第64話 甘やかすということは
「ゆーやぁ、あーんして?」
「……あーん」
隣に座っている咲茉に促されるままに、悠也が口を開く。
開いた悠也の口に咲茉が持っている箸で焼き魚を掴んで添えれば、そのまま悠也がもぐもぐと咀嚼する。
その姿を嬉しそうに眺めながら、咲茉が小さく首を傾げた。
「おいしい?」
咲茉の作る料理が美味しくないはずがない。
焼き加減や塩加減など、文句のつけようがない味付けを悠也の舌が堪能する。
常日頃、彼女の作る料理を食べている悠也からすれば、はじめから返事など決まっていた。
「めっちゃ美味い」
「えへへ、褒められちゃった」
悠也の返事を聞いた途端、咲茉が肩を小さく揺らして喜ぶ。
そんな彼女を見ていると、自然と悠也も笑みを浮かべていた。
いつも美味しいと言っているのに、何度も初めて言われたような喜び方をしてくれる。ただ美味しいと言っただけで、こんなにも幸せそうに笑ってくれる咲茉が可愛くて仕方ない。
「焼き魚の後~、次はお米~」
おかずの次は白米を食べたい。悠也の思っていることが咲茉に筒抜けだったらしく、彼女の箸が白米を掴む。
多過ぎず、しかし少な過ぎるわけでもなく、悠也にとってちょうど良い量の白米を咲茉が彼の口に運んでいた。
「はい。ゆーやぁ、あーん」
「あーん」
いつも自分が口に運んでいる量と変わらない。口に入った白米を悠也が咀嚼すると、
「美味しそうに食べてるゆーや、可愛い」
悠也の食べている姿に、また咲茉が嬉しそうに笑みを浮かべていた。
朝食を食べ始めて、ずっと咲茉は喜んだままだ。
かれこれ十何回と“あーん”を繰り返しても、何度も幸せそうに笑っている。
そんな彼女に、思わず悠也が思っていたことを口にしていた。
「咲茉、流石に疲れただろ? そろそろ自分で――」
「だーめ、ぜーんぶ私がゆーやに食べさせてあげるの」
ずっと食べさせるのも、どう考えても疲れるに決まっている。
そう思った悠也が時折咲茉に諭しても、彼女の返事は変わらなかった。
頑なに咲茉は、最初から最後まで食べさせることにこだわっていた。
「でも……それだと咲茉が疲れるだろ?」
「ゆーやのお世話で疲れなんて感じたことないよ。むしろ日頃の疲れが吹っ飛んでく感じがするくらい。ゆーやの喜んでくれる顔見てるだけでね、胸の奥がじわ~って温かくなるから……むしろお世話するの大好き。もっと、もーっとゆーやのお世話したい」
そう答えた咲茉の表情は、まさしく恍惚という言葉が似合う笑顔だった。
空いた手を頬に添えて、頬が緩みきった彼女の笑顔が、問答無用にそう思わせる。
「そんなゆーやに~、次は目玉焼きを食べさせてあげる~」
心配する悠也を無視して、咲茉が目玉焼きを箸で掴んで差し出す。
その表情は、やはり幸せそうな笑顔のままで。
そんな顔を見せられてしまえば、悠也も肩を落として受け入れるしかなかった。
「あーん、して?」
「……あーん」
「ふふっ、口開けてるゆーや、ほんと可愛い」
そして悠也に食べさせれば、また咲茉が喜ぶ。
おかず、白米。たまにおかずが2種類続いて白米と、咲茉に食べさせられる。
「咲茉……ほんと、ビックリするくらいちょうど良いサイズで食べさせてくれるな」
彼女に食べさせてもらいながら、悠也はふと思った疑問を口にしていた。
一度も間違えることもなく、毎回悠也にとって食べやすい量を咲茉が食べさせてくれる。
そのなにげない疑問に、咲茉は当然のように答えていた。
「だって毎日ゆーやのこと見てるもん。ゆーやがご飯食べる時、どれくらいの量で食べてるかくらい分かってるよ~」
「……」
悠也も、いつも咲茉のことを見ている自信はあったが……はたして、彼女の食事の量を把握していただろうか?
