第26話 ぶっ飛ばそう
しかし啓介に睨まれても、悠也は気にも留めずに咲茉から受け取った弁当箱を見つめていた。
青い弁当袋に包まれた、手に持っただけで分かる大きな弁当箱。
咲茉が弁当を作るという話は、数日前から悠也も彼女本人から聞かされていた。
これも、彼女が懇願したことだった。
恋人の弁当を作りたいというだけの些細な我儘。
それは失ってしまった高校生活で、もう二度とできる日は来ないと思っていた彼女の密かな夢のひとつだった。
ずっとやってみたかったと。そう恥ずかしそうに話していた彼女の赤面した可愛い顔を、悠也は一生忘れないだろう。
あまり料理が得意ではなかった彼女が弁当を作るために料理を覚え、朝早く起きて作られた弁当箱が――今、悠也の目の前にある。
あの咲茉が自分の為に一生懸命作ってくれた。
それだけで悠也には、この弁当袋がとてつもなく眩しく見えた。
「咲茉……これ、開けても良いか?」
「ふふっ、わざわざ聞かなくても良いに決まってるでしょ。それはゆーやのお弁当なんだから」
まるでご飯をお預けされた子犬のような目で見つめてくる悠也に、くすくすと咲茉が嬉しそうに笑う。
咲茉から許可を得ると、悠也は嬉しそうに笑みを見せながら弁当袋を開けていた。
袋から黒い弁当箱と箸箱を取り出し、机の上に置く。それを見る悠也の目は、期待に満ち溢れた子供のようだった。
「めっちゃ緊張するんだけど……!」
心の準備ができないと、悠也の手が弁当の蓋を掴んだまま震え出す。
その姿に、思わず咲茉は嬉しそうにはにかんでいた。
ただ昼食の弁当を用意しただけなのに。まるで今から誕生日プレゼントを開ける子供みたいにはしゃぐ彼の姿が、咲茉には可愛くてしかたなかった。
まだ慣れてない料理で、味も彼が喜んでくれるか何度も味見して確かめてしまうほど不安だったのに、その姿を見るだけで咲茉の心は幸せで満たされていた。
「おい、悠也! 早く開けろよ! さっきから私も気になってんだからさぁ!」
「うるせぇ! 凛子は少し黙ってろ!」
凛子に催促されるが、悠也が一蹴する。
初めて作ってくれた彼女の弁当を開ける瞬間、それだけは誰にも邪魔させないと悠也が威嚇する姿に、思わず凛子がたじろぐ。
そのまま誰も邪魔するなと悠也が周囲を威嚇すると、はにかむ咲茉以外の全員が苦笑していた。
「良かったね、咲茉っち〜」
「作ったお弁当をここまで喜んでもらえるなんて……少しだけ咲茉ちゃんが妬ましいです」
乃亜と雪菜から微笑ましいと笑われると、咲茉が恥ずかしそうに俯く。
そこで啓介と凛子が邪魔しようと試みるが、雪菜の威圧に気押されてしまい、悔しそうに歯を噛み締める。
もう今の悠也を邪魔する者はいない。
すでに自分の世界に入り込んでいた悠也は、意を決して咲茉の弁当箱を開けていた。
「…………っ!」
「あ、悠也っちが昇天した」
そして弁当箱の中身を見た瞬間、悠也は空を仰ぎ見るなり、作った拳を握り締めていた。
開けた咲茉の弁当箱は、特別なこともない平凡な弁当だった。
ふりかけが乗った白米と、敷き詰められたおかずの全てが悠也の目には輝いて見えた。
「俺には分かる……これ、絶対美味いやつだ」
「もぉ……また恥ずかしいこと言って」
嬉しさを隠しきれないと喜ぶ悠也に、咲茉が呆れる。
「そこまで喜ばれると恥ずかしいよ。簡単なのしか入れてないのに」
しかしそうは言っても、彼女の表情はだらしなく緩みきっていた。
「お米だってふりかけ掛けただけだし……私が作ったのって野菜炒めとウィンナー、それと卵焼きだけだよ。揚げ物は難しいから冷凍だもん」
「咲茉ちゃん、十分過ぎます」
咲茉が弁当の内容を語ると、悠也の弁当を見ていた雪菜の口から感嘆の声が漏れる。
そんな彼女の反応に、咲茉は怪訝に首を傾げていた。
「……そう?」
「私もお弁当を作るから分かります。作る量が少なくても品目が増えれば増える分だけ手間が掛かりますから。これだけの数のおかずを作るのは大変ですよ」
弁当を自身で用意している雪菜から見ても、咲茉の作った弁当は素直に驚くものだった。
「そんなことなかったけどなぁ」
「……早起きして作ったのでは?」
