咲茉ちゃんの話は本当なんですね」
「男が苦手なのは咲茉も治したがってるから、時間を掛けてなんとかするしかない」
驚く雪菜に、悠也が苦笑混じりに答える。
そうして咲茉は落ち着いたのか、その場で急に規則的な呼吸を始めていた。
悠也に身体を預けて、身動きもしなくなる。
その姿に全員が怪訝に咲茉の顔を見ると、気づけば彼女は眠っていた。
「え? 咲茉、寝たの?」
「さっきまであんなに震えてたのに?」
寝始めた咲茉に、凛子と啓介が驚く。
しかし雪菜だけは、真剣な眼差しで咲茉を見つめていた。
「きっと相当なストレスがあったんですね。安心したら寝てしまうって聞いたことがあります。悠也さんといるだけで安心したのでしょうね」
嬉しいと思うべきなのだが、素直に悠也は喜べなかった。
それだけ自分の傍が安心できる場所だと分かって嬉しくなるが、逆を言えば悠也がいなければ安心できないことになる。
思えば、過去に戻ってきてから可能な限り、咲茉は悠也と一緒にいた気がした。
離れないように手を繋ぎ、家では引っ付くことも多くあり、なるべく身近に悠也の存在が分かるように動いていたのかもしれない。
昔に比べて、明らかに甘えてくるようになったと悠也も密かに思っていた。
それは彼女と恋仲になったからだと思っていたが、少し違っていたのかもしれない。
彼女は今の環境では家族と悠也しか安心できる場所がないのだろう。
そうでなければ、先程も凛子達と一緒にいても震えが収まっていなかったのがその証拠だ。
ここまで怯えてしまう環境で過ごしていれば、辛くて仕方ないはずだ。
それでも悠也が一緒にいるから、彼女もどうにか日常生活を送れていたのかもしれない。
この様子が昔からだったと思えば、過去の咲茉がどれだけ辛い日々を送っていたのか考えるだけで悠也も辛くなった。
他人との関係が怖くなり、長い間部屋に閉じこもっていたと彼女は語っていた。
相手が家族であっても男であれば見るのも怖くなり、映像で見る男ですら怖いと感じてしまう。
そうなってしまえば、間違いなく二度と外には一生出れなくなる。
それを少しでも乗り越えようとした咲茉の努力は、壮絶なものだったかもしれない。
むしろ今の状態ですら奇跡とすら言える。先程の怯えを見れば、そう思いたくなる。
「……一体、どんな夢を見てこうなったんですか?」
雪菜が心底疑問だとポツリと呟く。
それは悠也も同じだった。
やはりここまで彼女が変わってしまった出来事は、一体なんなのかと。
女が男に怯える場面は、限られる。
悠也は頭の中で、その可能性をいくつか考えていた。どんな考えもあり得るが、その確証がない。
精神的、肉体的暴力。イジメ。トラウマになるほどの恐怖など、少し考えるだけで湯水のように可能性が出てくる。
その中で、一番あってはならない可能性も。
それだけはあり得ないだろうと悠也は一蹴するが、彼の脳裏に咲茉の何気ない仕草が過った。
それは悠也と咲茉がタイムリープしてきた、すぐの出来事だった。
なにもしていない時、稀に咲茉が自分の腕を撫でる時がある。それは昔の彼女にはなかった癖だった。
内側の手首から肘までをなぞるように何度も撫でて安堵する仕草は、不思議と何かを確かめているようにすら見えた。
まるであるべきものがないことを喜んでいるかのような。
手首から腕にあるもの。それを悠也が考えても、何か思いつかなかった。
刺青でも入れていたのかとも思ったが、おそらく違うだろう。もっと無いことを喜べるものだ。
それを考えた時、悠也の頭にあり得ない予想が浮かんだ。
いや、あり得る。これだけ人生に絶望していた時期のある彼女なら、それがあってもおかしくなかった。
「おい、悠也? 酷い顔してるぞ?」
「なんでもない」
思わず淡々とした声で啓介にこたえてしまったが、そんなことを気にすることすら悠也はできなかった。
「あれ? みんな、どうしたの?」
「咲茉ちゃん? 何かあったの?」
気づけば教室にいたクラスメイト達が、咲茉の元に集まる。
周りが騒ぐなか、ただ悠也は考えてしまった。
咲茉が見つめていたのは、きっと傷だったのかもしれないと。
手首に付ける傷など、ひとつしかなかった。
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