第23話 静まり返った
鳴井凛子。それが今も悠也の首を絞めている彼女の名前だった。
可愛くも活発な印象を受ける明るい茶髪のショートボブを揺らして悠也にじゃれつく姿から変わる通り、彼女の性格は男勝りな一面が目立つ。
凛子もまた咲茉と同じく美人の部類に入る容姿をしているが、彼女の持つ特徴的な吊り目と男勝りな性格の所為で周りの生徒達から怖がられている。
それを気にもしてないように振る舞っているが、陰で密かに悲しんでいる可愛らしい一面もあるのが鳴井凛子という女の子だった。
「黙って私から咲茉のことを奪いやがって! 許さねぇからな!」
「まじで、はなせって……!」
凛子が腕に力を込めれば、それに応じて悠也が彼女の腕を叩く。
久しぶりに受けた彼女の洗礼に、苦しみながら悠也は呆れるしかなかった。
強引に凛子が悠也の首に絡みつけは、その分だけ彼女は悠也と密着する。
相変わらず凛子には恥じらいがないらしい。今も背中に押しつけられる女の部分は、悠也から見ても平均以上だと思い知らされる。
これで平然と男にじゃれつく凛子は馬鹿なのかと悠也は思いたくなった。
タイムリープする前の悠也が大学生の時、久々に彼女と会った時も全く変わっていなかった。もう彼女のこの性格は大人になっても変わることはないのだろう。
今の状態ではお淑やかさなど微塵も感じられないが……実のところ、意外にも彼女は酒を飲むと驚くほどしおらしくなる。
まだ高校生なので決して見ることはできないが、そのギャップに啓介が胸を抑えて苦しんでいたのは今でも悠也はハッキリと覚えていた。
「凛子ちゃん、女の子なのにはしたないですよ。それと、そろそろ離してあげないと悠也さんが落ちますよ?」
凛子が悠也の首を絞めていると、二人の後ろから凛子を嗜める声が聞こえた。
「あー、そろそろヤバいか?」
その声に凛子が悠也の身体ごと振り向くと、おっとりとした女の子が二人を見つめていた。
長髪をひとつに結ったポニーテイルと垂れ目が可愛らしく、物腰が柔らかそうな印象を受ける彼女――綾小路雪菜は悠也の顔を見るなり、慌ただしく凛子に声を掛けた。
「結構ヤバめです。顔色が悪くなってるので早く離してください」
「でも咲茉取られたのムカつくし、一回くらい落とした方が良くない?」
「……凛子ちゃん?」
垂れ目が僅かに吊り上がり、雪菜が笑みを浮かべる。
その瞬間、彼女から感じる妙な圧力に凛子の表情が強張った。
「余計なことを言わなくて良いから早く離しなさい」
「……あ、はい」
雪菜が怒ると怖いのは悠也達の周知の事実であり、凛子も過去に何度も身をもって経験している。
積み重ねた過去の経験が、反射的に凛子の身体を動かしていた。
「凛子ちゃん、悠也さんに言うことかありますよね?」
「はぁ? なんで私が――」
ムッと眉を吊り上げる凛子に、雪菜が微笑んだ。
「……二度は言いませんよ?」
「悠也、ごめんなさい。もうしません」
雪菜の言われるがままに、凛子は瞬時に悠也から離れてると降参だと両手を広げる。
そんな彼女に雪菜が溜息を吐くと、咳き込んでいる悠也の背中をそっと撫でていた。
「悠也さん? 大丈夫ですか?」
「ごほっ……はぁ、死ぬかと思った」
「流石に死なれると咲茉ちゃんが困りますので頑張ってください」
死を一度経験している悠也としては、凛子の首締めは確かに苦しかったが死ぬほどではなかった。
悪ぶっている凛子だが、最低限の力加減はしている。それをなんとなくだが悠也も察していた。
凛子は昔から咲茉に懐いていた。好きな友達を男に取られたと怒る彼女の気持ちも察することはできる。
これも子供なりの鬱憤晴らしだと思えば、度は多少過ぎているが激怒するともない。大人である余裕が悠也の湧き上がる怒りを鎮めていた。
とは言っても、好き勝手にやられて悠也も黙っているわけにはいかなかった。
「今度絶対やり返すから覚悟しとけよ」
「やれるもんならやってみろよ。返り討ちにしてやるから」
悠也が睨めば、凛子も睨む。
二人が睨み合っていると、また雪菜が微笑んでいた。
「そんなに二人が喧嘩したいなら私が相手してあげますか?」
「「……え?」」
悠也と凛子の表情が揃って強張る。
そんな二人に、雪菜が指の骨を鳴らしていた。
「喧嘩は良くないですから、二人が喧嘩するなら私が収めますよ。それで二人が仲良くなるなら私が悪者になった方が――」