「別にそこまで早く起きてないよ」
「一応訊きますが……起きた時間は?」
「えっと、多分6時前くらいだったかな?」
なにげなく答えた咲茉だったが、それは明らかに早いと雪菜を含めた全員が思った。
考えなくても分かることだった。弁当を作るのに時間は掛かる。それが作り置きではなく朝から作れば時間が掛かるに決まっている。
「面倒なことしてるなぁ……悠也の為にそこまでする必要あるか?」
その手間の面倒さを凛子が怪訝に問うが、咲茉は呆気に取られた表情を見せた後、当たり前のように答えていた。
「面倒なんて思わないよ。だって私が好きでやってることだもん。ずっとゆーやにお弁当作りたかったから」
そう言って恥ずかしそうに微笑む咲茉の顔を見た瞬間、凛子の表情が一変した。
まるで鬼のような形相で、彼女は悠也を睨みつけていた。
「これは駄目だ……キレそう」
「勝手に凛子っちもキレてれば良いと思うのー!」
呑気にサンドイッチを食べていた乃亜が気だるそうに凛子を煽る。
煽られた凛子が乃亜を睨むが、我関せずとサンドイッチを頬張る彼女の姿に渋々と舌打ちを鳴らしていた。
「あ、そのウィンナー美味しそうだからもらって良いか?」
「啓介は黙ってパン食ってろ。その汚ねぇ手で咲茉の弁当触ったらぶっ飛ばすからな」
「……マジな声じゃん」
悠也が睨むと、咲茉の弁当に手を伸ばした啓介が渋々と手を戻す。
もう見た目は十分に堪能した。そう思った悠也は、すでに取り出していた箸を弁当に向けていた。
どれから食べようか。本気で悠也は悩んでいた。
咲茉の料理は今まで何度も食べてたことはあるが、こうして弁当として食べたことは一度もない。
残すことなく食べるのは変わらないが、絶対に初めての弁当の味を忘れないように慎重におかずを選ぶ。
そこで、ふと彼の箸を待っていた手が止まった。
唐突に、悠也は昔に母親が自慢していたことを思い出していた。
『私の卵焼きは自慢の料理よ! 私が自信満々で作った初めてのお弁当で達也さんが一番美味しいって言ってくれたんだから〜!』
見てるだけで恥ずかしくなる自慢を悠奈がしていた。
それは遥か昔のことでも、ずっと嬉しかった思い出なのだと聞いてるだけで分かる喜び方だった。
もし自分も咲茉が自信を持って作ったおかずを選んで美味しいと言えれば、きっと咲茉も大人になっても覚えていてくれるかもしれない。
そう思うと、自然と悠也の箸は弁当箱の卵焼きに向かっていた。
「あ、最初はそれなんだね」
悠也の箸が卵焼きを掴むと、咲茉が笑みを浮かべる。
「……駄目だったか?」
「ううん、そう言うんじゃなくて……私が一番美味しく作れたおかずだったから嬉しくて」
嬉しそうに微笑む咲茉に、悠也は反応すらできなかった。
彼女が自信のある料理と言うのなら、もう何も心配などなかった。
全員から見届けられながら、悠也は咲茉の作った卵焼きを口にした。
黙って咀嚼。そしてしばらく経った後、おもむろに悠也は俯いていた。
「……あれ?」
どんな反応が来るかと楽しみにしていたはずが予想外の反応に、思わず咲茉が首を傾げる。
まさか美味しくなかったのか?
そう心配した彼女が恐る恐る悠也の顔を覗き込むと――
なぜか悠也が声を殺して泣いていた。
「悠也⁉︎ なんで泣いてるの⁉︎」
「ぁぁぅ……!」
目元を隠して泣いている彼に、咲茉が驚く。
「もしかして美味しくなかった⁉︎ あぁ、もうっ⁉︎ 何度も味見したのにっ⁉︎」
「多分ねー、そう言うことじゃないと思うよー」
「えっ?」
唐突に告げられた乃亜の一言で、咲茉が困惑する。
その時だった。
「美味過ぎ……涙出てくる」
「啓介。駄目だコイツ、早くぶっ飛ばそう」
「珍しくお前と意見合うな。同感」
冷たい目で凛子と啓介の二人が悠也を見つめていた。
「ほらね?」
「あうっ……」
分かっていたと誇らしそうに胸を張る乃亜に、ただ咲茉は恥ずかしいと赤面する顔を両手で隠していた。
その後、咲茉の弁当を食べ終えるまで悠也は何度も泣いていた。
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