以前よりは食べるようになったが、咲茉が食事する時は少ない量を口に運んで食べていることが多い。
それは悠也も知っているつもりだったが、その正確な量までは流石に把握していなかった。
「……ゆーや? すっごいしかめっ面してるよ? もしかして美味しくなかった?」
「違う、そうじゃない……咲茉の料理はいつも美味い」
「じゃあ、なにかあった?」
そう訊き返されて、無意識に悠也が唸ってしまう。
いつも咲茉を見ている自信があったのに、彼女の方が自分のことを熟知していた。
ふとした時に見せてくれる仕草も、好んで飲む飲み物も、知っているつもりだったのに。
彼女の方が自分よりも遥かに勝って、些細なことですら覚えている事実に、悠也はとてつもない敗北感を感じてしまった。
「……死ぬほど負けた気がする」
「ん? どゆこと?」
「気にしなくて良い。咲茉の料理が滅茶苦茶美味しくて、俺も料理しようかなって思っただけだ。俺の作ったご飯、咲茉に食べてほしいかもって」
その心情を知られたくなくて、咄嗟に悠也が誤魔化す。
上手く誤魔化せたのか、咲茉がクスクスと笑っていた。
「そんなこと気にしなくて良いよ~。ゆーやのご飯は私が作るの~」
たとえ誤魔化しでも、決して悠也は嘘を吐かなかった。
もし咲茉が自分の手料理を喜んでくれるなら、料理の練習をするのも悪くない。
「咲茉は俺の作ったご飯、食べたくないのか?」
「そんなの食べたいに決まってるけど……でも、だーめ。悠也の食べるご飯はね、ずーっとお嫁さんになる私が作るって決めてるんだから」
一瞬だけ悩む素振りを見せる咲茉だったが、すぐにその迷いを振る払うように首を小さく振る。
悠也のお嫁さんになる。それを信じて疑いもしない咲茉に、つい悠也の頬が熱くなる。
そんな彼女に、悠也は密かに決めた。
絶対に料理の練習をしようと。できることなら、次の彼女の誕生日にでも振舞えれば最高である。
その決意を新たにして、ふと悠也が視線を動かした時だった。
咲茉の座るテーブルの前にある、いまだ手付かずの料理が目に止まった。
「咲茉、自分の分は食べないのか?」
「うん、大丈夫~。私はゆーやが食べた後で良いの~」
まずは悠也が最優先だと、当然のように答える咲茉に、自然と悠也が眉を寄せる。
先程から食べている料理は、まだ冷めていない。しかし悠也が食べ終わる頃には、間違いなく咲茉の分が冷めてしまうだろう。
自分だけ温かい料理を食べて、咲茉が冷めた料理を食べる。
そんなことを、悠也が許せるはずがなかった。
「箸、ちょっと借りるぞ」
そう悠也が思うなり、そっと咲茉の手から箸を奪い取る。
取られると思いもしなかったのか、悠也に箸を奪われた途端、咲茉がムッと頬を膨らませた。
「あっ、ゆーやだめだよ。私が食べさせるって――」
「自分で食べなければ良いんだろ?」
「えっ?」
悠也から返ってきた言葉の意味が分からず、咲茉がキョトンと呆ける。
そんな咲茉を気にすることもなく、悠也が持っている箸を今も手付かずの料理に近づけると、その箸で焼き魚を切り取った一部を彼女に差し出していた。
「ほら、あーん」
「……えっ?」
悠也から箸を向けられて、また咲茉が呆けてしまう。
しかし悠也は、彼女が呆気に取られていても箸を向けるのをやめなかった。
「ほら、早く口開けて。あーん」
「あ、あーん」
再度、悠也から催促されて、恐る恐ると咲茉が口を開ける。
小さな彼女の口が開くと、悠也はゆっくりと焼き魚を食べさせていた。
「おいしいか? って言っても俺が作ったわけじゃないけどさ」
「……おいしい。だってゆーやが喜んでくれるために作ったんだもん。おいしくないご飯なんて出さないよ」
悠也に食べさせてもらった焼き魚を咀嚼した咲茉が、恥ずかしそうに答える。
しかし、そう答えた矢先、咲茉が不満そうに眉を寄せていた。
「ゆーや、その箸返して。私が使うの」
そっと手を出して、咲茉が催促する。
箸を一膳しか用意しなかったところを見る限り、間違って悠也に箸を使わせないように考えたのだろう。
唯一用意していた箸を持つ悠也が、苦笑交じりに答えた。
「なら、交代で使おう」
「……どういうこと?」
「互いに、交代であーんしたい。それなら咲茉も朝ご飯食べられるだろ?」
「それだとゆーやが……」
「俺がしたい。俺のこと、いっぱい甘やかしてくれるんだろ? なら良いんじゃないか?」
そう言われてしまえば、咲茉も返せる言葉が見つからなかったらしい。
悠也を甘やかすということは、悠也がしたいこと全て叶えることになる。
例外はあるが、悠也がしたいと言うのなら……
「それだと、私と間接キス……たくさんしちゃうよ?」
「間接キスだけで良いのか?」
「……ゆーやのいじわる」
その先を言葉にするほど、悠也も野暮ではなかった。
頬を赤らめる彼女に苦笑すると、悠也は素直に箸を渡していた。
「じゃあ、次は咲茉の番」
「その次は、ゆーやの番?」
その疑問に悠也が頷くと、更に咲茉の頬が赤く染まった。
今から朝食を食べ終わるまで、互いに食べさせあう。
そんな展開を予想すらしていなかった咲茉だったが、己の欲望には勝てなかった。
大好きな悠也と交代で食べさせあう。それは考えるまでもなく、幸せ過ぎる展開でしかなかった。
「ゆーやぁ、あーん」
「あーん。んぐ……じゃあ、次は俺、あーん」
「……あーん」
互いに、ゆっくりと時間を掛けて食べさせあう。
たとえ料理が冷めても、食べ終わるまで2人は幸せそうな笑みを浮かべていた。
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