「悠也! 今度一緒にゲーセン行こう! 私ってお前と仲良しだからな!」
「行こう行こう! 咲茉も一緒に連れてって良いか!」
「良いに決まってるって!」
雪菜から笑顔の圧力を受けた途端、二人が肩を組んで引き攣った笑みを浮かべていた。
あまり周りには知られてないことだが、綾小路雪菜はおっとりとした見た目と裏腹に喧嘩が非常に強い。
家柄が良い彼女は、幼い頃から習い事を多く受けていた。その中で特に多かったのが武道関連だった。
女である以上、護身は身に付けるべきと幼い頃から叩き込まれてきた武術は今も雪菜の身体に染み付いている。
その一端を垣間見ている悠也は勿論、中学生の頃に喧嘩を売った凛子は嫌と言うほど雪菜の怖さを理解していた。
「あれ? 二人とも喧嘩はしないんですか?」
「するわけないだろ! なっ、悠也?」
「しないしない! 当たり前だろ!」
「それなら良かったです。二人が喧嘩すると咲茉ちゃんも悲しむので!」
悠也と凛子が頬を引き攣らせて笑い合う姿に、雪菜が嬉しそうに微笑む。
その笑顔が二人に更なる恐怖を植えつけていたのだが、それを本人が察することはなかった。
「……馬鹿な二人だねぇ〜」
その光景を眺めていた乃亜が大きな欠伸をしながら鼻で笑う。
その声に悠也が視線を向けると、乃亜の姿に思わず目を細めていた。
「お前、なにしてんの?」
悠也の視線の先で、咲茉が乃亜の後ろから抱きつかれていた。
「これこそが私の進化した姿、咲茉っち装甲なのだよ〜」
「……なんだって?」
意味が分からないと悠也が訊き返すと、乃亜が誇らしそうに胸を張っていた。
「咲茉っちの両腕を私の前でクロスさせて私が手を繋ぎ、前方からの攻撃を防ぐ。そして私の頭に乗ってる咲茉っちのおっぱいが私の頭を守り、背後も守ってくれる完全装甲を見よぉー!」
「なに言ってるか全くわかんねぇわ」
頭が悪いとしか思えない乃亜の説明を悠也は失笑していた。
乃亜の馬鹿げた説明で抱きついている、ではなく抱きつかされている咲茉も頬を赤くしている。
「の、乃亜ちゃん? 恥ずかしいからもう離れても良い?」
「だめ〜」
恥ずかしくて咲茉が離れそうとしても、乃亜は繋いでいる彼女の手を離そうとしなかった。
「でも私達にちゃーんと説明してくれるって言うなら離してもいいよ〜!」
「ん? なにを話せば良いの?」
「二人が恋人同士になった時のこと聞かせて〜」
乃亜の発言で、教室が一瞬で静まり返った。
真っ赤に頬を染める咲茉と固まる悠也を唖然とした見つめていた生徒達は、全員が二人と同じ中学校出身だった。
二人を知らない生徒達は怪訝に首を傾げていたが、二人を知る人間からすれば、乃亜の一言は驚愕に値する言葉だった。
「……啓介」
「なんだよ」
「俺と咲茉のこと話したのって……」
「乃亜達だけに決まってるだろ。そこまで俺も馬鹿じゃねぇよ」
そういうところはちゃんとしているらしい。
なら今からどうなるか、悠也は考えるまでもなかった。
啓介は何かを察したのか、そっとその場から離れる。凛子と雪菜の二人が咲茉を守るように寄り添う。
そして数秒の間が空いた後、悠也と咲茉を知る生徒達が一斉に二人に群がっていた。
「まじ⁉︎ お前達やっと付き合ったの⁉︎」
「咲茉ちゃん、おめでとう! どっちから告ったの⁉︎」
「悠也っ! てめぇよくも咲茉ちゃんとッ⁉︎」
そうなってしまえば、教室は瞬く間に混沌と化した。
乃亜が咲茉を装甲と呼んでいた意味を、今ようやく悠也は理解した。
咲茉に群がる生徒達は、凛子と雪菜が抑えている。その咲茉を盾にすれば、今の状況では乃亜の場所が一番安全な場所だった。
余計なことを言った乃亜に最高潮の苛立ちが悠也に襲い掛かる。
しかし脇腹に突き刺さった拳が、悠也の怒りの矛先を変えていた。
「痛っ⁉︎ おい今俺の脇腹殴った奴は誰だっ⁉︎」
「俺達の咲茉ちゃんを奪いやがって!」
「お前達のじゃなくて俺の咲茉だからな⁉︎」
悠也がそう叫んだ途端、一斉に甲高く叫ぶ男女の声が教室に響き渡った。
もう収拾がつかないほど教室が騒がしくなる。
そして二人を揶揄って騒ぎ出した教室は、騒ぎを聞きつけた担任が慌てて来るまで収まることはなかった。
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